7/25/2015

デビルマン

デビルマンの作者である永井豪はこう話す。

人間と悪魔の地球争奪戦。
軍事力=悪魔の力
反戦の漫画でもあるかもしれない。
地球壊滅までいってしまうのが今の戦争かもしれない。
40年たった今絵空事ではなくなった。

2025年のデビルマンの連載が開始されたという。
読んでみたいと思った。
そういえば政治家で漫画が大好きな人がいたはずである。
今こそ、デビルマンを読み直し、そして新たな連載も読み始めてほしいと思った。
そして国の主に訴えてくれないだろうか。
考え直そうと。


よしもとばななのキッチンを読み直そうと本棚を探したが見当たらないので、
目の前にあったばななブレイクを読むことにした。

この本にはいつも必ず読むページがある。
アイルトン・セナの言葉である。
「すべての人々が幸せになればいいと思っている。言葉にすると単純だけど、願うことはそれしかないよ。ブラジル人も日本人も中国人もアフリカの人々も、誰だって幸せを願っている。僕たちが生きてきたこの時代の中で。世界は急速に成熟し、世界の国々は、もはやそれぞれが切り離された個別の存在ではなくなった。誰が何をしようとそれは必ず誰かに影響を及ぼす。全ての人がひとつに結びついているんだ。個人の喜びや楽しみももちろん大事だが、それは他の人の悲しみや苦しみの上には決して成り立たない。そのことに僕らは少しづつ気づき始めた。それぞれの距離が近づき、切っても切れない関係だからこそ、どちらかの一方だけの幸せが成立することなど有り得ないなんだよ。だからこの先、個人として、あるいは企業とか国家とかの集団として、何をしていくにしても、自分たちの望みとか都合では考えてはいけない。自分がそうであるように、人は誰でも幸せでありたんだからね。人には、食べることとと人間らしい生活の場と、健康と良心が必要だ。そのうちどれがひとつが欠けても、人間らしさは保てなくなる。気持ちが荒っぽくなって、悪いことをし始める。戦争だってなんだって、悲劇の原因は全てそこにあるんだ、人には人が必要で、人には人の愛が絶対に必要なんだよ。」

相棒と舞台を観にいった。
芙蓉部隊の話である。
やはり争いからは何もうまれないのである。
平和でありたい。







賢いエアコン

連日の暑さ。
庭に水を撒いても涼しさはまいているときの水しぶきがかかった時だけ。
とにかく暑いのである。窓が沢山あるキッチンの周囲は、
明るく気持ちがいい空間なはずなのにこの暑さがそれを半減させる。

エアコンは苦手である。
エアコンが苦手な両親に育てられたため、
エアコンに対して体が強くないのかもしれない。

夏でも羽織るものと靴下は必須の持ち物である。
体が冷えてだるくなるのである。

けれどもそんな私も、
そんなことは言ってられないこの暑さに、
エアコンをつけたり消したりしている。

このエアコン、前の住人が置いていった最新エアコンである。
停止ボタンを押してもウィーンウィーンと動いているため、
停止していないのかと思いまた押していたら相棒に、
なんかそのままでもいいみたいだよ、と言われる。

どうやらお掃除をしてから停止する賢い子みたいである。
賢い子を全く使えこなせていないなと思いながらふっと思う。

訪問している部屋の住人は80代の軽い認知症のある独居のおじいさま。
いつも訪問すると何ともいえない暑さである。
よくよくみると、冷房ではなく暖房となっている。
リモコンを正しく使えないのである。
この猛暑の中、連日このようなことが起きていたら熱中症となってしまう。

世の中には認知症の独居人口はとても多い。
同じようなことが起きていないか心配である。

暖房にはならない、
これ以上の温度にはならない、
本体にそんなスイッチがあるエアコンはないのだろうか。

そんなことを賢い子を目の前に思ったのである。









7/24/2015

San Cristbal de Las Casasサン・クリストバル・デ・ラス・カサス




San Cristbal de Las Casasサン・クリストバル・デ・ラス・カサス
そこで出会った兄さんが素敵な映画を作った。
とても元気がでる映画である。
生きることはとても楽しいことなんだと思える映画である。

次の作品が今から待ち遠しい。
メキシコでの日々を久々に思い出し、
旅をしていたときの日々を思い出し、
異国を旅したいと。
非日常という日常に身を委ねたいと、
そう思った。

コトコトと。 

新しい家に引っ越して1ヶ月が経過した。
ふたりで決めて設計した新居は以前住んでいた人達の雰囲気を
そのまま継ぐことができたのか居心地が良い。

私が唯一こだわったキッチンは思い通りのものとなり、
とても居心地がよい。

けれどもまだここで作りたいと思った料理は完成していない。
これを作りたいと思っているわけではなく、
お気に入りのお鍋で何かを時間をかけてコトコトと
煮込みたかったのである。

相棒の実家から沢山のブルーベリーが送られてきた。
新鮮なまま食べるには少々大変な量であったので、
ジャムを作ることにした。

十分甘いので砂糖はほんの少しにして小さな火で
時間をかけてコトコトと。
去年は粒を残したジャムにしたけれど、
今年は粒がない位コトコトしたかった。

そのコトコトしている時間にごちゃごちゃしたものを整理することにした。
親友はいつも新聞や雑誌の切り抜きを手紙に同封してくれる。
その切り抜きを整理していたらこんな言葉を見つけた。

「人生は雨の日も晴れの日もある。飛び上がるほど嬉しい日もあるけれども、果てしなく落ち込むこともある。自分自身と調和がとれているように感じることもあるし、どうしても自分というものに違和感を抱いてしまうこともある。心の美しさはそのような浮き沈みや摩擦や、ネガティブな思いや、激動をくぐり抜けて、やがて生まれてくるもの。精一杯生きていい、挫折して、暗い気持ちになって、そしてまた立ち上がればいい。その中で、この上なく美しい心が、あなたの人生に降臨するということは確かにある。心の美しさは動的なバランスの中にあるのだ。落ち込んで暗い気持ちにを抱くのはかまわない。しかしそれはずっと続いてはいけない。何日も何週間も続いてついには人に対して害意を抱いたり恨みを持ったり、そのようになってしまってはバランスを崩す。どんなに醜い感情でもどす黒い怒りでも、それが崩さない程度に生まれるならば良い。それは晴れた日に一瞬空に兆す黒雲のようなもの。雲が去れば、再び差す陽光は以前よりもさらにまぶしく、有り難く感じられる。ひょっとしたら、ずっと陽光に恵まれているよりも生を充実しさえしてくれるかもしれない。自分の素質や現状に対する不満も同じこと。心の美しき人は、自分自身と折り合いがついている。どんな外見でも、境遇でも、そのような自分を受け入れ、欠点を含めて温かくみつめることができる人は、心が美しい。自分に欠けているものを補ってくれるものが、この広い世界の中に必ずある。そう信じて、動けばいい。一歩を踏み出せば良い。自分というジグソーパズルに欠けているピースをを探して世界を旅する人の姿は美しい。その人生の先には、偶然に出会う幸運が待っている。」

果てしなく落ち込む。
なんとなく自分に違和感を感じイライラする。
自分に対してのバランスを崩している。

そんな時、
お気に入りのキッチンで
お気に入りのお鍋で
コトコトと。

茂木健一郎の言葉が心にコトコトと同じ位のスピードで入り、
そして久々に友人達から電話がくる。

たまたまの電話。
その偶然が、私の心を温める。

そうだ。
今日の日の「おわりに」は
よしもとばななのキッチンを読もう。