5/22/2015

人の笑顔がもたらすもの。

いつも不機嫌そうにしている人がいる。
無意識なのかもしれない。
とても嫌なことがあるのかもしれない。
けれども不機嫌そうなその顔は、
その人を重たい空気でまとっている。
そういう空気は伝染する。

先天性難聴の人が入院してきた。
夫婦で先天性難聴である。
夫婦の会話は豊かな表情と手話。
その光景はとても素敵なものである。
微笑ましいという言葉がぴたりとはまる。

入院当初は怯えているかのように険しい表情であった。
耳はほとんど聞こえず口唇で読み取ることも難しいよう。
常に笑顔で大きな声ではっきりと口を動かしジェスチャーを取り入れて、
そして伝えたい気持ちを表情にこめて彼と会話をした。

彼の表情はどんどんと和らぎ、
いつしか彼は他の患者さんとも仲良くなっていた。

いつもいつも笑顔で、
その笑顔に皆が癒しをもらった。


言葉はとても素敵なものである。
しかし、時として言葉は人を悲しみに陥らせる道具となる。

彼をみていると考えてしまう。
言葉はそんなに重要なものではないのかもしれないと。
言葉がなくともそこに優しい羽衣をまとったその人がいるだけで、
周囲を温かく包み込む。夫婦は言葉ではなくその表情や雰囲気で、
皆を優しい気持ちにさせる。

重度の難聴であることは、
私たちが想像できない位の試練をもたらしてきたのだと思う。
そういう試練が夫婦からはひとつも感じられないのだ。

言葉とはなんだろう?
人の笑顔がもたらすものは?

笑顔は伝染する。
いつも笑顔でありたいと夫婦をみて改めて思った。







5/17/2015

本の衝動買い。


国の主を決めたのは国民である。
何かを決めるとき、国民全員の意見を聞いてまとめて、
という学生時代の多数決のようなことをしていたら非効率である。
というより不可能である。

けれども今回の問題はそうしてほしいと強く思うほど、
不安な日々を過ごす。
何が自国にとっていいのかわけがわからなくなるが、
戦争になるかもしれないリスクは回避しなくてはいけない。
大事な命がリスクの中に放り投げられることだけは阻止
しなくてはいけないと思うのだ。

国の主やその周囲の人たちはもうすでにそんなことは想定済みで対策があるのかも
しれないが、リスクが高まることで自衛官を志願する人は減少していかないのだろうか。
減少した結果、次におこることは『志願』という形と対極にいるものではないのだろうか。

日本は災害の多い国である。
災害時、自衛官にはとてもお世話になっている。
それは国民皆が知っており感謝をしている。
とても大事な存在であり頼りな存在である。

記者のある質問に国家の主はこのようなことを答えていた。

「皆は急に自衛官にリスクが起きると思っているが、今までもリスクは沢山あった。
1800人もの自衛官が殉職している。」

それと、これから起きるかもしれないことは異なることであると思うのは、勉強不足のせいか。

今、無関心であることは自分をそして自分の大事な人達をリスクの中に放り投げる可能性を高めていく気がしてならない。  

どうしたらいいのかわかならない。
さっぱりわからない。

世界共通、否地球上の全ての人に共通していることは、
『命は尊い』ということなのだと思うのだ。

命を守るために
命を奪う。

被害者であって
加害者である。

もうなにもかもわからなくなったので、
本を衝動買いした。

しばし、本の世界に逃避したい。





5/11/2015

イスラエル料理


当たり前すぎる事実であるが人には個々の異なる悩みがある。
人間関係、仕事、結婚、出産、子育て、健康等。
皆様々な悩みを抱えている。
しかし、その悩みは誰かれ構わず表出するものではないから、
随分と後になりあの時そういう悩みを抱えていたのねって、
驚くこともあるし驚かれることもある。

辛い時はいつも近くにいてくれた友人がいる。
一緒にヨーロッパを巡った友人でもある。
静かな喧嘩をしたこともある。
少し距離をおいたようなこともあった気もする。
けれども、辛いことがあるとき真っ先に顔が浮かぶのは彼女であり、
彼女もそうであるようだ。

便りがないのは元気な証拠というが、
まさにその通りであり、
元気な時はあまり会うことはない。

彼女から久々に連絡がきた。
恵比寿のイスラエル料理を食しに行った。
晴天であり川沿いをのんびりと歩きながらたどり着いたそのお店は、
異国をおもわせる場所であった。
店主はイスラエル人であった。
彼の笑顔とともにだされる料理はどれも美味しく、
イスラエル産のビールとワインも美味しく、
どうにもできないこと、
生きていく中での不条理、
いろんなことを話す場所として、
供にする料理としては最高であった。

私たちにとってイスラエルは思い出深い国でもあるので、
その思いは尚更である。

彼女は結婚できない自分はどこかに問題があるのではないかと言う。
親しくしている人から結婚は考えられないと言われ悲しんでいる。

彼女はとても魅力的な人である。
それは嫉妬してしまうほどの素敵さである。
そんな彼女をそんな思いにさせる結婚とは何なのだろうか。
よく考えてみた。
確かに自分にも似たような思いをもつことがあったかもしれない。
結婚している人としていない自分は何が違うのか?
結局、結婚した今思うのは何も違わないということであった。
そして今私は、コウノトリがくる人とこない人は何が違うのか?
と悩む。
そう、きっと何も違わないのだろう。
それでも悩む。

人は生きている限り、
自分の世界の中での悩みが必ずあるのだろう。
そのほとんどは月日が経った時に、
どうでもいいことになるんだろう。
もしかしたら、その悩みがあったからこその今が用意されていることも
あるのかもしれない。
そんな風に思いながらもやっぱり、
日々だれかの人生を羨ましく思い、
自分の人生に悩む。

これはきっと一生続くものなんだろう。
彼女とお店を後にして駅に向かう途中こう約束した。

仕事を辞めた時、
あの時と同じルートでヨーロッパを巡ろうと。
あの時と同じ宿に泊まろうと。

だから今も表紙が無くなってしまったトーマスクックを大事に持っている。
ケルンのあの薄暗い混合の安宿は今もあるのだろうか。
やっぱりローマでは修道院に泊まろうか。
いろんな思い出が昨日のことのように押し寄せる。
旅の思い出は悩みをひと時忘れさせてくれる大事な記憶なのだ。





5/08/2015

小沢健二 

彼の音楽をよく聴いていた時期があった。
最近聴いているのは原田知世。
彼女の声は心地よい。

ひょんなことから小沢健二が童話を書いていることを知った。
そしてここに行きついた。

一回読んだだけではダメである。
何度も何度も読み、砕いて、
そして誰かと話してみたいと思う。

今だからこそ、
読んで、考えていくべきなのだ。

うさぎ!


『愛し愛されて生きるのさ』
久々に聴こうかな。

映画 「おみおくりの作法」

            
ある人から紹介された映画である。
近いうちに観てみたい映画である。

同僚がしみじみと言うのである。
「結婚していると孤独死からは解放されていいな。」

本当の孤独死はそういうことなのかなと思うのだ。
結婚していても家族がいても、
孤独死は存在するように思えてならないのだ。

人は誰しも必ず誰かと関わりをもって生きている。


手紙

ある人に手紙を投函してもらえないかと頼まれた。
昔の結婚相手に手紙を書いたのだという。
その人との間には子供がいるのだけれど、
癌を宣告されて先も長くないので遺産相続などを考えると、
今の相手の人に迷惑をかけないためにも
そして親の都合で迷惑をかけた子供のためにも
いろいろなことを整理しなくてはいけないんだと。
その人とはいろいろあってね、
手紙を受け取ってもらえるかも、
その人の手に届くかもわからないけどね。
と言いながら託された手紙。
そのような大事な手紙。
そこにはいろいろな思いが詰まっているのだろうし、
その手紙がもたらすものは私の想像以上なのだと思う。

事情はわからないけれど、
私が知る限りのその人を思い、
「良い方向に全てが流れていきますように」
と思いながら投函した。

映画『パパ、遺伝子組み換えってなぁに?』

          

体調を崩して仕事を長期で休んだ時、
食事を見直した。
その時から『GMO』には興味があり文献を手にとり、
少々勉強をした。

その後は、大豆食品などに記載されている
「遺伝子組み換えでない」
という表示に敏感となった。
他にも「減農」という言葉を探すようにもなった。

この映画の冒頭は、
子供をもつようになって、、、

私の両親も食には気をつけていたように思う。
ジャンクフードといわれるものを口にしたのは、
随分と大きくなってからであるし、
国民的飲料も未だ飲んだことがなかったり、

母は「無添加食品」を好んで購入していたのはよく覚えている。
今でも実家に帰ると食品のことに関してはよく言われる。
そんな母がいつから食を気にするようになったのかわからない。
今度聞いてみようかなぁと思った。

この映画の中にもでてくるが、
食事を気にすると少々窮屈になることもある。
外食をするときも、心のどこかで、
この料理に使われているものは大丈夫かなぁ?とか、
そんなことを考え出すと、
買い物も外食先も選択するのが難しくなる。

そして何より、安全と思われるものは高いのである。
しかし、その過程や関わっている人のこだわりなどを知るうちに
それは高くないんだと気づく。
むしろ、少々安いのではと思うこともある。

子供がパパに問う。
「みんながGMOを買わなければ、上手くいくよね?」と。

世の中は簡単と思えることがとても難しいのである。













20年前 20年 20年後

20年前は高校生。
普段そんな風に数字として振り返ることはないが、
高校時代の友人と会うと必ずでる。

高校時代、学校が好きだなって思ったことなど多分ない。
思い出もそんなにない。
創作ダンスの時間がとてつもなく嫌だったとか、
そういうネガティブなことだけは大雑把に覚えている。

高校時代、いつも3人でいたわけではない。
そもそも、どんな出会いであったかもしっかりとは覚えていない。
彼女と私は数少ない高校からの入学組。
もうひとりの彼女は小学校からの持ち上がり組。
3人でいるようになったのはいつからか、
あまりよく覚えていないけれど、
今も大事な存在であることに変わりはない。

渋谷の青学の前のマックで飲み物とポテトだけでダラダラと過ごした時。
温泉でダラダラと過ごした時。

3人でいると何ひとつアクティブなことはしない。
とにかくダラダラとする。

食事をしてもひたすら話す。
それは今もかわらない。

時々しか会えない今も、
会えば話題には事欠かない。

退屈であると思うことも、
話題を考えることも、
何もない。

とにかく簡単に言えば
『気が合う』のだ。

久々に、高校に足を踏み入れた。
当時の先生はほとんどいない。
そして、お亡くなりになっている先生もいた。
その事実が20年という月日の長さを感じた。

当時の体育の先生に会った。
体育が一番苦手であった生徒の私のことは覚えていないはずである。
当時の私は体育の先生とはなるべく距離を置いていたので尚のこと。

けれども、20年の月日はいろんなことを綺麗にしてくれるようで、
久々に会った先生には懐かしさを思い出し、
この学校でよかったなと思い、
友人ふたりが、娘は母校に入学させたいと話すのを聞き、
私に娘ができたら、やっぱり私も母校に入学させたいなと、
思ったのである。

気が合う友人と出会えた学校に感謝の気持ちで、
高校を後にして、
2度目のお茶をして、
ひたすら喋り続け、
沢山笑い、
今回も楽しい気持ちで別れた。

次は、当時から大人気であった学校のバザーがある7月に集合予定。
今から楽しみである。












珈琲と本

 宿には珈琲を自由に飲めるライブラリーがあった。
そこに置いてある本はどれも興味深いものであったが、
相棒がとった本は糸井重里 「小さいことばを歌う場所」
その本は昨日の夜に私が読んだ本。
偶然にも同じ本と手にとり読んだ。
本の趣味はお互いよく合うのである。
珈琲が好きなところも。
けれども、珈琲の濃さの好みは少々異なる。
それ位の距離が心地よい。




長野 界リゾート


行きたかった宿の予約がとれたため相棒と長野に足を運んだ。
HPでのイメージで行きたいと思ったのだが、その期待は裏切られるどころか
また行きたくなる宿であった。

相棒は日本酒を熱燗にして飲み、
私は蕎麦茶とかまどで蒸していた野菜を美味しいお塩で食す。

旅の高揚と雰囲気を引き算しても、
美味しかったのである。

かまどやいろりは難しいかもしれない。
けれども、火鉢があるような生活ができたらいいなと思わせる、
そんなひと時であった。

火は癒しの効果があると言うが、
本当だなと思ったのである。