3/14/2015

ムヒカ大統領のスピーチ。




私の国はどこに向かっているのかわからない。
国民の代表は国民を幸せになるよう導いていく存在であるはずだ。
しかし、現状はどうだろうか。
私の国の代表は私達を幸せに導く方向に向かわせているとは思えない。

彼のスピーチが突きささる。
『発展は幸福をもたらすものでないといけない』

改革も幸福をもたらすものではないといけないと思うのだ。
改革、改革と言われる今。
本当に私たちが幸福に向かっているとはやっぱり思えない。

ムヒカ大統領の映画が公開されるらしい。
映画館に足を運ぼうと思う。

3/08/2015

サラの鍵



友人からクッキーをもらった。
友人からチョコレートをもらった。
友人からオリジナルラベルのワインをもらった。
友人たちから紡いだ言葉ももらった。
小さい頃は誕生日とはどこかワクワクするものであった。
両親から贈られた本を好きなだけ読んでいる日でもあった。
誕生日会を開いてもらうこともあったけど、
それよりもひとりで本を読んでいる時間の方が好きであった。
いつの日からか誕生日はワクワクするものでもなく、
ひとつの通過点となった。

けれども、最近はPCが友人の誕生日を数日前から教えてくれる。
私の誕生日も同じようにお知らせがいっているのだろう。

誕生日はお祝いされるという意味もあるかもしれない。
けれども、誕生日はその人を思い出す日でもである。
普段連絡をとったり会ったりする友人ではなくとも、
一年に一回だけ、その人を思い出す。
それが誕生日だと最近は思っているので、
小さい頃の誕生日とは違うワクワクがある。

小川糸の本を読んだ。
その中で紹介していた『サラの鍵』を観た。

ものすごい映画だった。
映画館で観なかったことが悔やまれる映画であった。
この映画は小さな映画館で観る映画館であったのだ。
エンドロールが終わってもなお、席をたつことができないような映画なのだ。

いつか、再上映をしてくれることを願うような映画であった。

3/07/2015

争い。



近所に住む友人に会いに行った。
まだ一歳に満たない彼。
笑顔ってこんなに癒しの力があるのだと。
子供ってこんなに癒しの力があるのだと。
あまりの可愛さに今もなおその時間を思い出すと、
笑みがこぼれてしまう。

NHKで放映されている『マッサン』を観ている。
今週は戦地に息子を送り出す家族の葛藤や遺書を書く息子、
の話であった。

戦争を経験したことはない。
戦争は、本や資料館、授業で習った知識しかない。
戦争は恐ろしいものであるとの漠然とした感情はある。
そして、『マッサン』を観て思う。
戦地に送り出された人たち。
戦地に送り出した人たち。
皆それぞれの思いがあったのだろう。
その思いは当事者にしかわからない。
私は知ることしかできない。
けれども、これだけは思うのだ。

戦争をしてはいけない。
友人の子供たちに戦争をする国を託してはいけないのだ。

世界中が騒めいている。
世界中の頭脳を使って命を犠牲にすることなく平和をもたらすことを強くのぞむ。

そんなことを、
友人の子に会い、
『マッサン』を観て、
思ったのだ。

時間を作り、『サラの鍵』という映画を観ようと思っている。


3/03/2015

利益を追求していった先にあるものは。 つづき

つづき。

利益を追求し患者は増える。
けれどもスタッフの数は変わらず。

違うというけれど、
現実は混合病棟となり、
認知症の人もいれば、
術後の人もいれば、
終末期の人もいれば、
全介助の人もいれば、
様々な疾患、
様々な期の患者がいる。

スタッフが減る夜勤帯。
夜間は病が悪化する。
暗く静かな時間は、
眠れない人を、
痛みを、
苦しさを、
増長する。

ナースコールが鳴り止まない夜間。
患者は辛く、
スタッフは疲労が増す。

患者の辛さを考えると、
疲労なんて、
と思わなくてはと思いたいが、
現実はなまりのような身体を動かすことに精一杯で、
笑顔も優しさもなくなっていく。

申し訳ないと、
自己嫌悪に陥り、
更に疲労は増す。

利益を追求していった先にあるものは。
こういう現実も生むと気づいているのだろうか。

明け方から状態悪化した肺癌の末期の患者。
家族が受け止めきれず、
最期をどうむかえるか決められない。
外せないであろう人工呼吸器にのせる可能性もある。

医療者からしてみれば、
外せないであろう人工呼吸器にのせ、
苦痛な最期をむかえることにはネガティブである。
しかし、家族のほんのわずかな希望にかけたい気持ち。
それは、当然のことであり結論をだせずに涙するのは、
仕方のないことである。

かけつけた娘さんが涙ながらに話す。
その話を聞きながら、
もっと優しくありたいと思った。

医療の世界には利益だけではないものがあると思うのだ。




3/01/2015

利益を追求していった先にあるものは。

働くということはどういうことか。
考える。

生きていく上でお金とは絶対的に必要なものであり、
働いてお金を得ることは重要なことである。

雇用されている側としては、
給与を頂いている身としては、
大きなことは言えない。

それでも、
やっぱり、
どこかに違和感を感じる。

この国の医療費は危機に瀕している。
沢山の改定も致し方ないのだと思う。

だから、病院も生き残るために必死なんだと思う。
それでも、
やっぱり、
どこかに違和感を感じるのだ。

これをやれば、
これを書けば、
これをこれをと、
利益だけのために仕事が増やされ、
人件費は削除していく。

利益は大事である。
無給で働けはしない。

それでも、
やっぱり、
どこかに違和感を感じるのだ。

私たちが向き合うのは人である。
数字だけでばっさり切れるものではない。
けれども、数字だけにおどらされ、
私たちは疲弊する。

そして、優しさがそぎ落とされ、
自己嫌悪が与えられ、
仕事に対するモチベーションは下降する。

仕事場の雰囲気は悪くなり、
いつも、
どこか、
疲れている。

そんな状況では人としっかり向き合えない。
けれどもそれではよくないと誰も思っており、
疲弊した体を精神をなかったことにして、
働くのだ。

そんなことを全く感じないその人達は、
もっともっと利益を追求する。
何も振り返らないで。

お金は大事である。
けれどもそれだけではないのだ。
それだけではこの仕事は務まらない。
なぜなら、人が好きで看護が好きだから。


日々、これをするとこんなに収益がというけれど、
それは私たちにとっては複雑なものであると、
その人達に知ってもらいたいと、
誰もが思っている。

けれども、一度利益を感じたその人達は更に利益のみを
追求することに躍起になる。

どこかで違和感を感じ、
モチベーションを無くした人達が働いているとも知らずに。


つづく