2/03/2015

ひとつの事実に対して思うこと。

今世界で起こっていることは私の想像を大きく超えてしまっている。
私が37年間で身につけていったものは
到底役にたつものではないように思えてならない。

私は思考を動かすことすら困難となり、
もうどうしていけばいいのか、大きな壁を目の前に呆然とする。
目を見開いて世界を見るときなのかもしれない。
けれども、見開く事はあまりに辛く閉じてしまいたくなる。

ひとつの事実の周囲にあるものは何なのか。
情報は沢山ある。
けれども、その膨大な情報はどれもこれも真実であるようで、
真実ではないようにも思うのだ。

ある人が言うように、彼の死を無駄にしないためには彼の思いを
これからに繋げていかなくてはいけないのだろう。

確かにそうなんだと思う。
けれども、それだけでは足りないのではないか。
彼の死だけではなく、沢山の到底説明のつけることができない、
不条理な死があることを。

産まれてきたときから、沢山のものを背負っているかもしれない。
しかし、あれほどの残虐な行為にかりたてるものは、生きていく過程
で作られたものであろう。
産まれたときは、皆が優しさと希望を持っていたはずなのに。
歯車が崩れた時、それは連鎖する。

生きていく中で積もった憎しみを違うものに変化させるにはどうしたらいいのだろうか。
世界が怒りや憎しみの渦で濁っている、そういう中で何をすればいいのだろうか。

旅をした時を思う。
広島を思い、
ボスニアを思い、
クラコフを思う。

皆、同じ人間であるという原点に戻ることはそんなにも難しいものなんだろうか。

貴方が奪おうとしている命が、
自分の愛する人であったらと思うことは難しいものなのだろうか。

いつの日か、自分が被害者になるかもしれない。
けれどもそれよりも何より怖いのは自分が加害者になることである。

平和を強く望む。

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