2/10/2015

考えていかなくてはいけない。

 

「報復」「復讐」「絶対に許さない」そんな言葉が飛び交う。
私の国は、連日沢山のことを報道した。
けれども、それはとても限局された報道であったと思った。
いつも思う。
人はひとりの人間の死には敏感である。
けれども沢山の人間の死には鈍感である。

どれだけの人が知っているだろうか。
去年、7月7日から8月26日までの50日間でのガザ大規模侵攻での
現実を。

パレスチナ.ガザ側で死者2,205人(民間人1,483人)、
負傷者11,099人、イスラエル側で死者71人(民間人4人)の被害があった。

『土井敏邦』
ジャーナリストである彼のコラムはいつも胸をつく。
もう一度彼の作品である『沈黙を破る』を観る。
そして今回の様々なことを自分なりに考える。

答えがでるものではないけど、考えていかなくてはならない。
私たちの国も、考えていかなくてはならないのだ。
「絶対に許さない」の先にあるものが、平和に結びつくものであるのか?
「復讐」の先にあるものが、平和に結びつくものであるのか?
「報復」の先にあるものが、平和に結びつくものであるのか?

彼らの音楽を聞きながら、字幕を追いながら、そして彼らの表情を見ながら、
考えていかないといけないとそう思ったのである。




2/09/2015

シェアハウスの友人



数ヶ月前に関西に住む友人からメールが届いた。
『東京に行くので逢えませんか。』

彼女とは、初めてのシェアハウスで出逢った。
社交的ではない私は沢山の友人はできなかったが、
その場所で得た人の存在は大きいものとなった。

こういう突然のお誘いほど嬉しいものはない。
東京に行くという予定の中に自分の存在を組み込んでくれること
はとても嬉しかった。

久々に逢ったがそこには日常があり、あの時と同じ空気が流れていた。
一緒にタイ料理を食しながら話し、
小石川後楽園で3分咲きの梅を観賞した。

『つぼみ』の梅に未来を感じ、優しさを感じ、
そして友人との時間にゆっくりとした時の流れを感じ、
どこか優しい気分で家路に着いた。

もっと話したいことはあったはずなのに、
逢ったことに満足してしまい多くを語ることはできなかった。
だから、今年は神戸の地に足を踏み入れたいと、そう思った。

その時には西に住む友人達に、
『逢えませんか。』と連絡をしよう。









2/03/2015

ひとつの事実に対して思うこと。

今世界で起こっていることは私の想像を大きく超えてしまっている。
私が37年間で身につけていったものは
到底役にたつものではないように思えてならない。

私は思考を動かすことすら困難となり、
もうどうしていけばいいのか、大きな壁を目の前に呆然とする。
目を見開いて世界を見るときなのかもしれない。
けれども、見開く事はあまりに辛く閉じてしまいたくなる。

ひとつの事実の周囲にあるものは何なのか。
情報は沢山ある。
けれども、その膨大な情報はどれもこれも真実であるようで、
真実ではないようにも思うのだ。

ある人が言うように、彼の死を無駄にしないためには彼の思いを
これからに繋げていかなくてはいけないのだろう。

確かにそうなんだと思う。
けれども、それだけでは足りないのではないか。
彼の死だけではなく、沢山の到底説明のつけることができない、
不条理な死があることを。

産まれてきたときから、沢山のものを背負っているかもしれない。
しかし、あれほどの残虐な行為にかりたてるものは、生きていく過程
で作られたものであろう。
産まれたときは、皆が優しさと希望を持っていたはずなのに。
歯車が崩れた時、それは連鎖する。

生きていく中で積もった憎しみを違うものに変化させるにはどうしたらいいのだろうか。
世界が怒りや憎しみの渦で濁っている、そういう中で何をすればいいのだろうか。

旅をした時を思う。
広島を思い、
ボスニアを思い、
クラコフを思う。

皆、同じ人間であるという原点に戻ることはそんなにも難しいものなんだろうか。

貴方が奪おうとしている命が、
自分の愛する人であったらと思うことは難しいものなのだろうか。

いつの日か、自分が被害者になるかもしれない。
けれどもそれよりも何より怖いのは自分が加害者になることである。

平和を強く望む。