1/23/2015

本の虫 でないのだけれど   清水眞砂子

久々にとても素敵な本に出会った。
図書館で何気なく手にした。
タイトルに惹かれたからだ。
パラパラとめくり、なんとなく興味が湧き借りることにした。
児童文学者である彼女のエッセイはとても興味深い内容であった。
小さい頃から慣れ親しんだ本が、この本には散りばめられていた。
そして、もう一度手にとらなくてはいけない。
今こそ、読む時かもしれないと、そう思ったのである。

先生はこの本の中で文学についてこのように書いている。

『文学は何を書き、何を私たちに伝えてくれるのでしょう?言葉にすれば、そんなに難しいことではないかもしれません。文学作品には例えば、人は忙しいとどうなるか、怒りにかられるとどういうことをしてしまうかが書かれています。悲しいとはどういうことで、悲しみがすぎるとどうなってしまうか、嬉しいとはどういうことか、嫉妬すると人間はどんなことをするか、追い詰められてしまうとどんなことをしでかしてしまうか、そういったことも文学作品にはたくさん書かれています。実際に生の人間はみんなしていることなのですけれども、生の人間は悲しい時に「私の心の中で今こういうことが起こっていて、悲しくてたまりません」などと相手には言いません。ところが文学はそれを伝えてくれます。  島田雅彦さんがある時新聞にこんなことを書いていました。「文学は個人が生きのびるための知恵の集積であると同時に、人間の愚かさの研究でもある。」』

先生はこんなことも言っている。
『人間の中には悪魔と天使が同居している。 社会で極限状況が生まれたら自分はもちろんしてしまうし、たぶんしないですむ人間はほとんどいないでしょう。』

両親が幼いころから沢山の本を与えてくれたのは、今の私にとって
幸運なことであったのだと再確認をすることできたのである。

今、日本では世界では沢山のことが起きている。
それは喜ばしいことでないことのほうが多いように思う。
負の事柄のほうが意識に残りやすいのかもしれない。
だから沢山起こっていると思うのかもしれない。
けれども実際のところ、やっぱり負のエネルギーのほうが強いと
思えてならない。

もう一度、文学に学ばなくてはいけないのかもしれない。
やはり、世界が平和になるためには、すべての人に教育が必要なのだろう。

追記
皆に、土井敏邦監督の『沈黙を破る』を観てほしいと願う。
今観るべきではないかと、そう思うのだ。