7/23/2014

争いと飛行機

大津島 回天 資料館

20代の頃、沢木耕太郎の深夜特急に憧れて旅にでた。
両親は仕事を辞めては旅をする私に言う事はただひとつ「気をつけなさい。」。しかし母方の祖母はいい顔をしなかった。「あんな鉄のかたまりに乗って異国に行くなんて危ない。」そう繰り返された。あの時は特に気にとめることもなく、「おばあちゃん、鉄のかたまりじゃないから大丈夫よ。安全なの。」そんなようなことを答え、それでも納得していない様子の祖母とそれ以来、飛行機の話も旅の話もすることはなかった。

今回の民間機の事故のニュースを聞き思ったのだ。祖母は90歳になるとこであり、祖父母ともに戦争体験者である。母から昔聞いたことがある。祖父母から一切戦争の話を聞いたことがないと。娘に話さないのだから勿論孫の私が祖父母から戦争の話を聞いたことはなかったし、私自身もそれを聞くことは何かいけないような気がして聞いたことがない。

戦争の話は、患者さんから聞くことが多い気がする。看護師と患者という立場は、何か話し易い程よい距離があるのか様々なことを話してくれる人が多い。家族のことだったり仕事のことだったり様々であるけど、戦争時代の人は戦争時代の話を寂しげに話す。時々、自分はお国のために空軍で陸軍で海軍で頑張ったんだよと話す人もいる。 そこには、私達が知る事のできない何か大きな歴史と悲しみを感じる。

戦争体験者ではない私は、体験談を聞いたり資料館に足を運んだりして戦争が本当に自分の国でも起きていたんだと感じる。

祖母が私にあのような事を言ったのは戦争の経験からではないかと思ったのだ。戦争にはいつも飛行機がでてくる。回天は潜水艦であるが、飛行機が使われることが多かったのは確かであろう。 祖母にとっては飛行機の存在はその時代の悲しくも怖い記憶を思い出すひとつなのかもしれないと、ニュースを聞きながら思ったのである。

私にとって飛行機は希望であった。世界を旅するには飛行機の存在は必須である。そして、飛行機は異国に自分を運んでくれる素敵なパートナーであるのだ。今回の飛行機に乗っていた人達にも様々な道があったであろう。 皆が争いと遠い位置にいただろう。誰もが搭乗口でこのような悲しい未来を想像はしてなかったのだろう。

争いから生まれるものは、誰もが望まないものばかりである。
池澤夏樹の「イラクの小さな橋を渡って」の冒頭文

「もしも戦争になった時、
どういう人々の上に爆弾が降るのか、
そこが知りたかった。

2001年、
国連は経済制裁にようイラクの支社の数を
150万人と推定するレポートを発表した。
このうち62万人が5歳以下の子供だった。

実に明るい人達だ。
しかもおそろしく親切。

この国は全体として
十数年前の段階で足踏みをしている。

食べるものは充分にあったし、
質も申し分ない

小さな橋を渡った時、
戦争というものの具体的なイメージが
いきなり迫ってきた

この子たちをアメリカの爆弾が殺す理由は何もない」

久々に彼のこの本を手にした。
国は変われど、世の中で争いは耐えない。
国内での争いも耐えない。

一度争いが始まると、その爪痕が消えることは容易ではない。
その爪痕が消えぬまま、また次の争いが起きる。

今回の民間機のニュースは、どこか遠い国でのことと思ってしまっていた自分の意識を、身近に起きる可能性まで引き上げた。

毎日繰り返しラジオから流れる、ウクライナとイスラエルの話。
他にも沢山の争いが今も起きている。

私にできることは、知る事、そして考える事。
そして祈り。

平和とはそんなにも難しいものなのだろうか。
人の命以上に大事なものはあるのだろうか。



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