7/26/2014

上野動物園

 以前は年間パスポートを持っていた。今はないけど、やっぱり好きであるという気持ちに変わりはないのが、動物園。 動物園といったらお弁当、ということで友人の分のお弁当も作り、友人の可愛い子供と友人とともに上野動物園に行った。晴れますようにと念じていたのが通じたのか、それはもう暑かった。


この猿、もっと近くで撮影するんであったと後悔。それはそれは面白い顔をしているのだ。 なんだろうか、何度みてもシュールな笑いが。  何かに似てると思ったら小人図鑑のこびとさんに似ている。 もうそれだけで、友人と大笑い。 子供より大人のほうが楽しんでいる。そう、動物園は面白いのである。くすっとさせる笑いと大きな笑いのふたつが用意されている。是非とも沢山の人に訪れてもらいたい場所である。彼らも、檻での生活での唯一の救いはみんなに見られて話題にされて愛されることではないかと、私は思っている。  真実は彼らに聞いてみないことにはわからないが。


母にしっかりとつかまる姿が大好きである。 子供はぎゅっと掴まるのだ。 その姿に本能を感じる。世の中で子供が絡む悲しいニュースを聞くたびに思う。 子供は両親をぎゅっとしなくてはいけないの、と。

児童養護施設の子供の大半はそれが叶わなかった。でも小さいながらに守ってくれる大人をわかっていたのだろう。 お出かけの時。 手をつなぐ時の力は強かった。 あの時に2歳、3歳だった子ももう中学生位だろう。 一緒に出かけたときのぎゅっを、友人の子供をみながら思い出した。     

ドバイ 続き。

 路地裏のようなとこやスークをのぞき、小さな船で反対岸に到着。 そこから歩いて、国立博物館へむかう。ドバイの歴史に触れた後は、郊外の巨大ショッピングモールへ。  目的は、世界一美しいと言われているスターバックス、そしてスーパーのエコバック購入、後は特になし。

その巨大モールは歩くだけでも大変であり、目的地以外はほぼ見る事なく終わった。  そしてその足で、有名な噴水ショー?を見にいくことにした。あまり興味はなかったのだが、そのショーを間近で見ると興奮した。 大迫力であり、単純に美しいとも思ったのである。


スーパーで購入したお惣菜を飛行機でもらったナイフやフォーク等を最大限活用し貧乏旅行にしてはなかなか豪華な晩餐となる。どれも美味しく頂き、今回残ったお金もほんの少し。そのほんの少しのお金を持ち空港へとむかった。


次回のドバイ旅は、もう少し冒険をしたいと思いながらとりあえず今回の入り口までの旅を終えて帰国した。  さて、去年の旅を書きつつ今年の旅はどこにしようかと考えているが、未だ決まらない。   次は、ポルトガルかなと思いつつ、他の国が浮かんでは消える。  そんな時が実は一番楽しいのかもしれない。

映画『モンサントの不自然な食べもの』予告編




母は食事にうるさい人であったように思う。うるさいというやや否定的な感じがするのでこだわりとなおそう。そう。母は食事にこだわりの強い人であった。それを小さい頃に理解していたわけではない。外食をするようになったり友人と小さい頃の食事の話をしたり、そして一人暮らしをして、結婚をして、そういう段階で少しづつ気づいたのである。小さい頃から国産のものを食べ、おやつは母の手作りであったという食生活がとても幸運であったことを。

そんな母の影響か、私も普段から国産を心がけている。更に身体を壊してからは、産地や農薬の有無や量なども気にかけるようになった。割高ではあるが、手間ひまかけて作られた物は美味しい。そして安全である。

お休みの日、商店街でお買い物をした。先ずは自転車がパンクをしたので自転車を預けその足で隣の本屋さんで本を購入し、少し歩いた所にある地元野菜を扱ったお店でお野菜を購入、またまた歩いたところにあるお肉屋さんでお肉を購入した。自転車をひきとりにいくまで時間があるので、少々歩き図書館で涼みつつ本をかりる。そして戻り自転車をひきとり、家路についた。

自転車屋さんに、月に一回は空気をいれればパンクは滅多にしないよと言われ。
お肉屋さんでは、購入したタタキの美味しい食べ方を教わり。
お野菜は農家さんが丁度並べているところに遭遇したため、生産者の人を知る。

地産地消が全てであるとは勿論思っていない。
けれども、自分の身体、身近な人の身体を守るには先ずは食ではないかと思う。
そして、生活の場を守るためにも食以外もできる限り近所を活用していきたいと思っている。

図書館で借りてきた本

☆ぼくが見てきた戦争と平和 長倉洋海
☆きみのためのバラ 池澤夏樹
☆イラクの小さな橋を渡って 池澤夏樹
☆うちの常備菜と保存食 どいちなつ
☆まるごとオリーブ
☆あかちゃんのお出かけは毎日がおしゃれ日和 emico

購入した本
☆呪いの時代 内田樹



7/23/2014

争いと飛行機

大津島 回天 資料館

20代の頃、沢木耕太郎の深夜特急に憧れて旅にでた。
両親は仕事を辞めては旅をする私に言う事はただひとつ「気をつけなさい。」。しかし母方の祖母はいい顔をしなかった。「あんな鉄のかたまりに乗って異国に行くなんて危ない。」そう繰り返された。あの時は特に気にとめることもなく、「おばあちゃん、鉄のかたまりじゃないから大丈夫よ。安全なの。」そんなようなことを答え、それでも納得していない様子の祖母とそれ以来、飛行機の話も旅の話もすることはなかった。

今回の民間機の事故のニュースを聞き思ったのだ。祖母は90歳になるとこであり、祖父母ともに戦争体験者である。母から昔聞いたことがある。祖父母から一切戦争の話を聞いたことがないと。娘に話さないのだから勿論孫の私が祖父母から戦争の話を聞いたことはなかったし、私自身もそれを聞くことは何かいけないような気がして聞いたことがない。

戦争の話は、患者さんから聞くことが多い気がする。看護師と患者という立場は、何か話し易い程よい距離があるのか様々なことを話してくれる人が多い。家族のことだったり仕事のことだったり様々であるけど、戦争時代の人は戦争時代の話を寂しげに話す。時々、自分はお国のために空軍で陸軍で海軍で頑張ったんだよと話す人もいる。 そこには、私達が知る事のできない何か大きな歴史と悲しみを感じる。

戦争体験者ではない私は、体験談を聞いたり資料館に足を運んだりして戦争が本当に自分の国でも起きていたんだと感じる。

祖母が私にあのような事を言ったのは戦争の経験からではないかと思ったのだ。戦争にはいつも飛行機がでてくる。回天は潜水艦であるが、飛行機が使われることが多かったのは確かであろう。 祖母にとっては飛行機の存在はその時代の悲しくも怖い記憶を思い出すひとつなのかもしれないと、ニュースを聞きながら思ったのである。

私にとって飛行機は希望であった。世界を旅するには飛行機の存在は必須である。そして、飛行機は異国に自分を運んでくれる素敵なパートナーであるのだ。今回の飛行機に乗っていた人達にも様々な道があったであろう。 皆が争いと遠い位置にいただろう。誰もが搭乗口でこのような悲しい未来を想像はしてなかったのだろう。

争いから生まれるものは、誰もが望まないものばかりである。
池澤夏樹の「イラクの小さな橋を渡って」の冒頭文

「もしも戦争になった時、
どういう人々の上に爆弾が降るのか、
そこが知りたかった。

2001年、
国連は経済制裁にようイラクの支社の数を
150万人と推定するレポートを発表した。
このうち62万人が5歳以下の子供だった。

実に明るい人達だ。
しかもおそろしく親切。

この国は全体として
十数年前の段階で足踏みをしている。

食べるものは充分にあったし、
質も申し分ない

小さな橋を渡った時、
戦争というものの具体的なイメージが
いきなり迫ってきた

この子たちをアメリカの爆弾が殺す理由は何もない」

久々に彼のこの本を手にした。
国は変われど、世の中で争いは耐えない。
国内での争いも耐えない。

一度争いが始まると、その爪痕が消えることは容易ではない。
その爪痕が消えぬまま、また次の争いが起きる。

今回の民間機のニュースは、どこか遠い国でのことと思ってしまっていた自分の意識を、身近に起きる可能性まで引き上げた。

毎日繰り返しラジオから流れる、ウクライナとイスラエルの話。
他にも沢山の争いが今も起きている。

私にできることは、知る事、そして考える事。
そして祈り。

平和とはそんなにも難しいものなのだろうか。
人の命以上に大事なものはあるのだろうか。



7/18/2014

働くことの本来の意味とは。 つづき

金沢にて

お金がなくても楽しく暮らしていける、そんなドキュメンタリーを観た。
その中の会話でなるほどと思うことがあった。

国民が皆貴方のような生活をするようになったらどうしますか?
の問いに彼は、「国のために国民がいるわけではないのだから好きに生きていけばいいのではないか。」というようなことを答えていた。彼は、定職にはつかず、生きていくのに最低限のお金を稼ぎ、楽しく暮らしている。シェアハウスに住み、シェア別荘で過ごし、仲間と生きている。 その彼が「愛する人ができて、その人が働いてほしいと願えば働くかもしれない。」とも答えていた。

80代のおじいちゃまは現役の職人さんであった。
体調を崩し3年。けれども、彼は働いていた。とうとう、働く体力を奪われ治療のため入院をする。彼は静かに言うのだ。「治りたいんですよ。また働きたいんですよ。」と。治癒することは難しい疾患である。けれども、彼にはもう一度働いてほしいとその静かな言葉を聞きながら思う。 もう彼にはお金を稼ぐ必要はない。 彼にとって仕事は人生そのものなのかも知れない。 彼にしかできない技。 普段ほとんど話さない彼が仕事の話となると静かながらに饒舌になる姿はとても素敵であった。


好きな仕事をする。
愛する人のために仕事をする。
生きるために仕事をする。
誰も好まないけど誰かがやらなくてはいけないからする。

他にも沢山の理由があるのだろう。
仕事には個々の理由があり、それは決して全てがポジティブな理由ばかりではない。
けれども、形はどうであれもう生きている事が働く事なのかもしれない。

と思うけれど、やっぱり皆にしっかりと税金は納めてもらいたいという気持ちは捨てきれない。

先ずは、自分と近しい人の日々の小さな幸せのために働こう。


「働きたくないなぁ」という思いを小さめにして生きていこうと、そんなことを一見対照的でそうではないふたりの人を知り、そして考え、思ったのだ。






働くことの本来の意味とは。 はじめに


からくり箱  金沢にて。



高校生の時の漠然とした思いが今の私の仕事となった。
アルバイトで仕事の面白さを知り、頑張れば認められる事を知った。
5年間働いた職場では、店長代理まで任されることもあった。
それがどれくらいすごい事であるかは自分が働きだして知る。
あの時は、とにかく働けば働くだけお金をもらえることが嬉しかったし、卒業したら就職したらどうだい、と誘われることが、なんだか自分の存在を認めてくれているような気がして更に頑張ろうという気分になっていたと思う。

そんな私は、手に職をつけひとりでも生きていけるようになりたいと強く思うようになり高校卒業後は資格のための学校に通った。 特別その職業に思い入れなどはなかった。なんせ私は病気知らずの子供だったから。学校に通いだした時、皆がその職業に対する強い思いを語るのを前に、貴方はなぜとの問いに「ひとりでも生きていけるように。」と可愛げのない言葉を発していた記憶がある。

幼少期より衣食住に困ることなどなかったし、どちらかと言うとお金の心配などした事はなかったから自分の家はお金持ちであると思い込んでいた位である。だから、「ひとりでも生きていけるように。」というのは本当に漠然としと思いからである。

最近自分にあう仕事がみつからないという若い人の言葉をよく聞く。
就職しても、自分に合う仕事ではないと辞めてしまうという話も聞く。
その現状がどれほどのものかは知らないが、そもそも自分に合う仕事なんてそう簡単にみつかるものなのだろうか。 私は資格をとるための学校であったから、その3年間は合うか合わないかなどと考える暇もなくひたすら勉強をした。今思えば、今まで一番勉強をしたのではないかという程。そして、就職してからはもっと勉強をした。沢山の厳しい指導も受けたし、涙も相当流したし、辞めたいと毎日のように思っていたけど、それが仕事というものだと思っていたから、自分に合うとか合わないという思いはなかった。これが、お金をもらって働くことの厳しさであるのだと、そう思っていたのだ。






7/05/2014

微笑ましい。



最寄り駅を降り、自宅と反対に歩くとある住宅街の洋菓子屋さんのケーキが好きである。
ここのケーキを食べると幸せな気持ちになる。突然、閉店ですという張り紙が貼られそうな雰囲気がある洋菓子屋さん。 なくならないことを願いながらもいつもいつも、これが最後になるかもしれないと大事に食べたくなるような、そんなケーキである。


美容院までは歩いて行ける。早めに家を出たため寄り道をした。 近くのモスバーガーで珈琲とサラダを注文した。今日のレタスとトマトは河瀬さんと古原さんの畑でできましと小さな黒板に書いてあった。 勿論知らない人だけど、その新鮮なサラダが更に美味しく感じる。小さな男の子がお父さんと一緒に隣の隣に座る。その小さな男の子は、お父さんと頭がくっつきそうになる位の距離で小さな声で話をしている。耳をすましてみると、お父さんがこう言っていた。「ここの野菜は他のハンバーガー屋さんと違うだろう?美味しいな。」「うん、とっても美味しい。」 そんな内緒話のような会話を聞いていると、隣に小さな女の子とお父さんが座った。 男同士ではないからか、特に隣の親子は会話をもたない。でも楽しそうにしている。しばらくして、私が荷物をとりそろそろ行こうか考えていると、女の子が立った。そして、椅子を壁ぎわまで寄せて座りなおした。それをみていたお父さんは最初不思議そうな顔をしていたが、「そっか、そういうことか。」と女の子に笑顔をみせた。そう、彼女は私が出やすいように椅子をずらしてくれたのだ。

赤ちゃんは好きである。でも子供は少々苦手である。けれども、そこにいた小さな男の子と女の子のおかげでその苦手な気分は随分と小さなものになった。 その「微笑ましい」光景に出会ったことで。普段あまり「微笑ましい」という言葉を使うことはないけれど、もっと使うことがあれば満ち足りた気分になるのではないかと、そう思ったのである。

更に短くした髪の毛に満足し、美容院をでるとしとしとと降っていた雨は止んでいた。

世間がなんだかざわざわしているこの頃。
反対意見も大事であるが、現状がどれだけ素晴らしいものであったかを国民が再認識するためには、反対意見は時々お休みにして今までのことを讃える時間を皆でもつのはどうだろうか。 怒りのパワーが強すぎると、大事なことがみえなくなってしまうことがあるかもしれないから。

そんなことを、なんとなく気分がよくなった私は歩きながら思ったのである。



雨の休日。



梅雨の時期。
幼い頃、雨の休日は家の中でしとしと降る雨を横目で眺め、そして耳で確認して、弟と静かに過ごした。父は出張の多い人であったから休日に家にいることは多くはなかった。母は静かに本を読んで過ごすのが好きな人であったから、私も弟も必然的に本を読み雨の休日を過ごすことが多かった。弟は本に飽きると、レゴブロックやお絵描きをして過ごしていた。時々、母が大きなテーブルを出してきた。皆で黙々とパズルをすることもあった。けれどもそんな日は決して多くなく、大抵は本を読んでいた。しとしとと降る雨は、私の読書の時間でもあった。その雨は読書の相棒としてとてもよかったのである。最近の雨は東南アジアを旅していた日々を思い出す。 突然バケツがひっくりかえったように振りだし、もうやりきったわと言わんばかりに止む。そして、傘を閉じた私達が雨が降ったことなど忘れてしまうのを恐れているのか、まだここに居ますよと教えたいのか、突然降り出したり、時には私は怒っているんですよと教えるためになのか、水たまりなんていうレベルではないものをよこしてくる。 水たまりをジャンプなんてさせないからねと言わんばかりに。  そう、私は怒っているのよ。ときっと言いたいのだ。  地球は。

最近本屋さんでみつけて購入した本
☆minimalism         大事なものはそんなにはない。最小限にしか持たずに最大限に豊かな暮らしをする『ミニマリズム』という生き方。
☆いいね③ ぬか漬けが好きなひと!

図書館で借りてきた本
☆人生の旅をゆく 2  よしもとばなな
☆すこやかな生き方のすすめ 桜井章一 よしもとばなな
☆涙の理由 重松清 茂木健一郎
☆彼女のこんだて帖  角田光代
☆食堂かたつむりの料理 小川糸
☆酔っていいたい夜もある 角田光代

図書館で借りてきたCD
☆『小沢征爾さんと、音楽について話をする』で聴いたクラシック  小沢征爾×村上春樹


今日は久しぶりに懐かしい休日である。
しとしと降る雨、薄暗い外、そして肌寒い。
ソファで、読書をする時間。
ものすごく小さな音で絢香の歌を聴く。
どの曲も知らないけれど、心地よい彼女の声がしとしとの雨とコラボレートは読書にぴったりであり、そして今日の気分にとても合うのだ。彼女の声の後は、ピアノ協奏曲をかけようか、それともリピートするか迷うところである。そんなことを考えると郵便屋さんがくる。 頼んでいた有機野菜が宮崎の農家から届いた。 さて、このとても美味しいであろう野菜をどう食するべきか。やっぱり最初はシンプルにいこうかな。

少しお腹が空いてきたので、少し前に千葉から届いたピーナッツバターをだしてきた。それは私の好きなピーナッツバターであった。 少し厚めのトーストに無造作にピーナッツバターをのせ少しだけ温めて、ちょっととろけた所で食すのが好きである。

植えようと思っていたハーブは明日にして、今日は美容院に行くことにした。
こないだ切った髪の毛をもっともっと短くしようと思いたったから。
その美容院はひとりしかいない。
だから、本を読みに行こうと思うのだ。