11/05/2013

理想の死に方とは存在しないかもしれない、でも・・・。

大おじいちゃまは90歳を越え老衰で天にむかった。
それが、大おじいちゃまの理想の死に方であったかはわからない。
でも、家族は喜んでいた。
苦しまず、安らかな顔で自宅の布団の上で眠りについたことを。

癌病棟に勤務していると、沢山の死に立ち会う。
最後に立ち会わなくとも、最期のステージを見守っていくことは多くある。

余命を告知しない方針の先生がいる。
私には疑問である。

病名は告知する。
余命は告知しない。
家族には話す。
だからそれでいい。
家族には、本人には話しませんと医師は言う。

いつも医師達は言う。

「生きる希望を奪いたくないから。」

けれども、余命が3週間、1ヶ月、2ヶ月と半年未満の人達をみると、
事実は生きるためにも必要なのではないかと思うのだ。

仮に事実を教えないとしても、それは供に生きてきた家族に委ねるべきものだと思うのだ。
確かに、委ねられた家族もあまりに突然のことで考えられないということもあると思う。
だから医療者は傾聴をしながら、答えを導き出す手伝いをしていく必要がある。
それは家族だけではなく、本人に対しても同じことが言えると思う。

今まで、辛い治療に、「治す」という希望だけで頑張ってきた患者には最期のステージをどのように過ごすかを自分で決める権利があると思うし、必要であると思う。

だから、様々な考え方があるかもしれないが、私は余命は告知するべきではないかと思うのだ。

人は人が思うより強いはずである。

貴方の余命は3週間です。

と言われたら、絶望的になるだろう。
けれども、それでも言うべきではないかと思う。
最期の時間は自分で決めるべきものだと思うのだ。

特に若い人は癌の進行が驚くほど早い。
昨日まで自分で入浴をしていた人が今日はトイレに歩くこともままならなくなることもある。
もう少し元気になったらと思って、外出も外泊もしないでいたら、もう動けない体になってしまった・・・ということもある。

何も知らないで、疑問と恐怖を抱え日々を過ごし病院のベッドで苦痛な顔で死んでいく人が少しでも少なくなることを願い、、、働いていきたいと思うのだ。

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