8/28/2013

平和とは、どういうものなのか。


「平和」
誰もが知っている言葉であり、誰もがその意味も知っていると思いたい。
けれども、現実はその言葉とはかけ離れたところにいるように思えてならない。

なんとなく、辞書を引いてみた。
p1099の「平和」の意味はこう記されている。
①戦争や争いごとがなくて、穏やかなこと②心配事やもめごとがなく、穏やかな様子
そして、対義語は「戦争」である。

p137の「穏やか」の意味はこう記されていた。
①何事もなく、静かな様子。のどかで安らかな様子。②静かで落ち着いた様子③心が安定していて、腹を立てたりしない様子④かたよりがなく適切な様子
そして、対義語の記載はなかった。


以前に訪れた「回天」。そこで、知覧を訪れた時以来の悲しみに陥った。
どんなにどんなに考えても、「戦争」に悲しみ以外の感情を持つことができない。

トルコとサウジアラビアに挟まれた国、そこはシリアである。
いつか、アレッポに行きたいと思っている。クラック ド シュバリエに行きたいと思って行る。以前私が訪れようと試みたときも、治安が悪く断念した。そして、今、シリアは悪いなんて言葉では片付けることはできない状況に陥ってる。

訪れたことがある人は皆同じようにこう言うのだ。
「とてもとても素敵な国なのよ。」

今のシリアの現状をどうにかするために、他の国が動きだすとしたら、内戦ではなく戦争が始まる。

ボスニアを訪れた時の衝撃を思い出す。
爆撃で半壊している学校に通う子供達を思い出す。

「内戦」も「戦争」も同じである。人の命を奪う以外に何をもたらすのだろうか。
「平和」にするために、犠牲にするものがあまりにも多いのだとしたら、「平和」とはどういうことを意味するものなのだろうか。

誰かその答えを教えてほしい。
辞書をひいてわかるものではない。それでもひかずにはいられなかった。
そして、今、シリアを旅したことがある友人にシリア政府観光局でもらったハガキで手紙を書き、投函してきた。 
「シリアの地に平和が訪れるためにはどうしたらいいのでしょうか?」

追伸
最近読んだ本にこんなことが書かれていた。 人は、数人の殺人には興味をもつし、怒りを感じる。 けれども、奪われた数が多すぎると、遠すぎて何も思わない。思ったとしても、ほんの少しのことである。   そうかも知れないと思った。 内戦や戦争によって起きたことだって、命を奪うという行為だから殺人である。  奪われた人、ひとりひとりには、その人の人生があるのだ。家族もいるのだ。友人もいるのだ。