7/02/2013

不透明なこと。

若い時分から、心配性の度がいささか域を超しているのは人に指摘をされなくとも十分に知っているのである。

家を出るときにガスの確認は3度はする。それでも不安で、玄関を閉めたあともう一度戻ってくることもしばしば。それはガスだけではなく、窓や水道やアイロン、ありとあらゆるものが心配となるのだ。  長期の旅に出るときなどは大変である。出ようと思ってから30分はこの『確認作業』に時間を要するのである。けれども、他人が確認してくれた場合、「大丈夫」の一言で安心となる。  要は私は他人より自分が信用できないのだ。否、同じ位といったほうがいいかもしれない。

五感を使っても自分を信用しきれない私にとって、この不透明な情報社会は生きづらいものである。アナログで生きている私にとって、この一見鮮明に見える不透明さが生きる過程で起きる様々なことを更なる不安に陥らせる手助けをするのである。

現代社会で必須な「機械」が得意であれば問題は生じないのかもしれない。
しかし、残念ながら得意ではない。それどころか、全く仲良くできていない現状である。

相手が見えないものは怖いのである。
インターネットでのお買い物もいつでもドキドキする。
格安航空券をとるときはインターネットで調べたとしても、最終的には電話をする。
新聞も本も電子版は好きになれない。
旅の情報も最終的には、ガイドブックであったり人からの情報がいいのである。

五感を使っても自分を信用できない私にとって、五感すら使えない「機械」は不透明な存在なのである。

勿論、そんな不透明な「機械」にとてもお世話になっているのも事実である。
だから、上手に付き合うことができればいいのだけれど、こんな風にコピーロボットさんが出現したりすると、不信感で一杯になってしまうのである。

私のような人にとっては、商店街でお買い物するくらいが丁度よく、
電話でチケットをとったり、手紙で確認したりするくらいが丁度よく、
新聞も本も紙の匂いを、感触を確認しながら読むのが丁度よく、
旅で逢った「この人!」、の情報や旅から戻った「この人!」の情報に耳を傾けるのが丁度いい。

情報と自分の間に『人』を感じたい。五感をフル活用させたい。
自分を信用しきれなくとも、最後は自分の感覚を信じ生きていきたい。


不透明なことは不透明なままなのかもしれない。
でも、その不透明さから得るものある。

全ては表裏一体なのであろう。
それを常に思い、この社会に生きていかなくてはいけないと、今回のことでしみじみ思ったのである。














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