7/14/2013

最期のシャンプー




宮島を旅した時。
なんとも悲しい結果のおみくじをひいてしまった。
ということで、結んできた。
健康でありますように、とつぶやきながら。

62歳の死は早すぎたと、誰もが思うだろう。
旦那さんも息子も娘も彼女との最期の時間がこんなにも早くくるとは思ってもいなかっただろう。  肝臓を襲った病と10年もの間戦ってきた。
ちゃきちゃきの江戸っ子だった彼女は最期まで気丈であったと思う。

弱音を吐かない彼女が、旦那さんに「もう辛いの。」と言った。
少し休みましょうと声をかけた私に、「まさか、このまま眠りにつくなんてことないわよね。」と精一杯の笑顔で話す。

彼女の死はもう目の前までやってきていた。
それは主治医でもなく、私達でもなく、彼女が一番よくわかっていたような気がする。

主治医からの宣告は後1週間。
その宣告を聞いた、旦那さんと息子の憔悴しきった顔を正面からみることは辛すぎた。
気丈な彼女の血をひいた娘は、なんとか頑張っていた。
それでも、悲しみは同じ空間にいることで、伝わる、、、それほどの空気が流れていた。

彼女は1週間もしないまに天に召された。

おしゃれだった彼女の最期に用意されたのは、タイトなワンピースと白いニット。
最期に同僚達とシャンプーをした。
そして、むくんでしまった体には難しいかなと思ったワンピースと白いニットは、元気だった頃の彼女の姿にしてくれた。お顔と爪は娘が綺麗に、綺麗にした。

最期のシャンプーをさせてもらい、、、ありがとう。

「もう一回だけ、少しの時間でいいから、家に帰りたいの。」
その願いを叶えてあげられなくて、ごめんなさい。



7/02/2013

不透明なこと。

若い時分から、心配性の度がいささか域を超しているのは人に指摘をされなくとも十分に知っているのである。

家を出るときにガスの確認は3度はする。それでも不安で、玄関を閉めたあともう一度戻ってくることもしばしば。それはガスだけではなく、窓や水道やアイロン、ありとあらゆるものが心配となるのだ。  長期の旅に出るときなどは大変である。出ようと思ってから30分はこの『確認作業』に時間を要するのである。けれども、他人が確認してくれた場合、「大丈夫」の一言で安心となる。  要は私は他人より自分が信用できないのだ。否、同じ位といったほうがいいかもしれない。

五感を使っても自分を信用しきれない私にとって、この不透明な情報社会は生きづらいものである。アナログで生きている私にとって、この一見鮮明に見える不透明さが生きる過程で起きる様々なことを更なる不安に陥らせる手助けをするのである。

現代社会で必須な「機械」が得意であれば問題は生じないのかもしれない。
しかし、残念ながら得意ではない。それどころか、全く仲良くできていない現状である。

相手が見えないものは怖いのである。
インターネットでのお買い物もいつでもドキドキする。
格安航空券をとるときはインターネットで調べたとしても、最終的には電話をする。
新聞も本も電子版は好きになれない。
旅の情報も最終的には、ガイドブックであったり人からの情報がいいのである。

五感を使っても自分を信用できない私にとって、五感すら使えない「機械」は不透明な存在なのである。

勿論、そんな不透明な「機械」にとてもお世話になっているのも事実である。
だから、上手に付き合うことができればいいのだけれど、こんな風にコピーロボットさんが出現したりすると、不信感で一杯になってしまうのである。

私のような人にとっては、商店街でお買い物するくらいが丁度よく、
電話でチケットをとったり、手紙で確認したりするくらいが丁度よく、
新聞も本も紙の匂いを、感触を確認しながら読むのが丁度よく、
旅で逢った「この人!」、の情報や旅から戻った「この人!」の情報に耳を傾けるのが丁度いい。

情報と自分の間に『人』を感じたい。五感をフル活用させたい。
自分を信用しきれなくとも、最後は自分の感覚を信じ生きていきたい。


不透明なことは不透明なままなのかもしれない。
でも、その不透明さから得るものある。

全ては表裏一体なのであろう。
それを常に思い、この社会に生きていかなくてはいけないと、今回のことでしみじみ思ったのである。