12/18/2013

機内食

 機内食は飛行機に乗ることが好きな私の3番目に好きなものである。1番目は飛び立つ時、2番目は小さな窓からみる空、そして着陸態勢になった時に見えるその国の様子である。


 飛行機の中で食べた機内食は美味しいと言えるものではない。今まで様々な飛行機の機内食を食べたが、どれも美味しいと言えるものではなかった。けれども、この機内食を食べお酒を飲まないと旅ははじまらないのである。 

 そして、貧乏旅にかかせないのは機内食の使わなかったスプーンや塩や胡椒やナプキン。 場合によっては水やパンやチーズも持って帰る。  昔、クロアチアからイタリアを船で渡った時、まだ旅慣れをしていなかった私は日本の日曜日を想像してのんびりと港に向かった。途中でお金をおろしてお店で何か食料を購入しようと。しかし、ヨーロッパの日曜日は本物の日曜日であったのだ。 全てが閉まり、街に人の姿はほとんどみなかったのである。手持ちのお金は確か5ユーロ程度だった記憶がある。購入できたのは飲料のみ。 半日以上の船旅を助けてくれたのは、機内食であったのだ。  機内食はいつでも私の旅をサポートしてくれるのである。   

 マルタに向かって、エミレーツ航空に乗り込んだ。

「とりあえず、ビールで。」                                 


12/17/2013

首をかしげたくなること 

 最近、通勤で使っている電車が人身事故で止まった。
普段より早く仕事が終わり家でのんびりとしようと思ったら途中で止まったのである。
振替乗車をしようと思ったら駅員さんに冷たい口調で「この駅まででしたら、バスより電車の方が早いので、電車を待っていてください。後一時間もすれば動き出します。」とのこと。駅員さんも対応で疲れていたのだろうし、悪気はないと思う、けれども定期券をもっていたらバスの振替券をもらえるのだと言われ長蛇の列を並んだ結末がこの冷たい対応であると、私の小さなキャパシティは容易に一杯となるのだ。

 渋々、駅のホームに行くと、冷たい風が身体を冷やす。そしてアナウンスはしきりに「当分電車はきません。お急ぎの方は振替のバスや電車をお使いください。」と話す。後一時間もすればというが、この寒空での一時間がどれだけ長いことか。 読みかけの本も読み終えやることがなくなってしまった。まだ電車はきそうにない。 こんな時便利なのか不便なのかはわからないが、携帯で人身事故の最新情報をみてみた。すると、ネット上では人身事故の情報がこう流れていた。「Twitterに線路ナウと載せようとした高校生が、線路に降りてひかれた。」それはあくまで、ネット上のことであり真実は不明である。  しかし、もしもそれが事実であれば大きく首をかしげたくなる。 

 どうして、自分のしたことが大きな影響を与えると想像できないのだろうか。 線路に降りた時に起こりうることは自分で線路に降りることができる位の歳ならわかるだろう。 
 想像力の欠如した人間が起こしたことがどれだけの人にどれだけの影響を与えたか、そしてどう償うのか。 命と引き換えにしてまで投稿したいと思わせるTwitterとはどんなものなのだろうか。 この一時間で様々な感情が渦巻き、とても疲れた日であった。

11/11/2013

れんこんより蓮根が好きである。




蓮根が好きである。
以前働いていた喫茶店に久々に立ち寄ると、いつものなみちゃんがいる。
そこで飲むウイスキーが好きである。
ハーパーのシングルロックを頼むと、昔働いていたよしみか友人だからか、
シングルとダブルの真ん中あたりに位置する飲み物がでてくる。
それと一緒にでてきたお通しが蓮根だった。
「見通しがよくなりますように、の蓮根好きだわ。」
と言うと、おばあちゃんみたいやなぁとのんびりとした口調で言われる。
そんなのんびりな関西弁をしゃべる彼女とのなんとなくの空間は好きである。
勿論、そこがシャンソン喫茶であることも。

今日はなんだか空の機嫌が私以上にめまぐるしい。
晴れたと思えば大雨で、大雨かと思えば強風で、かと思えば晴れてみてそして気づけばとても寒い夕方である。そんな日は徒歩3分のスーパーに行くことも億劫となる。
冷蔵庫をあけてみた。

にんじん・ごぼう・きのこ、そして蓮根があった。
ということで、今日も「見通しがよくなるように」と思いながらキンピラを作った。
後は、柿とりんごとみかんがあったのでそれを食し、今日はスーパーには行かないと決めた。

明日は、仕事の後にサルサ。
明後日は、仕事の後にハンナ・アーレントを観る。
明々後日は、父の誕生日なので顔をみに行こうかと思っている。
そして、待ちに待った夏休みである。今年は、南イタリアあたりの小さな島と、そして久々にイスラムの空気に触れてくるつもりである。単身赴任中の相棒と、タイに続く第2弾の旅はどうなることやら。
とりあえず、のんびりと異国を満喫する予定である。


追記
ひとつ前の話で書いたことが消化しきれない私は、ある人に小声で訴えた。
じぶんの死は自分できめたい・・・・・と。じぶんで歩いてきた困難な道のりは、自分の足で最期まで歩きたいと。  その、ひたすらのぶつぶつを受け止めてくれたある人は私に一冊の本を渡し、「読んでみて。」とひと言添えた。

題名は「自分のいのちは自分で決める。」    木村利人

彼は最後をこう締めくくっていた。


 人間のいのちの終わりというものは、本人にとっても家族にとっても一大事件です。そうしたとき、この世を去る人を孤独に追い込むことなく、あたたかくユーモアをもって支えていくことが重要となってくると思います。だれもがひとりで死んでいくわけですが、いのちが繋がっているからこそ、他の人たちへの共感をもって、豊かないのちの終わりを迎えられるのだと思います。
 この世に生をうけた人は必ず死を迎えます。しかし日々の思い煩いを越えて、毎日新しく生まれ変わる気持ちで、最後まで自分の責任の決断によって自分のいのちを充実させて生きることが大切だと思います。
 そして、いつかの終わりの日のためにアドバンス・ディレクティブをつくっておくことが、自分のいのちをじぶんで決める者としての大事な人生の旅の第一歩なのです。






11/05/2013

理想の死に方とは存在しないかもしれない、でも・・・。

大おじいちゃまは90歳を越え老衰で天にむかった。
それが、大おじいちゃまの理想の死に方であったかはわからない。
でも、家族は喜んでいた。
苦しまず、安らかな顔で自宅の布団の上で眠りについたことを。

癌病棟に勤務していると、沢山の死に立ち会う。
最後に立ち会わなくとも、最期のステージを見守っていくことは多くある。

余命を告知しない方針の先生がいる。
私には疑問である。

病名は告知する。
余命は告知しない。
家族には話す。
だからそれでいい。
家族には、本人には話しませんと医師は言う。

いつも医師達は言う。

「生きる希望を奪いたくないから。」

けれども、余命が3週間、1ヶ月、2ヶ月と半年未満の人達をみると、
事実は生きるためにも必要なのではないかと思うのだ。

仮に事実を教えないとしても、それは供に生きてきた家族に委ねるべきものだと思うのだ。
確かに、委ねられた家族もあまりに突然のことで考えられないということもあると思う。
だから医療者は傾聴をしながら、答えを導き出す手伝いをしていく必要がある。
それは家族だけではなく、本人に対しても同じことが言えると思う。

今まで、辛い治療に、「治す」という希望だけで頑張ってきた患者には最期のステージをどのように過ごすかを自分で決める権利があると思うし、必要であると思う。

だから、様々な考え方があるかもしれないが、私は余命は告知するべきではないかと思うのだ。

人は人が思うより強いはずである。

貴方の余命は3週間です。

と言われたら、絶望的になるだろう。
けれども、それでも言うべきではないかと思う。
最期の時間は自分で決めるべきものだと思うのだ。

特に若い人は癌の進行が驚くほど早い。
昨日まで自分で入浴をしていた人が今日はトイレに歩くこともままならなくなることもある。
もう少し元気になったらと思って、外出も外泊もしないでいたら、もう動けない体になってしまった・・・ということもある。

何も知らないで、疑問と恐怖を抱え日々を過ごし病院のベッドで苦痛な顔で死んでいく人が少しでも少なくなることを願い、、、働いていきたいと思うのだ。

8/28/2013

平和とは、どういうものなのか。


「平和」
誰もが知っている言葉であり、誰もがその意味も知っていると思いたい。
けれども、現実はその言葉とはかけ離れたところにいるように思えてならない。

なんとなく、辞書を引いてみた。
p1099の「平和」の意味はこう記されている。
①戦争や争いごとがなくて、穏やかなこと②心配事やもめごとがなく、穏やかな様子
そして、対義語は「戦争」である。

p137の「穏やか」の意味はこう記されていた。
①何事もなく、静かな様子。のどかで安らかな様子。②静かで落ち着いた様子③心が安定していて、腹を立てたりしない様子④かたよりがなく適切な様子
そして、対義語の記載はなかった。


以前に訪れた「回天」。そこで、知覧を訪れた時以来の悲しみに陥った。
どんなにどんなに考えても、「戦争」に悲しみ以外の感情を持つことができない。

トルコとサウジアラビアに挟まれた国、そこはシリアである。
いつか、アレッポに行きたいと思っている。クラック ド シュバリエに行きたいと思って行る。以前私が訪れようと試みたときも、治安が悪く断念した。そして、今、シリアは悪いなんて言葉では片付けることはできない状況に陥ってる。

訪れたことがある人は皆同じようにこう言うのだ。
「とてもとても素敵な国なのよ。」

今のシリアの現状をどうにかするために、他の国が動きだすとしたら、内戦ではなく戦争が始まる。

ボスニアを訪れた時の衝撃を思い出す。
爆撃で半壊している学校に通う子供達を思い出す。

「内戦」も「戦争」も同じである。人の命を奪う以外に何をもたらすのだろうか。
「平和」にするために、犠牲にするものがあまりにも多いのだとしたら、「平和」とはどういうことを意味するものなのだろうか。

誰かその答えを教えてほしい。
辞書をひいてわかるものではない。それでもひかずにはいられなかった。
そして、今、シリアを旅したことがある友人にシリア政府観光局でもらったハガキで手紙を書き、投函してきた。 
「シリアの地に平和が訪れるためにはどうしたらいいのでしょうか?」

追伸
最近読んだ本にこんなことが書かれていた。 人は、数人の殺人には興味をもつし、怒りを感じる。 けれども、奪われた数が多すぎると、遠すぎて何も思わない。思ったとしても、ほんの少しのことである。   そうかも知れないと思った。 内戦や戦争によって起きたことだって、命を奪うという行為だから殺人である。  奪われた人、ひとりひとりには、その人の人生があるのだ。家族もいるのだ。友人もいるのだ。 

7/14/2013

最期のシャンプー




宮島を旅した時。
なんとも悲しい結果のおみくじをひいてしまった。
ということで、結んできた。
健康でありますように、とつぶやきながら。

62歳の死は早すぎたと、誰もが思うだろう。
旦那さんも息子も娘も彼女との最期の時間がこんなにも早くくるとは思ってもいなかっただろう。  肝臓を襲った病と10年もの間戦ってきた。
ちゃきちゃきの江戸っ子だった彼女は最期まで気丈であったと思う。

弱音を吐かない彼女が、旦那さんに「もう辛いの。」と言った。
少し休みましょうと声をかけた私に、「まさか、このまま眠りにつくなんてことないわよね。」と精一杯の笑顔で話す。

彼女の死はもう目の前までやってきていた。
それは主治医でもなく、私達でもなく、彼女が一番よくわかっていたような気がする。

主治医からの宣告は後1週間。
その宣告を聞いた、旦那さんと息子の憔悴しきった顔を正面からみることは辛すぎた。
気丈な彼女の血をひいた娘は、なんとか頑張っていた。
それでも、悲しみは同じ空間にいることで、伝わる、、、それほどの空気が流れていた。

彼女は1週間もしないまに天に召された。

おしゃれだった彼女の最期に用意されたのは、タイトなワンピースと白いニット。
最期に同僚達とシャンプーをした。
そして、むくんでしまった体には難しいかなと思ったワンピースと白いニットは、元気だった頃の彼女の姿にしてくれた。お顔と爪は娘が綺麗に、綺麗にした。

最期のシャンプーをさせてもらい、、、ありがとう。

「もう一回だけ、少しの時間でいいから、家に帰りたいの。」
その願いを叶えてあげられなくて、ごめんなさい。



7/02/2013

不透明なこと。

若い時分から、心配性の度がいささか域を超しているのは人に指摘をされなくとも十分に知っているのである。

家を出るときにガスの確認は3度はする。それでも不安で、玄関を閉めたあともう一度戻ってくることもしばしば。それはガスだけではなく、窓や水道やアイロン、ありとあらゆるものが心配となるのだ。  長期の旅に出るときなどは大変である。出ようと思ってから30分はこの『確認作業』に時間を要するのである。けれども、他人が確認してくれた場合、「大丈夫」の一言で安心となる。  要は私は他人より自分が信用できないのだ。否、同じ位といったほうがいいかもしれない。

五感を使っても自分を信用しきれない私にとって、この不透明な情報社会は生きづらいものである。アナログで生きている私にとって、この一見鮮明に見える不透明さが生きる過程で起きる様々なことを更なる不安に陥らせる手助けをするのである。

現代社会で必須な「機械」が得意であれば問題は生じないのかもしれない。
しかし、残念ながら得意ではない。それどころか、全く仲良くできていない現状である。

相手が見えないものは怖いのである。
インターネットでのお買い物もいつでもドキドキする。
格安航空券をとるときはインターネットで調べたとしても、最終的には電話をする。
新聞も本も電子版は好きになれない。
旅の情報も最終的には、ガイドブックであったり人からの情報がいいのである。

五感を使っても自分を信用できない私にとって、五感すら使えない「機械」は不透明な存在なのである。

勿論、そんな不透明な「機械」にとてもお世話になっているのも事実である。
だから、上手に付き合うことができればいいのだけれど、こんな風にコピーロボットさんが出現したりすると、不信感で一杯になってしまうのである。

私のような人にとっては、商店街でお買い物するくらいが丁度よく、
電話でチケットをとったり、手紙で確認したりするくらいが丁度よく、
新聞も本も紙の匂いを、感触を確認しながら読むのが丁度よく、
旅で逢った「この人!」、の情報や旅から戻った「この人!」の情報に耳を傾けるのが丁度いい。

情報と自分の間に『人』を感じたい。五感をフル活用させたい。
自分を信用しきれなくとも、最後は自分の感覚を信じ生きていきたい。


不透明なことは不透明なままなのかもしれない。
でも、その不透明さから得るものある。

全ては表裏一体なのであろう。
それを常に思い、この社会に生きていかなくてはいけないと、今回のことでしみじみ思ったのである。














5/07/2013

志半ばで。

GWはとても憂鬱な気分であった。
それは毎日仕事だったからでも、忙しかったらでもない。
同世代であり、私より若い人がこの世を去ったからである。
その事実は、私が思うより何倍もの重さで私の体にのしかかった。

ある人に聞かれた。
後1年の命だと宣告されたらどうする?

どうするのだろうか。
仕事をしていたいと思うのか。
もし仕事を辞めたら、世の中と断絶した気分になるのだろうか。
自分だけがとり残されてしまったと感じ、孤独と戦うことになるのだろうか。
けれども、仕事を続けたとしても周囲に気を使われ、毎日申し訳ない気持ちで一杯になるかもしれない。  

結局、答えはみつからなかった。
どの答えも自分の中でしっくりとくるものはなかった。


最後に交わした言葉は、
どうしてこんなに辛いの?なんで?どうしたらいいの?

それに対しての答えもみつからなかった。
ひとつの言葉みつからず、何かあれば呼んでくださいね。との言葉を残し病室を後にした。私がその患者を最後にみたのは、氷枕をかえに行ったときであった。家族に囲まれ、呼吸苦でもがいていたその姿が脳裏に焼きついている。

その日の夜中にこの世を去ったのである。
癌が蝕んだ体は、体全体で苦痛を訴えていた。
入院してから、ずっと苦しんでいた。
やっと楽になったのは、この世を去った時であった。

主治医に聞いた。
この疾患を早期にみつける方法はないのか?
難しい、というのが答えであった。

会社などで定めている、法定検診の内容は限られている。
けれども、20、30代で自らそれ以上の検診をしようと思う人は少ないだろう。
多少の症状があっても、大したことはないとほっておく人も多いだろう。
ほとんどの人はそれで問題はないのだと思う。

人の命を奪うのは、病気だけとは限らない。
だから、いろいろと考えていくと頭の中がこんがらがってしまい、もうほどくことは難しくなってしまう。何を気をつけて生きていけばいいのかわからなくなってしまう。

結局のところ、一つも答えはでなかったし今後もでないかもしれない。
だから、今を生きようと思った、そして生きるしかないのかと思うのだ。












 

1/28/2013

海外赴任。

カタール、バーレーン、オマーンという国に行ったことがある。
イスラムの文化や建物やファッションが好きである私にとって、全てが刺激的で楽しかった。       以前勤務していた検診センターは海外赴任の人達の検診が主であった。
私の担当は、負荷心電図であった。安静時の心電図をとり、その後20分間の自転車こぎをしてもらう。その間の心電図をとり、心臓に負担がかかった時に異常がでないかをみるものである。

赴任地域に中東が多い会社であり、私の知らない国の話を沢山聞かせてくれた。そこで、仲良くなった夫妻と、おじさまがバーレーンに招待してくれたのである。

非日常である旅では、生きているという日常以外は非日常である。小さな窓からのぞく国はとても輝いて見えるのである。異国という言葉がぴったりであり、その響きが更に私の好奇心をざわざわとざわめきたてるのである。小さな窓からみるその国々に、危険という言葉は連想できない。

最近起きたアルジェリアのニュースに大きな衝撃を受けた。
検診にきていた人達の多くは単身赴任であった。女性や子供を連れて行くには危険な場所だからね、日本人学校もないしね、家族も怖いからって遊びにはこないよ。そんな言葉を思い出した。その時は気に留めてなかったその言葉を思い出し、その言葉の重みに気づいたのである。

政治や宗教の問題は複雑であり、日本人にはない感覚も多くあるため、首をかしげることは多い。けれども、今回の悲しいニュースは首をかしげるだけではすまされない。もっと自分の国の世界での位置を考えて、沢山のことを考えなくてはいけないのだと、そう思った。日揮という会社がアルジェリアで活躍をしていた事実は、今回のことで知った。そして、世界には沢山の日本の会社が活躍していることも。そして、政府のあり方も。

数日前の産經新聞に、木山 聡さんの恩師が追悼の手記を載せていた。その手記を読み、更に考えた。その手記の最後はこう締めくくられていた。

インターネットでは日揮は社員の安全を確保できない限り撤退すべきという意見があったが、とんでもない。日揮は欧米企業と競争し、日本のためにも競争している。日揮一社で軍隊や警察はもてず、企業には限界がある。欧米企業は国が守っている。邦人の安全確保は国の義務である。その中で日揮は犠牲者に関する情報の出し方を見てもよく社員と社員の家族を守っていると思う。木山君の冥福を祈るとともに、虚構の安心、安全に温々としていた日本人に代わり、ごめんなさい、すまなかった。そして今までありがとう。と言いたい。木山君の命と引き換えにするのにはあまりにもったいない話であるが、少なくとも残されたわれわれは、日本の虚構の安心、安全をもう一度考え直すべきである。

虚構が虚構でなくなり、赴任している人達が安心、安全に働ける環境を、、、、、願いたい。