8/01/2012

考える。


近くにいると大きなエネルギーを感じる90代のおじいちゃまは戦争を知っている。
彼は手術のために入院をし、無事に回復、退院した。
おなかの真ん中の大きな傷を眺めながら、朗らかな笑顔で彼は言う。
「痛いよ。そりゃぁ痛い。でもあの時のことを思えば癌になったのも手術をしたのも大したことではないよ。ひとつだって大したことはないんだよ。戦争に比べたら。生きてるだけで十分。戦死した友人の顔を思い出すとね、こんなことひとつだって大したことじゃないんだ。」
その空間には悲しみというものが存在していないかのような・・・それほどのエネルギーに満ち溢れた彼の笑顔には、いつでも皆が癒される。そんな素敵なおじいちゃまは誰よりも悲しみを知っているのだろう。その上に成り立つ彼に何か大きなものを感じるのだ。

以前、鹿児島を旅したときに知覧に行った。
今回は山口県の大津島に行った。
そして広島で原爆ドームの前に立った。

小学生の頃、夏休みになると放映されていたはだしのゲンを思い出した。

戦争は何なのか。
その問いに答えをみつけることはできない。

戦争を知っているおじいちゃまは、戦争で死ななかったのは右に右に行ったから、つまり強運だったからだな。と言う。

戦争が生と死の分岐点に立ち、皆に運が良かったから悪かったからと言わせるものものであるなら、そんなに悲しいことはないのではないだろうかと、大津島の人間魚雷「回転」の前に立ち、記念館にある遺書や血書を読み、原爆ドームの前に立ち、以前に旅した知覧を思い出し、そう感じた。

戦争は、核は、武器は、恐ろしい。負しか与えないであろうそれは、人間の思考からでてきたのであれば、一番残酷で恐ろしいのは人間なのかもしれない。

ポーランドのビルケナウを訪れた時と同じ感情が今回の旅でも私の中に渦巻いたのである。

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