9/26/2012

赤いガウン。

随分と涼しくなったと思ったら今日は夏のような日差しである。
けれども、もう秋である。

3度目の夏を迎えた彼は、3度目の秋を迎えることはできなかった。
寒い空の下、赤いガウンを着てお散歩をする姿をみることはもうないのだ。

天からのむかえを待つ患者の家族によく聞かれることがある。
「少しだけ、自宅に戻ってきてもいい?すぐに戻ってくるから大丈夫よね。」

無論、その答えを出すことはできない。
誰にもわからないのだ。

以前、1年間毎日欠かさずにお見舞いにきていた人がいた。
彼女が自宅に戻っていた数分の間に、旦那様は天にむかってしまった。
このようなことはとても多い。

赤いガウンのおじ様の調子がよくないとの連絡が以前の同僚からきた。
メールの文面に詳細はなかったが、
会いにいかなくてはと、そう思った。
急いで会いに行かなくてはと、そう思ったのだ。

仕事を終え、その足で病院に向かった。
奥様と娘に囲まれて、いつものように眠っているおじ様。

入院してきたときから人口呼吸器を装着していたおじ様の声を聞くことはなかった。
でも容易に想像することはできる。

きっとおじ様は、穏やかな低めの声で語りかけるように話すのだろう。
話すことも動くこともできなかったけれど、病室を癒しの空間に変えるほどのエネルギーをもっていた彼は、心配事がなくなったのかもしれない。

会いに行った日の次の日の早朝、天にむかった。
もう赤いガウンを着ている姿がみれないと思うと寂しい。
やっと、赤いガウンを着る季節が巡ってきたのに。

8/10/2012

時間 Ⅲ

 毎日の中で一番大事にしたい時間は朝ごはんの時間である。
けれども、いつもいつも朝はせわしないのである。
本当は、珈琲豆をゆっくりとミルで挽きこぽこぽと淹れ、パンを焼きサラダとフルーツを添えてゆっくりと食べたい。
本当は土鍋でお米を炊き、お魚と漬物と納豆そしてちゃんとだしをとったお味噌汁でゆっくりと食べたい。

ここでは土鍋で炊いたご飯をおこげ付きでお茶碗によそってくれた。
ここでとれたお野菜とお魚とそして、驚くほど美味しいたまごで食べた。

そういえば昔誰かが言っていた。
最後の晩餐は、美味しいご飯に美味しい卵を割った卵かけごはんがいいと。

そんな言葉を思い出してしまうくらい美味しい卵だったため、半分ごはんにかけたけど半分はぐいっと飲んでしまった。あぁ美味しかった。
 朝の海を眺めながら、のんびりとごはんを食べた。
そう、これが一番の贅沢な時間である。
朝ごはんを時間を気にせずゆっくりと食べれる時間は何よりの贅沢である。
今日は何をしようかなぁと考えながらであれば尚更のこと。



 夏といえば、蚊取り線香。
モスキート君に狙われやすいのが一番の理由かもしれない。
でもこの形状に色に愛おしさを感じる。
そして、においが私を夏に運んでくれる。

時間とは Ⅱ


時間とは意識しなくとも過ぎていくものである。
生きていく上で様々なことが不平等だなって思うけれど、唯一皆に平等に与えられているのは時間である。その長さは皆違う。そういう意味では不平等かもしれないけれど、今という時間の長さは全ての人に同じように与えられている。使い方や感じ方が違うから、同じようには感じないけれど、確実に電車で隣になった見知らぬ人と私の新宿駅に到着するまでの10分は同じものである。

平等に配られたその大事な時間をどのように使うか、それによって時間は初めて変化をするように思うのだ。 大事な自分の時間をどのように使えばいいのか、時間を与えられてもうすぐ35年にもなろうというのに未だ模索している。でもどんな時間が好きなのかはなんとなく気づいている。思いついたままに挙げただけでもこんなにある。

異国でのあてのない散歩。
寝る瞬間。
珈琲をミルで挽いている音・匂い・飲んでるとき。
友人からの手紙がPOSTにあった瞬間、手紙を読んでいるとき。
相棒とののんびりと過ごす時間。
誰かに宛てて手紙を書いている時間。
本を読んでいる時間。
仕事でのいろいろな時間。
友人との会話。

他にも沢山あるけれど。

島では特別なことは何もしなかった。
散歩をして、お風呂に入って、食事をして、本を読んで。


あっ、でも食事をしながらあんなにも長い時間海に落ちていく夕陽を眺めていたことはなかったかもしれない。 

山口県のとある島は、私に時間をくれたのである。
プレゼントしてくれた相棒に感謝である。





時間とは Ⅰ


相棒が節目の歳を迎える場所に選んだのは、山口県のとある島である。
一日一組限定のその宿は驚くほどまったりとした宿である。
この宿に長いこと滞在してしまったら、日本にいながらにして時差ボケに陥るのではないかと思う位である。 時計の針は確実に進んでいるのであろう。けれども、時間は意識しなくては感じられない。

隣のキッチンから、包丁の音がふっと聞こえてくるときがある。 そんな時、あっ私達の他に人がいたんだと、思い出すのである。それ位静かな場所である。

次の滞在時は、映画「しあわせのパン」で知った、矢野顕子と忌野清志郎の「ひとつだけ」を小さな音で流しながら海をみたいなと、そう思ったのである。

8/01/2012

考える。


近くにいると大きなエネルギーを感じる90代のおじいちゃまは戦争を知っている。
彼は手術のために入院をし、無事に回復、退院した。
おなかの真ん中の大きな傷を眺めながら、朗らかな笑顔で彼は言う。
「痛いよ。そりゃぁ痛い。でもあの時のことを思えば癌になったのも手術をしたのも大したことではないよ。ひとつだって大したことはないんだよ。戦争に比べたら。生きてるだけで十分。戦死した友人の顔を思い出すとね、こんなことひとつだって大したことじゃないんだ。」
その空間には悲しみというものが存在していないかのような・・・それほどのエネルギーに満ち溢れた彼の笑顔には、いつでも皆が癒される。そんな素敵なおじいちゃまは誰よりも悲しみを知っているのだろう。その上に成り立つ彼に何か大きなものを感じるのだ。

以前、鹿児島を旅したときに知覧に行った。
今回は山口県の大津島に行った。
そして広島で原爆ドームの前に立った。

小学生の頃、夏休みになると放映されていたはだしのゲンを思い出した。

戦争は何なのか。
その問いに答えをみつけることはできない。

戦争を知っているおじいちゃまは、戦争で死ななかったのは右に右に行ったから、つまり強運だったからだな。と言う。

戦争が生と死の分岐点に立ち、皆に運が良かったから悪かったからと言わせるものものであるなら、そんなに悲しいことはないのではないだろうかと、大津島の人間魚雷「回転」の前に立ち、記念館にある遺書や血書を読み、原爆ドームの前に立ち、以前に旅した知覧を思い出し、そう感じた。

戦争は、核は、武器は、恐ろしい。負しか与えないであろうそれは、人間の思考からでてきたのであれば、一番残酷で恐ろしいのは人間なのかもしれない。

ポーランドのビルケナウを訪れた時と同じ感情が今回の旅でも私の中に渦巻いたのである。

6/13/2012

恋、旅、トランク、シネマ。



純文学が好きで、胡蝶蘭が好きなおじちゃまに天からのお迎えが近づいている。
辛いよ。助けてよ。死んじゃうよ。もう何もしないでよ、家に帰りたいよ。
その言葉を最後に、話すことができない状態となった。
夜中の間中、苦痛な顔で横たわるおじちゃまをみていて悲しくなった。

帰宅するとPOSTにアメリカの風が吹き込まれていた。
昨日はギリシャの風が吹き込まれていた。

異国で書いたair mailの数々を思い出し、旅を思い出した。
記憶は曖昧なことも多い。
けれども、友人からのair mailをみて思い出す。

ギリシャのサントリーニ島で日本では絶対着ないような水着をきて、浮かんだ日々。
アメリカのとある空港で南米で購入した大事な手作りの鳥を探して、空港中をたらいまわしにされたこと。

いろんなことを思い出す。
なんとなく映画をみたくなった。
なんとなくみた映画はライト過ぎたかもしれないけど、今の私にはちょうどいいものであった。

トランクを無くした男と、間違ってそのトランクを手にした女の話。
彼はアメリカ人、彼女はフランス人。

フランス映画はあまり観ない。でも一番好きな映画は?と聞かれたらやっぱり「Amelie」と即答すると思う。  アメリカ映画もあまり観ない。 でも、このアメリカとフランスのハーフのような映画は面白かった。そう、単純に面白かった。

日常で、電車のマナーにイライラする自分によく出会う。そして疲れる。気にしなければいいのに目がいってしまう。  でも、異国の旅では違うのだ。  Bangkokの中央駅のホームの真ん中にシートをひいて家族全員で団欒をしていてもいいのだ。 それが新鮮で、それが楽しい。  旅は私の価値観を大きく覆すことの連続である。でもそれも心地よい。それが旅の醍醐味である。 電車のマナーにイライラしない自分にそろそろ会いたいと・・・・。



5/17/2012

便り

お元気ですか?


最近はいかが お過ごしですか?
私は年度末に仕事を退職し、今は時折のアルバイトと日々の家事とハローワークに通いながら過ごしています。辞めたらふらっと列車の旅でもしようと思っていましたが、結局できずにいます。
結婚相手と生活をともにするということは、自由なようで結構不自由で、時間はあるのにまだペースがつかめません。

そんな私は「秋桜」の気分で(どちらかと言うと、さだまさしの唄う方)、明日の誕生日に入籍します。
「まだ飛行機降りられるぞー」って気持ちですが、降りる理由もないので気持ちがじたばたしているだけで(実際、周りの世界は何も変わらないし)、
なぜかこう言う時に思い出すのが貴方で、気持ちを落ち着けるためにメールをしているのです。
前に貴方と言ってた、結婚に対して構えるんじゃなくて
「ずっと仲良くしていけたら、いいね」
くらいの気持ちでいたいのは変わらないんですけどね。

まあ、じたばたしながらいつの間にか時が過ぎていくもんなんでしょうね。
こんなメールですみません。気持ちが少し軽くなりました。
あいつ慌ててるなーって思っていて下さい。


最近なんだか理由もないのに気分が沈み、よくわからないけど涙がこぼれ、なんとなく不安定な日が続いていたけれど、友人からの手紙を読んで、どこか自分の中で始まりなきはじまりに終止符を打つことができたような気がする。明日は、彼女に手紙を書こう。そしてポストにことんと入れようと思う。 そして、何かに終止符を打ち、何かを始めようと思う。

ラジオから私の好きな音楽が流れてきた。
久々に聞いたこの曲に更に彼女を思う。

Once upon a time there was a tavern


Where we used to raise a glass or two

Remember how we laughed away the hours

And dreamed of all the great things we would do



Those were the days my friend

We thought they'd never end

We'd sing and dance forever and a day

We'd live the life we choose

We'd fight and never lose

For we were young and sure to have our way.

La la la la...

Those were the days, oh yes those were the days



Then the busy years went rushing by us

We lost our starry notions on the way

If by chance I'd see you in the tavern

We'd smile at one another and we'd say



Those were the days my friend

We thought they'd never end

We'd sing and dance forever and a day

We'd live the life we choose

We'd fight and never lose

For we were young and sure to have our way.

La la la la...

Those were the days, oh yes those were the days



Just tonight I stood before the tavern

Nothing seemed the way it used to be

In the glass I saw a strange reflection

Was that lonely woman really me



Those were the days my friend

We thought they'd never end

We'd sing and dance forever and a day

We'd live the life we choose

We'd fight and never lose

For we were young and sure to have our way.

La la la la...

Those were the days, oh yes those were the days



Through the door there came familiar laughter

I saw your face and heard you call my name

Oh my friend we're older but no wiser

For in our hearts the dreams are still the same



Those were the days my friend

We thought they'd never end

We'd sing and dance forever and a day

We'd live the life we choose

We'd fight and never lose

For we were young and sure to have our way.

La la la la...

Those were the days, oh yes those were the days





「悲しき天使」



5/05/2012

再会。


世間はGW。私の仕事はGWなど関係ないが、こんな時は普段会えない友人と会えるので、私にとってもゴールデンウィークなのかもしれない。

18歳の時からの友人と4.5年ぶりに逢った。変わったことは沢山ある。私達は15年の間に、学生を終え、社会人となりひとりは結婚をし新居を構え、妻と息子に囲まれて暮らしている。ひとりは結婚し夫と暮らしている。私は相方と仲良く暮らす。 それは18歳の時には想像のつかなかったことであった。 けれども、そうやって時間の経過とともに大きく変わった私達の暮らしは、不思議な位18歳の時の関係を変えることはないのである。 背伸びすることなく、見栄をはることなく、何もなく、テンポよく話が弾んでいくことの嬉しさ。  安心した時間を過ごせ、何かがリセットできたようなそんな気がしたのである。

職種は異なるけど、2年間同じ空間で働いていた彼女と久々に逢った。彼女と私は同世代である。最近彼女は旅にはまっている。そんな彼女は私の20代のときの旅の話を楽しそうに聞いてくれる。そして、カウンセラーをしている彼女はカウンセリング中に私の話をしてくれているらしい。誇れるような生き方などしているとは思えず、どちらかというといつでも白い線からはみ出して歩いているような生き方をしてきた。健康に不安を覚えるようになった時にフリーで働くことをやめ、旅から遠ざかった。でも、いつでも白い線から大きく外れ異国を感じて、異国に埋もれ、いろんな雑音から自分を遠ざけて生きていきたいと思っている。ただ、それ以上のものも見つかった。両立は難しい。でも、いつか両立できるような気がする。 彼女は私が白い線を超え好きに生きてきた20代を、旅を、大きな財産であると言う。 自分ではわからない。 それが財産であるのか。 けれども、私の旅の話を、私の生き方を思い出し、話てくれる人がいて、それを聞いて頑張ろうと思ってくれる人がいたら、やっぱり財産なのかもしれないとそう思ったのである。 

とっても小さなものでいい。楽しいとき。旅をしているとき。辛いとき。ほんの少しでいい。思い出してもらえたら、それが生きているということなのだろう。

4/05/2012

明日という日の不確かさ。



患者であり、同級生であり、友人の友人であった彼女は空に昇っていた。

友人からの文にはこう記されていた。

「いつ何があるかわからないから、また、連絡を取り合って、お出かけしましょうね。」

彼女と26歳のあの冬、Europeを巡っていたときは、いつまでも明日は続き、いつでも逢えるとそう思っていた。・・・というかそんなことを意識することもないくらい、明日は当たり前にくると思っていた。でも、それは違うんだと、強く思うようになった。


明日はくるかもしれないし、こないかもしれない。

それ位、私にとって明日は不確かなものとなった。


もう絶対に病院には戻らない。ここで死ぬんだと強く語るおじちゃま。

6畳もない小さな部屋でひとりで生きている。

もうすぐ、空からむかえがくる彼の願いはサクラをみること。コロッケを食べること。おでんのハンペンを食べること。  先生の許可がおりた。彼の願いは叶う。こんなに美味しそうにコロッケとハンペンを食べる人を初めてみたかもしれない。 久々に見た彼の満面の笑みに嬉しくなる。


明日はくるかもしれないし、こないかもしれない。

だから、その不確かな明日を待つことなど彼にはできないのである。

今が大事である。たとえ、また肺炎になったとしてもそれでいいと言う。

何も食べずに病院で死ぬのであれば、大好きなものを食べて肺炎になって小さな部屋でひとりで死にたいと・・・。


明日という日の不確かさを受け止めて、今という時間を大事に使いたいと思った。


とりあえず、大好きな人とサクラの木の下でゆっくりと呼吸をしたい、そう思った。

3/07/2012

たこ焼きみたいに。


たこ焼き器に生地を流し込み、たこをいれてくるくる回して焼く。
お店で売っているたこ焼きのような美しさはないけれど、美味しい。

伝えたいことを生地にして、その中に思いを入れてくるくると回しながら焼き、丸くなったら「はい、どうぞ」「美味しいね」・・・そうやって私の思いが相手に上手に伝わればいいのだけど、現実はたこ焼きのようにはいかない。たこをいれることもできなければ、丸くすることもできない。

伝えたいことは一旦溢れ出すと、自分でもどうしたらいいのかわからなくなる。
あぁ、どうしたらいいんだろうって思えば思うほど時間は過ぎ去り、いつか生地は焦げてしまう。
そうなったら、丸くすることも、食すこともできない。
ただ、後悔だけが残る。

どうして私は、いつもいつもたこを入れることを忘れ、丸くすることもできず、挙句焦がしてしまい、「はい、どうぞ」「美味しいね」って、そんなシンプルで素敵なことができないのだろうか。

誕生日がきた。今度こそはって思ったけど大失敗。
やっぱり焦げてしまった。

1/15/2012

最後ではなく最期について。






人は自分の最期がいつくるのか知らない。時々、自分の最期はいつなのかと漠然と思うときがくる。それは仕事からくるものなんだろう。いつも思う。病気でない自分のほうが奇跡的であると。病とはそれは驚くほど突然やってくる。


ある患者は自分が眠っている間に薬を使い、更に深い眠りにつかせてほしいと言う。家族は本人の希望を叶えてほしいと言う。けれども、患者はまだ治療による延命の可能性もある。医師から治療の説明がある。


けれども患者は言う。延命をすることに何の意味があるのか。今までの生活ができないのであれば生きる意味はない。


確かに、声を失い辛い副作用のある治療を続けながら生きることは辛い。更に辛くなる前に、最期をむかえたいという気持ちを安易にどちらがいいのかと他者が判断することはできない。


最期をどのような形でむかえたいかは、個々により大きく異なる。

余命宣告をされた時、人はどのような最期を描くのであろうか。


近しい人が自殺をした時、なぜ彼が自ら命を絶ったのかわからなかった。その人は自分の最期を自分で決めた。そこに至るまでの経過はわからない。他人にはわからない苦しみもある。だから、その最期に対して、私は何も言うことはできない。ただ思うのは、人の命が消える時、周囲の人も辛く悲しいのだということ。


数年前、親戚のおじさまがお風呂場で突然死んでしまった。本人も周囲の人も誰もおじさまの最期など予期していなかった。

宣告された最期。
自ら選んだ最期。
突然の最期。


私にもいつかくる「最期」。

結局私には、今までの生活ができないのに生きる意味などあるのか?


の問いに答えることはできなかった。


人にはその人だけが知る、生まれてから今までに積み上げてきた大事なものがあるのだ。