11/21/2011

病院での検査は・・・。

bangkokを旅したときに見つけたタバコのパッケージはこんなにもリアルである。
仕事柄もっとひどい壊死状況の足を見てきた。それでも、身体中の血がざわめくのである。

27歳の女の子。余命いくばくもない今も、生きるということを頑張っている。
その彼女を癌は容赦なくむしばんでいく。それはなんとも言えない世界であるが、それが現実である。
こんなにも医療は進んでいるけれど、その進行を止めることは困難である。それは、若ければ若いほど言える。

昔から、突如頭に浮かぶことがその後大きな不安に結びつくことがある。 今回は「病気」である。

職員検診はしているが、それでは足りない。法定検診の項目は最低限である。
特に女性は女性特有の病気が多い。そしてその病気こそが、私達の命を危険に晒す可能性が高い。

乳がんも子宮内膜症も子宮筋腫も子宮頸がんも子宮体がんも最後に検査をしたのは数年前である。
ということで、突如不安になった私は病院に行くことにした。

勤務することと、自ら患者になることは全く気分が違う。
病院はいつでも緊張する。そして、結果を待つ1週間の気分の重さといったらない。
けれども、いつかはしなくてはいけない。

十数年勤務して思うこと。
全ての病気は早期発見・早期治療が重要であるということ。

このつぶやきを読んだ友人達が、病院に行くことを願っている。

11/19/2011

オリーブ。






もうすぐ今年が終わる。この時期が旬の小豆島のオリーブを成城石井で購入した。私の知る限りはここでしか購入できない。

旅を始めるまで、オリーブの認識は薄かった。というか、ほとんどなかった。

旅でオリーブが大好きになった。ワインをオリーブとチーズとフランスパンで飲むことを知った。そして、ひとつ成長した気分になった。

オリーブを食すたびに思い出すことがある。それは、私の旅の記憶とリンクする。


いろんな国で食したけれど、一番美味しいのはこの時期にしかでない、この小豆島のオリーブである。


きっと、オリーブに興味がない人も好きになるはずである。そう大きな声で言える位、小豆島のオリーブが好きである。

ボジョレーを飲みながら、小豆島のオリーブを食す。そして毎年思うことがある。もう今年も終わるんだなぁ・・・と。

手帳に、気に入った言葉を書き留める癖がある。


「お茶を飲むってなんだろう。一緒にごはんを食べるってなんだろう。それは明日にはなくなってしまうささやかなことを積み重ねるということだ。もう何もいらない、いてくれるだけでいい。」


よしもとばななの本を読み、この言葉を書き留めたのは、2009年5月。  その言葉に詰め込まれたものが、今、やっと自分のからだに染込んでいく。




11/01/2011

ゆっちゃん。


自分の道がどこまでつづくかわからない。
それは私だけでなく全ての人に言えること。
そうわかっていても、道はどこまでも続くと思いたい。
どこかでとぎれるとわかっていてもそう思いたい。

彼の息子書いた文章から、ゆっちゃんが天に召されたことを知った。
車椅子で散歩に行ったり、お風呂に入れたり、ご飯のお手伝いをしたり。
そんな日々を思い出す。

ゆっちゃんはとってもダンディなおじさまであった。
仕事であったけど、共有している時間は楽しかった。
悪態ばかりつくけれど、たまにつぶやく優しい言葉や笑顔に癒された。
息子のこともわからなくなってしまっていたけれど、
それでも息子達が面会にくると穏やかであった。

いろんなことを思い、涙がでてきた。
まだまだ、道が途切れるには早すぎた。
そう思うけれど、素敵な時間を有難う。

スパイスの続きⅡ

  井の頭動物園のふくろう博士。






その村はいろんな偶然が重なり旅した場所。
それはメヒコからバスに揺られてどれくらいだろうか。「サンクリ(略)」という場所である。



その場所は、友人のお兄さんがメヒコで働いていたときに旅にでて立ち寄った場所であり、
ホテルの看板を描いた思い出の地であり、ぜひお勧めだから時間があれば行ってほしいと
いう場所であった。そこは、本当に素敵な所、そしてそこで出逢った人も素敵であった。


その地で出逢った人が映画監督をしているとのこと。
そんなmailが違う友人から届いた。

映画のタイトルは「ギターマダガスカル」。

ギターの音色もマダガスカルも大好きである。
友人のブログにこの映画のHPが載っていた。
それは素敵な映画の予感がした。

サンクリでの日々を思い出す。
もう一度、足を踏み入れたい地である。
その前に、この映画を応援し観に行こうと思う。


同じ感性をもつ友人と一緒に。

スパイスの続きⅠ

                            デバネズミのbaby。

メヒコを旅して最初に友人になった彼女とはその後もずっと友人であり、
関東と関西の距離、スペインと東京の距離、それは大きな壁となることはなく、
年に一度必ず会っている。来年はメヒコかアルゼンチンに留学する彼女を元に逢いに行く。
その前に彼女が東京にきて、その後和歌山に逢いに行く。
今はお互いをいつも以上に必要としているのか、沢山の時間を共有することができる。
それは、私の生きる上でのスパイスとなる。


その彼女が先日「東京に行く」との題名のmailと供に東京に突然やってきた。
久々に会った彼女の開口一番は「解雇された!」であった。
彼女は私の知る限りの友人の中の誰よりも正義感が強い。それは外国での生活が
長いからとかそういうことではないように思う。それが彼女なのである。
彼女の問いに、私にもそういう時期があったと思い出す。
「なぜ、どんな側面からみても間違っていることを間違っていると言ってはいけないの?」
「なぜ、明らかに間違っていることを皆はわかっていて指摘しないの?」
そんな投げかけに、20代の頃の自分を見る。私達のような疑問は誰しもどこかで
感じている。けれども、それを言語化したり行動にうつしたりすることを皆はしない。
そこで、それを言語化して伝え、行動する人は煙たがられるのである。
そして、その時に使ったエネルギー以上の反撥が自分のもとにくるのである。
それに更に立ち向かう強さは持っていなかった私は、受け入れることにしたのである。
受け入れると理解するは別であると自分に言い聞かすことで。


彼女の大学時代の親友と3人でランチを供にした。そこで様々な話をした。
ドイツ人とユダヤ人について。ユダヤ人とパレスチナ人について。世の不条理について。
虐待について。精神病について。薬物依存症について。3人の知識と考えを総動員させ、
全力で話した。その時間はとても有意義な時間であり贅沢な時間であった。
時間はあっというまに4時間以上経過した。それでも誰もが話したりずにいた。
とりあえず次回12月に持ち越した。彼女の問いに答えに窮し、
そして確固たる返事をすることはできなかった。けれども、問題は共有した。
今後、長いことのテーマになるそれに対して、生きていく過程の
中で少しづつ答えをだしていこうと思う。

彼女は、日本で今後更に問題となっていく薬物依存に対しての研究をし、それを元に
働いていた。今回は解雇という形をとることとなったが、それが彼女の今後にどう影響
していくのかはわからない。けれども、彼女は優しくて弱いが、逆境を耐え抜く強さを
持っている。

だから大丈夫である。

バックパッカー、古本屋、旅人、メヒコ、友人の映画・マダガスカル、新しい友人、解雇・・・・。

               井の頭動物園のデバネズミ達。



タイトルに無造作に並べた単語。でもそれはどれも私には大きな意味があり共通するものがある。それは仲良く並んでいる、井の頭動物園のデバネズミのようである。


私がメヒコを旅したのはもう5年以上前だったと思う。

あの時に出逢った人達が私の人生に時々スパイスをふりかけてくれる。

日頃、仕事以外であまりに思考を稼動させないことが多い。

否、仕事でさえルティーンで働いてる事が多く、仕事を始めて12年の月日は、

私をフレッシュな気持ちから遠のかせるのである。

旅でも同じことが言える。最初に友人と旅したヨーロッパは何もかもが刺激的で、

五感全てで感動した。けれども、今ではその感動も薄れてきている。

どこかで五感がさぼっている。それはきっと、毎日を平凡の連続で生きてしまって

いるからなのだろう。自分の中にあった知識への貪欲さ、感性を磨くことに、

埃がかぶってしまっているのだ。

もっと思考を稼動させる必要がある。そんな矢先に私のもとにスパイスがふりかけられたのである。

それは、久々に私に生きる刺激を与えてくれ、思考を取り戻す契機となった。


つづく。