5/23/2011

東神奈川の友人。


                                         アンコールワットにて。

神奈川県に住居を移そうと思った理由をいくら考えてみてもわからない。なんとなくみつけたような気がする。そんなあやふやな記憶しかない上に、神奈川県に住みたいと思ったわけでも、仕事場が近いわけでも、好きな人が住んでいたわけでも、親友が住んでいたわけでも、友人が住んでいたわけでもなんでもない。特に理由などないのに住んでみようと思い、見学に行ったのである。そこで逢ったのが彼女である。きっと彼女に逢わなかったら、この家には住んでいないと思う。

60人もの人と住んでいたのに知っている人も友人になった人も数えるほどしかいない。けれども、出逢った人は私にとって大事な人達であり、いつも彼女に逢うと思うことは、彼女に逢わなかったらみんなにも逢うことはなかったんだなぁということである。彼女と久々に逢った。仕事の朝は必ずキッチンで逢う彼女とも逢った。3人での食事は純粋に楽しかった。

人に出逢うことで、そこから広がる更なる世界や人を思う。普段、同職種の人に囲まれその小さな世界から飛び出すことの少ない中、こうやって様々な世界で生きている友人に逢うとほっとする。
 
次の「乾杯」を今から楽しみにしている。

5/17/2011

基点に、起点に、戻る。




いろいろ模索していた。特に意識してそう生きてきたわけではないが、今のところの結果として私は随分ともがいていたんだと思う。右か左か前か、それとも路地裏か少しばかり下がるべきか。そうやって、息絶え絶えになるまで歩くときもあれば、軽快な足取りで歩くこともあった。どうしたって、いつでもこれが全てとは思えず、もっと何かがあるのではないかと探していた。


もっと何かがあるのかもしれないし、ないのかもしれない。それでも進んで行くことが大事であると思っていたし、今もそう思っている。けれども、最近すっかり忘れていた大事なことは、立ち止まることであった。

最近少々歩きすぎた。苦手な走るということすら、取り入れてしまっていたかもしれない。生きていく過程で余計なものがどんどんと増えてきてしまっている。それは時として「経験」と言われ。時として捨てるべきものとなる。

今は休憩すべき時であるようだ。だから、基点に、起点に・・・・戻ってきた。やっと安堵な場所が見つかり、今少しばかりゆっくりと息が吸えるようになってきた。あともう少し、休息しようと思う。

5/11/2011

そうだったなぁ、私、大丈夫だった。

                                         Bangkok中央駅。


久々に見たあの人。写真の中で元気そうにしていた。その笑顔をみて、いろんなことを思い出した。あの時より確実に時は進み、思えば5年位たつ。きっと今こうやって思っていることもいつかは過去となる。帰国したらきっと逢って、その時にこの話をするのだろう。「スペインの写真素敵だったよ。」って。

大好きな先輩に会った。1年に逢っても2回だけれど、もう13年もの付き合いである。先輩はいつだって私の人生の憧れであり、そしてそれでいてどこか危なかしい存在でもある。それはお互いが思っていることのようで、逢うたびに「大丈夫だった?」と聞かれるし聞く。5年位、波乱万丈な恋愛をしていた先輩は、とうとうその恋に終止符をうった。それは驚くべきことであったし、安堵もした。先輩が生きていてよかったと思うし、彼女も大丈夫、生きているよという。

ちょっと弱っている時は友人たちのセンサーが働く。私も働くし、相手にも働く。最近、近くにいて遠い友人たちと連絡がとれる。それはきっと、お互いに必要としているからなんだろう。

皆が言う言葉。それは「なるようになるし、なるようにしかならないし、そして時間という解決方法があるから、安心しなさい。」・・・。

お互いの過去をお互いの口から聞いているし、一緒に歩んできたこともある。だから、どんなに今が辛いと泣きついても、

「ほら、あの時も、その時も、あの時だって、そう言ってたけど、今こうやって自分の足で立ってられるじゃない。そういうことよ。」

とお互いに言い合う。自分のことなのにすっかり忘れていた。そうだったなぁ。私、大丈夫だった。

5/10/2011

告知。 余命。 

Bangkok に向かう飛行機の中から。


まだこの仕事をして間もないころ配属されたのは、癌病棟。沢山の人の死をみた。
死も怖かった。けれども、それよりも怖いのは、癌で侵された身体を襲う痛みに悲鳴をあげていた姿であり、息が苦しいとベットの上で戦う姿であったし、それを唯一緩和できる「麻薬」の怖さであった。

そこは、まさに病院であった。この世には沢山の病気がある。病気に大小をつけることはできない。本人にとっては自分の病気が一番苦しいものであるから。そうわかっていても、私は癌病棟が苦手であった。

いつでも死が隣にいたから。

それなのに、また癌病棟に自らの意思でもどってきた。

今日も、ナースステーションの慌しい日常の中で、「余命の告知」が行われていた。
母と変わらない歳の女性は「もっても1年です。」と告げられた。

彼女も彼女の家族も無表情である。でも、皆そうであったように思う。

TVドラマのように泣き崩れる人は見たことがない。
きっと人は、受け止められない悲しみを前にすると、感情が止まるのであろう。そして、後から後から、ゆっくりとやってくるのだろう。

人は生まれた瞬間から死に向かうという。
そして、死は決して誰かと一緒に歩めるものではない。
先立つほうも、先立たれるほうも同じものを背負う。

「もっても1年です。」

その言葉が、久々に私を落ち着かせなくさせる。
この仕事について12年。沢山の死に出会っているのに。
やっぱり落ち着かない。