4/27/2011

ブランチ。



小さい頃から、ありとあらゆるお手伝いが我が家には存在した。玄関掃除、父の靴磨き、父が仕事に行く前に飲むお茶淹れ、お米研ぎ、ハンカチのアイロン、畳拭き、カレーの玉ねぎをキツネ色になるまで炒めるとか、ポテトサラダのポテトつぶしとか、揚げ物の衣つけとか、ボールを持ってお豆腐を買いにいくとか。とにかく沢山あったのだ。10歳離れた弟が生まれてからはそれに加えて弟の散歩やら、結構忙しかった。そして、その大半はあまり気乗りがせずにしていたことであった。けれども、勉強以外のことに割と厳しかった両親なのでそこは気乗りがしないからという理由で免除になることはなく、仕方なしにやっていた。



そんな記憶も今となっては感謝である。ある程度の家事や料理ができるようになったのは、この経験が役立っているのではないかと思うから。







久々に、なすとひき肉に味をつけて生地にのせ、パンもどきを作った。トルコで購入した香辛料を使い、これはなんだろうか。名前はないけれどまぁトルコ風・・・まずまず美味しかった。









いつもの魚屋さんで、見切りのお刺身イカを購入。さっと茹でて、サラダにした。味付けはとってもシンプルであるが、意外と美味しいのだ。











久々に吉祥寺まで足をのばしたので、なじみのイタリアフードのお店で生ハムを購入。商店街のパン屋で購入したフランスパンとの相性は抜群。

次の休日ブランチは何にしようか。そして明日のお弁当は・・・。こういう時は、師匠である栗原はるみさんの本を開かなくては。そして、やっぱりBGMはノラ・ジョーンズ。

桜と琴子。



実家に長いこと預けているシマリスの桜は、地震の日以来・・・巣に篭ることが多くなってしまったとか。それでも、最近は暖かいせいか巣からでて、巣箱の掃除をしたり木に布団がわりにしている布を干したりとせわしなく動いているとか。相変わらず、悠々自適の一人暮らしなのに、巣箱の角にはえさを貯蓄。何にに備えているのかはさっぱりわからないが、桜も非常用袋を用意しているのだろうか。


最近知ったのだが、パンダは20種類の泣き声で他のパンダと会話をするらしい。その泣き声の中には「ワン」というものも含まれているとか。パンダって昔からあまり興味はないが、その泣き声が聞けるのなら、あの長蛇の列に並びに上野動物園に繰り出そうかと考える。


上野動物園のかばのさつきが死んでしまった。地震で足を滑らせてしまいそれ以来、弱っていったとか。パスポートを持っている理由のひとつだったさつきの死はなんだかしょんぼりしたくなる話であり、オラウータンのモリーさんも元気がないと聞き、あの地震で影響を受けたのは人間だけではないんだなぁって思い、そろそろみんなに会いに行こうかと考える。


でも、3階で生活を供にするカメの琴子だけは地震などまるでなかったかのように、毎日激しく動く。部屋で放し飼いにすれば、どこかに行ってしまい、戻すのが一苦労であるし、庭を散歩すれば物凄い勢いでどこかに行ってしまう。一瞬たりとも目が離せず、人間でいうところのADHDなのではないかと疑いたくなる。カメがのろまって言ったのは、どこの誰なのだろうか。この子・・・まったくのろまとは対極に位置している。まぁ、それでも、琴子の動きに相当癒されているのだが。


言葉。

ひとり旅が寂しくなる時期って意外と早い。誰かに逢いたいとか、日本に帰りたいとかそういう気持ちになるわけではないが、なんとなく寂しいのである。誰とも話さないって結構寂しい。でも、私の選んだゲストハウスはちょっと高級だったため(・・といってもドミトリー900円レベルの話であるが。)、1階に素敵なBarがあった。

一週間毎日同じ席に座った。スタッフも「ここは貴方の席ね。」と言い、降りてくると私のためにその席に扇風機と虫除けキャンドルを持ってきてくれた。夜も帰宅すると、部屋には行かず毎日ここでBeerを飲んで何かを思っていた。スタッフは目が合えば必ず笑いかけてくれ、時々やってきては今日の出来事を聞く。後はほっといてくれる。それでも、私が何か用があれば、顔をあげた瞬間に「何かある?」と言いながらやってくる。

とても居心地がよかった。最近、あの席に座りたいって思う。ブエノスアイレスのあのYHのベンチに座りたいと思って以来なかった思い・・・今あの席に座りたい。

日本にいれば、言葉を考えなくとも母国語で自由に会話を楽しめる。それなのに、今はあの空間で、会話をしたいのである。

声帯をとってしまい声が出せない患者さんがいる。それでも沢山のリハビリの成果で、空気のような声でほんの少しの会話をすることができる。とてつもなく大変なことだけど。

朝の環境整備に行った。終わって出るときに空気のような声だけど耳にどんな声よりもしっかりと聞こえてきた。「ありがとう。」って言葉が。

たったひと言なのに、嬉しくなる。言葉って、こういう事なんだろうって思った。そして「ありがとう。」って言葉はどんな言葉より好きだなってしみじみ思った。

そういえば、旅をしていて最初に覚える言葉はその国の「ありがとう。」だな。

4/23/2011

Bangkok    中央駅編

どこに行ってもインド街に行きたくなる。今回もちょっと郊外にあるインド街に向かった。インド人の家族と楽しい時間を共有して、可愛いサリーも購入して、大満足で駅に向かった。すると、私が目指していた駅ではなく中央駅に着いてしまった。なんとなく歩いているとこういう間違いを起こす。でも旅ではこの方向音痴が面白い出来事に遭遇するチャンスを作ってくれている。

ホームでは、床屋さんが大活躍中であった。なぜ、ここで髪の毛を切るのか?とも思うが、なぜホームで髪をきらないのか?と逆質問されても答えることはできないので、その問いはどこかに追いやることにして・・・。 ただホームで髪の毛を切っているというだけの光景なのになんだか目が釘付けになる。楽しいのである。まだまだ日常には面白いことが転がっているのだ。



お坊さんがベンチでお昼寝中。その光景があまりにほのぼのしていて、少し遠くのベンチに座る。氷水の中をプカプカ浮いていたBEERを購入して、私もお昼寝とまではいかないが、しばしの休憩。明るいうちに飲むBEERってなんでこんなに美味しいのだろうか。  



普段の言葉で結構気に入っている言葉。

「ランチBEER、ランチWINE、」








結婚観。




結婚について、人と話す機会があった。


昔からひとつだけ変わらない思いがある。いろんなことを知ることで人生観も少しづつ変化する。勿論、結婚観も変化する。それでも変わらない思いがある。


「仲良く暮らせたらいいなぁ。」・・・その思いだけは変わらない。


付き合う人と結婚する人は違うって考え方もわかるようでわからない。付き合っている人とその延長で結婚できないものなのか。結婚したら今までのひとりの生活を全て一緒にして半分にしなくてもいいのではないか。同じ空間にいて一緒のことも違うこともできてそれが居心地がいい・・・それが結婚でもいい気がする。なんせ、結婚したことがないから、それが夢見る夢子ちゃん的な発想なのかもわからないけど。


でもそれをなんとなく、その人に言ったら、


「それだったら、結婚しなくてもいいですよね。」


っと言われた。


そう、それくらいの意味で結婚したいのである。


糸井さんの最新刊の「羊どろぼう」のP、188~189にこんな言葉をみつけた。


「人は、結婚のことを「愛」を中心に語りすぎてないか?

なかよく暮らせるといいですね、

くらいの軽やかさでいるほうがうまくやれるような気がするんだけど。

なにせ、ほれ、「愛」って

渇きやすいしあふれやすいし燃えやすいし枯れやすいだろ、

生活のなかに持ち込むには取り扱いが難しすぎる。

絶対に幸せになってやるんだとか歯をくいしばると、

次々にじゃまなものが襲いかかってくるわけです。



遠く明るいほうにむかっておしゃべりしながら歩いていると、

いろいろ面白いこともありましてね。

退屈しないで歩いていける。

その道のどこかで会いましょうや、お二方。」


糸井さん、有難う。私の思いを上手に言葉にしてくれて。

4/17/2011

ひとつのシュークリームに3つの味、


「人(=じぶん)がうれしいことって、どういうことか。」
とにかくこればっかりをしつこく考えることです。
逆の言い方でもいいんですよ、「じぶん(=人)がうれしいことって、どういうことか。」
たぶん、これがぼくらの最大で、唯一の仕事です。」

と、糸井さんはつぶやく・・・・。

仕事場近くの柏水堂で、久々に大好きな3つでひとつのシュークリームを購入した。3つの味が楽しめるのにどの味もおいしく、そして何よりバランスがいいのである。甘すぎずそれでいて、シュークリームに期待される甘さはちゃんと用意されているのである。

いつも思う。このシュークリームのような生き方をしたいと。でも難しい。バランスのいい人生を望めば望むほどそこから遠ざかるように思う。きっとバランスのいい人生とは意識下にあるものではないのだろう。だから、私がバランスという言葉を忘れてしまった時に初めてそういう人生が始まるのかもしれない。

私が考える自由を手放した。そして自ら、不自由に飛び込んだ。結果から言えば、苦しい。でも、自由の中での自分も息苦しくなってきたのだ。右をみても左をみても、逃げられない。あれほど、見通しよく見えていた逃げ道が見えないのである。そして見失った。自分の行きたかった道を。

久々に行った以前の仕事場。大好きな同僚達の顔をみて混乱する。大好きな患者の髪を洗い、体を洗い、辛そうだった顔にほんの少しの笑顔と安らぎの顔をみて混乱する。

同世代の患者が、昨日まで楽しく会話をしていたのに、次の日にいなかった。食道静脈瘤が破裂して大量の吐血後、空に向かった。そういえば、これが病気の怖さだと、久々に出会った同世代の患者の死にあい、考え、そしてやっぱり混乱する。

この仕事に決めた10代の自分は何を考えていたのだろうか。
仕事に就いてはじまった、第2の道のりで自分は何を考えていたのだろうか。
仕事を辞めて、旅に出たときの自分は何を考えていたのだろうか。
離島や金沢に行ったときの自分は何を考えていたのだろうか。

いつものことであるが、考えればそれだけ混乱するのである。 全部が自分のことのはずなのにちっともわからない。最近、一番わかりたいと思う人のことがちっともわからなくて困ってしまっているけど、それって仕方ないことなのかもしれない。だって自分のことだってわからない。

「不思議の国のアリス」の言葉を最近知った。

なんでもない日、おめでとう。

4/12/2011

ほどほどにね。




駅に降り立ち、なんとなくため息をつく。それは安堵からくるものか、もうすぐ今日が終わってしまう寂しさからくるものか、ただ単純に疲れたなぁって思うため息か。


そんな日は、ほんの少し寄り道をする。本当は左にいけばすぐに家なのに、右に曲がる。そこには小さな踏切があって、私が好きな小さな電車が通る。その上を、また違う沿線の電車が走る。その光景が結構気に入っている。その光景を見ながら、大きく深呼吸をする。そして帰宅した。


「ほどほどのお金と適度なおしゃべりがあったら、毎日幸せ。」そんな言葉をみつけた。


本当にそうだなって思う。なんでも「ほどほど」がよくて、「ほどほど」を超えると、しんどくなる。おかしくなる。


それって、酸素と一緒だって気づいた。私達は酸素がなければ生きていけない。病院では、体の酸素が足りない人には、酸素を吸わせる。けれども足りないからといって沢山の酸素を吸わせると、本来でていくはずの二酸化炭素がでていかなくなる。そしてナルコーシスという状態に陥り、おかしくなる。不明な言動や行動を始めるのだ。


何事も、ほどほどにしなくてはうまくいかないのだと、自分より体は知っているらしい。いろんなことを欲張りすぎて、重たくて動かない・・・・状態にならないようにしなくては。


そう、なんでも「ほどほどにね。」

Bangkok     ドラエモン編


夜は屋台で食べることにした。ガイドブックもない、タイ語も話せない・・・ということで、今日も隣の人の食べているものを指差して注文する。


「これは何?」という英語は通じず、勿論日本語も通じず、タイ語がわからない私はその美味しい屋台の食べ物の名前を最後まで知ることはできなかった。


ほどよく辛いその食べ物は美味しかった。


屋台で食べるご飯が好きである。




作る工程をみているだけでなんだか嬉しくなる。屋台はいろんなリスクがあると言う人もいる。でもそのリスクはどうってことないのである。旅と言えば、「出逢い」と「食」である。



タイでドラエモンとのびたに逢った。ついつい嬉しくなって写真に納めてみた。私にとってはいろんな事が重なりなんだか思い出がフラッシュバックする。後2日で逢えるその人を連想させる、そして嬉しくなり、不安になる。本当に異国の地で再会できるのかすらわからない、逢いたい、けれど、逢いたくない。その矛盾した気持ちのなかを沈没しないように必死で泳ぐことは決して容易ではない。そんな状態でドラエモンたちに逢ってしまったのだ。


「ドラエモンの映画が楽しめなくなった時が大人になった時かもしれないね。」

「セブンイレブンみたら、俺の誕生日を思い出すでしょ。」


あの時の会話はなぜか鮮明である。10年以上が経過した今も。

だから、今度こそ逢えるかもしれない。そうドラエモンのタケコプターを見ながら思ったのである。

4/03/2011

Bangkok       時計のいらない生活の始まり。


目覚めはよかった。旅の初日の朝に必ず思うこと。
「今何時?そして、ここはどこだっけ?」
「そうだ、私Bangkokにいるんだ。」
そんな感じで始まるのである。

顔を洗い、念入りに日焼け止めを塗る。
紫外線が不得意であるため体中に念入りに塗る。

そして、一階に降りオープンテラスの一番端の席に座り珈琲を頼む。
ゆっくりと時間をかけて珈琲を飲む。
心地よい風を感じ、同時に異国にひとりでいるんだという思いを強くし、
そしてなんだか嬉しくなる。

今日は何をしようか考える。
時間ならたっぷりある。
何もしなくてもいい。
何かしてもいい。
そんな日がこれから10日以上続くのである。

そう、これが旅であると思っている。
時計も予定もすべきこともない生活が。

まずは、時計を外してポシェットにしまった。
そして外した手首に、昔親友にもらって以来お気に入りである陶器のブレスネットをつける。次に、母がどこかを旅行したときに美術館で購入してくれたネックレスをつける。その次は、おしゃれなお姉様たちがプレゼントしてくれたピアスをつける。最後に、親友が10年前の誕生日にくれたがま口に小額のお金をいれる。

これでいつものひとり旅のお供は全てみにつけた・・・・ということで出発。



大通りをずんずんと歩く。暗い中歩いた時とはだいぶ印象が違う大通りは活気づいている。珈琲しか飲んでいないため空腹であることを、おばちゃんが焼いているものをみて気づいた。「卵?」と聞くと違うという。それ以上は全く何を言っているかわからなかったけど、とりあえず購入してみた。食べてみると、ココナッツの味がする。最後まで何かはわからなかったし、Thai foodの本にも掲載されていなかった。けれども、その名前はわからない食べ物は美味しかった。そして、恥ずかしそうに写真に笑顔を向けてくれたおばちゃんは可愛かった。

4/02/2011

安宿までの道のり・・・。


ここでいいやと決めた安宿は予想以上に遠かった。とりあえず、最寄の駅周辺でbusを降りたのだが、暗いこともあってどこに進めばいいのかわからない。私が知っているのは宿の名前と住所だけである。住所から通りの名前の察しはつくが、肝心の通りの名前がどこに書いてあるかがわからない。もうこれは手当たり次第に通行人に聞くしかないのである。


まずは角のお店のおばちゃんに聞く。前の大通りを左にまっすぐであるという。しばらくしてまた聞いてみた。まだまだ先であるという。ひたすら歩くことにした。日が暮れて、屋台の数も減ってきた大通りを歩くことに少しづつ不安を覚えもう一度、聞いてみた。


まだまだ先であると言われた。そして、busに乗ることを強くすすめてきた。しかし、Thai語ができない私には難関である。なぜなら、窓もドアも開いた明らかに定員オーバーなそのbusは道まででて自分で止めないといけない雰囲気があるし、停留所がないところをみると降りるところも自分で言わなければいけないような感じである。きっと、お金は一律なのだろうがその金額すらわからない。そんな地元色たっぷりのbusに気軽に乗れる度胸は持ち合わせてない。


とりあえず、お礼を言いまた歩くことにした。すると、後ろからすごい勢いで追いかけてきた彼女は私の手を掴みbusに乗った。私は何がなんだかわからないままにThai人に囲まれbusに乗ることになった。お金はなんだかよくわからないが持っていたコインを渡すと、更に小さなコインのおつりが返ってきた。いくらだかさっぱりわからないが、日本円にしたら何十円にもならないような小額なので、気にすることもなかった。


私を乗せてくれたおばちゃんは、隣の乗客に何やら言うと私に笑顔を見せbyeと言い降りてしまった。その乗客のおばちゃんを見ると笑顔で頷いている。なんだか、もうどうにでもなれって感じとなってきた。突然、おばちゃんが立ち上がり、私の手をとり降りた。そしてそのまま道路の反対側まで連れていかれ、そこを曲がれと言う。どうやらその道沿いに宿があるらしい。


21:00を回った外は、かなり暗い。その道もなんだか薄暗く怖いのである。キョロキョロしていると、ひとりのおじちゃんと目が合ったので、宿について聞くと、どこか行ってしまった。途方にくれているとバイクに蛍光オレンジのジャケットを着たおじちゃんを連れて戻ってきた。そしてバイクの後ろに乗れという。


とまどった。小さいころの記憶が蘇る。私の母の弟のゆうちゃんは大きなバイクを持っていた。一度乗せてもらったことがある。そしてものすごく怖かった思い出がある。私の記憶はそこまでであるが。その後私はゆうちゃんが困ってしまう位激しく泣いたらしい。


高校生の時、幼稚園のころから仲良しだったあきらくんがバイクの事故で空に昇った。そしていまだに帰ってこない。


私はバイクが嫌いであった。というか怖かった。乗り物は好きであるが、バイクは嫌いである。


でも、今の私には選択肢はないに等しかった。このバイクに乗って宿につくかはわからない。けれども、乗らなければつかない。


私は乗ることにした。そして宿についた。それはそれは長い道のりであった。


そして、バイクという乗り物が好きになった。Bangkokにいる間、私は移動手段として常にバイクを選択した。バイクの後ろに乗るのは気持ちよかった。暑い国で風をきって走るのは、自由を手に入れた感覚を与えてくれる気がした。


何となく選び、長い道のり経て、そして沢山の人の手をかりて着いたその宿はものすごく居心地がよかった。結局私は最終日まで、その宿にいたのである。


次の旅もここに泊まりたいと思っている。勿論、バイクの後ろに乗せてもらって・・・・。



Bangkok 到着。

まずは、宿探しである。去年泊まった安宿にしようかと思ったが、どこだか思い出せない。手当たり次第にもらったフリーペーパーからよさげな所をみつけた。とりあえず、そこに行ってみることにした。Bangkokの安宿としてはやや高めであるが、日本円で1200円位であるし、疲れていたので初日はそこに泊まり、気に入らなかったら他の宿を探せばいい・・・・ということで向かうことにした。問題は地図がなく住所だけであるという点である。
安くて、便利なAIRPORT BUSを使うことにした。(後で、最近できたAIRPORT TRAINの方が便利で安かったと知るのだが・・・・)

屋台に行く元気は残っていなかったため、サブウェイですませることにした。店員に辛くしてもよいか聞かれたため、少しにしてと答えたのだが、彼の少しは私の普通以上であった。そうだった・・・・ここはThaiであった。



BUSは一向に進まずにいる。そして車内は私をペンギンと間違えているのではないかと思うくらい寒い。      暑い国を旅して私を悩ませるのは、室内の冷房である。仕方ないので、リュックの一番上にいれておいた日本仕様のwoolのポンチョをとりだし着ることにした。なんで他の乗客はあんなに薄着なのにこの寒さに耐えられるのか、いつだって不思議である。

旅        Bangkokへ  続き。

さて、この飛行機に乗ったら後は到着をまてばいい。降りればそこは今回の目的地であるBangkokである。空港で飛行機をまつ間、333を飲み続けたというのに、やっぱり飛行機に乗ったら「お酒」だよねと、ひとりつぶやきながらBeerを頼む。なぜかきたのはCanadaのBeer・・・なぜ、333じゃないのという思いは心の中にとめておいたけど、母国のBeerは積んでおいてほしかったなぁ。


そんなことを思っていたら、到着した。    1年ぶりのBangkokである。 



私の旅が本格的にはじまる。





2009年 1月16日に私が思ったこと。



2009年 1月16日  私は谷川俊太郎の詩を読み、そしてそれに対する思いを綴っていた。
2009年 1月16日  私は誰を思いその詩を読み、それに対しての思いを綴ったのだろうか。
2009年 1月16日  その日の自分など思い出すことはできない。でも、今その時の自分の言葉を読んで、その時の自分の思いに今の自分の想いが重なると思った。人ってそんなに簡単に変化しないものなんだと、そう思ったらなんだか笑えた。

2011年 4月2日   私は谷川俊太郎の詩集を紐といた。なんとなしに。


「明日」

ひとつの小さな約束があるといい
明日に向かって
ノートの片隅に書きとめた時と所
そこで出会う古い友達の新しい表情

ひとつの予言があるといい
明日を信じてTVの画面に現れる雲の渦巻き
<曇のち晴れ>天気予報のつつましい口調

ひとつの小さな願いがあるといい
明日を想って
夜の間に支度する心のときめき
もう耳に聞く風のささやき川のせせらぎ

ひとつの小さな夢があるといい
明日のために
くらやみから湧いてくる
未知の力が
私達をまばゆい朝へと開いてくれる

だが明日は明日のままではいつまでもひとつの幻
明日は今日になってこそ生きることができる
ひとつの確かな今日があるといい
明日に向かって歩き慣れた細道が地平へと続き
この今日のうちにすでに明日はひそんでいる

谷川俊太郎