3/31/2011

お別れって言葉は苦手である。

「別れがあるから出逢いがある。」 そうやって誰もが別れを自分の中で納得させる。確かに、別れがあるから出逢いがある。けれども、別れなくとも出逢いはある。だから、その言葉、あまり好きじゃない。それを使うのは、失恋した友人や自分にだけである。「もっと素敵な人に出逢うから、別れるのよ。」・・・それには納得している。根拠などなくとも。


最近のお別れ。それは、前の住居からの引越しでお別れした友人たち。そして、昨日で終止符を打った仕事場の同僚たち。前の住居からの引越しも旅の前にさらっと終えた。引っ越すことも大きな声では知らせなかった。並びの部屋の住人たちに「風のような人」と表現されてしまうくらいな引越しであった。 同僚たちとの送別会も欠席した。お別れって苦手である。そういう区切りは大事にするべきなのだろう。でも、とっても苦手である。なんだかその区切りが一生逢えないような気分に私をさせる。例え、これから先、一度も逢うことがないとしても、いつでも逢えるような気分でいたいのである。


旅先で出逢い、その時を思う存分一緒に楽しみ、そして「またどこかの国で逢ったら、一緒に旅しましょうね。」とその国で別れる。連絡先も職業も名前も知らない。知っているのは旅が好きで村上春樹が好きでよしもとばななが好きで、ライ麦畑でつかまえてのコールフィールド君が好きということだけ・・・みたいな距離。そういう距離感での別れは、またどこかで逢えるような気分にさせてくれるのである。

お別れって言葉は苦手である。けれども、同僚たちからの、沢山の手紙やメッセージ、素敵なプレゼント、素敵な言葉は嬉しかった。

ある友人の「貴方との出逢いは神様のgift。バァちゃんになるまでよろしく」という言葉に涙がでる。  



最近、年賀状以外の手紙をPOSTにいれてないことに気づいた。


この嬉しさは、手紙で伝えるのが一番なように思った。字はその人を表すというが、愛情を表現する一番のアイテムでもあるように思う。


早速、レターBOXを開けた。これからゆっくりと書きはじめよう。




Parisの安宿のベッドの上に置いてあった紙切れ。「Parisで逢えたので、日本のどこかでも逢えるでしょう。またどこかで逢いましょう。」   あの人は元気だろうか。

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