3/21/2011

節電と旅。



「計画停電」という言葉を耳にしてから随分と時間が経過したように感じる。それはきっと、地震がおきてから今日までどこか体が緊張しているからだろう。


私の住んでいる地域は今現在は停電区域に属していない。けれども実家も兄弟の住む地域も停電区域に属している。もともと私の家族は冷暖房が苦手で灯油ストーブと湯たんぽで暖をとる家であるし、消灯時間も早いのでそこまでの不自由さは感じてない様子であるが、水がでないのは少し不便ねと話す。


病院も節電に励んでいる。廊下もナースステーションも暗い。医療者だけでなく、患者も節電に励んでいる。


暖房を消し、洋服を着込み、ろうそくと懐中電灯で過ごす時間も体験してみた。ひとりでは辛いかもしれない。でも、みんながいるとそれほどの苦痛は感じられない。停電の予行練習後、電気をつけると明るすぎた・・・。


日本は明るすぎたのかもしれない。これ位がちょうどいいようにも思う。

考えてみると、どこの国も日本のように明るかった印象がない。よく考えてみたけど、やっぱりないように思う。暗い国なら沢山思い出す。

電車に乗り込んできたおばちゃま達の会話。
「なんだか暗いし、寒いわね。世の中が暗いのに追い討ちかけるわよね、これじゃぁ。」
そんな優しくない会話を人目もはばからず、それはそれは楽しそうに話しているのである。
充分楽しそうなおばちゃま達にため息・・・周囲も同じ空気が流れている。
 
おばちゃま・・・どこが暗いのでしょうか?そう問いたかった。

「節電」という言葉はどこか辛い感じがする。被災した人を考えればそんなことは思うべきでも口にだすべきでもないのかもしれない。それに「予測もつかない大規模停電」がきたら、独居老人や高齢者夫婦や障害を持つ人や子供に大きな影響を及ぼすのである。

駅はエレベータもエスカレータも停止している。もしかしたら駅員に事情を話せば使用できるのかもしれない。それでも、障害者や高齢者も私たちと同じように階段をのぼる。そしておりる。とてもゆっくりと、、手すりにしがみつきながら。その姿をみたら電車が7割になったことや、電車が暗くて寒いことや、ありとあらゆることに優しくないことを思ってはいけない。

私は歩くことも走ることもできる。寒ければ容易に洋服をきることもできる。健康な人が被災者や高齢者や障害者を守らなければいけないのである。「節電」という言葉は仮の言葉である。本当は・・・なんだろうか。「優しさ」・・・否、もっと何かあるはずである。

いろいろと考えてみた。そして思った。旅しているときの不自由さを思い出せばなんてことないと。確かに旅という非現実と日本ではないから「郷に入れば郷に従え」精神が、私を苦痛から解放していたのかもしれないが。

テッサロニキからソフィアの電車はマイナスの世界な上に夜中中走る電車なのに暖房は故障。トイレはドアが壊れており、外の世界と通じていた。

ソフィアではあまりの寒さによく水道管が凍り、お湯から飛び上がるほどの冷たさの水を浴びるはめになっていた。まだ水がでればいいが、水さえでないこともあった。 まぁ、どこの国もお湯は結構な確率ででなかったので、お湯がでてくるとものすごく嬉しかった。

トイレのお水がでないこともしばしば。紙を一緒に流せばすぐに詰まる。カンボジアではトイレの隣にあるお水を桶のようなもので流していた。

メキシコではタンクのお水の関係で一回のシャワーでお湯を使える時間が決められていた。確か10分位だったと思う。お湯を出す前に洗顔を済まし、髪を洗い、体も洗い、それからお湯をだしていたように思う。ただこれは暑い国だからできたようにも思うが・・・。

まぁとにかく、他の国のライフラインは信用できないのである。蛇口がついてようが、プラグがあろうが電球があろうが、レプリカもしくは故障の場合も多いのである。

電車はいつだって遅れるし、いつくるのか聞けば「神のみぞ知る」やら「きた時が来る時間」だと当たり前のように言われていた。

旅では仕事があるわけではないからそんなことも悠著に構えていられるのかもしれない。でも、あれだけのことに適応できるのである。そして懲りずにまた安い旅を続けているのだ。
だから私は、頑張らなくては。

追記、
他病棟の師長に「あらっ貴方、災害に備えてリュックにしているの?」と言われた。
「リュックも水筒も普段使いです。」
やっぱり、リュックが一番落ち着くのである。


追記2
あまりの寒さに四肢の冷感がひどくなり感覚がなくなりはじめた。こんなときは湯たんぽと・・・。そうそう、ソフィアに向かう電車ではリュックの中の洋服を全てきて巻きつけられるものは全てまきつけていたなぁ。

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