3/31/2011

商店街の楽しさ Ⅰ

引っ越してきてから1ヶ月もしないうちに、近所のスーパーが改装のため休業した。当分開店しないという。けれども、特に困ることはない。なぜなら、商店街が充実しているのである。魚屋も肉屋も八百屋も米屋も靴屋も花屋もパン屋も雑貨屋も・・・・とにかく私の生活に必要なものはなんでも揃っている。

肉屋でお肉を買うと、もうすぐ閉店だからね、と言いながら自家製のスパゲティサラダをつけてくれる。
魚屋でぶりのあらを買うと、100円おまけしてくれる。鯵を3枚におろしてくれる。
靴屋で運動靴を買うと、紐を通してくれながら商店街についていろいろと教えてくれる。



靴屋のおじちゃんが教えてくれた、ラーメン屋に行った。98歳の初代店主が元気なうちは200円で食べれるというそのラーメンは美味しかった。私はゆで卵をつけてもらったので250円であるが。

次に、教えてもらった甘味屋さんであんみつを食す。そこのおばちゃんに避難所のことと避難訓練について教えてもらう。

そして、美味しいという鳥の専門店に行く。そこで手羽先を購入した。週末は久々に手羽先鍋にしようかなぁ。

商店街って楽しい。商店街のある街に住めるって素敵である。

まだまだ、散策しなくては。 つづく。

お別れって言葉は苦手である。

「別れがあるから出逢いがある。」 そうやって誰もが別れを自分の中で納得させる。確かに、別れがあるから出逢いがある。けれども、別れなくとも出逢いはある。だから、その言葉、あまり好きじゃない。それを使うのは、失恋した友人や自分にだけである。「もっと素敵な人に出逢うから、別れるのよ。」・・・それには納得している。根拠などなくとも。


最近のお別れ。それは、前の住居からの引越しでお別れした友人たち。そして、昨日で終止符を打った仕事場の同僚たち。前の住居からの引越しも旅の前にさらっと終えた。引っ越すことも大きな声では知らせなかった。並びの部屋の住人たちに「風のような人」と表現されてしまうくらいな引越しであった。 同僚たちとの送別会も欠席した。お別れって苦手である。そういう区切りは大事にするべきなのだろう。でも、とっても苦手である。なんだかその区切りが一生逢えないような気分に私をさせる。例え、これから先、一度も逢うことがないとしても、いつでも逢えるような気分でいたいのである。


旅先で出逢い、その時を思う存分一緒に楽しみ、そして「またどこかの国で逢ったら、一緒に旅しましょうね。」とその国で別れる。連絡先も職業も名前も知らない。知っているのは旅が好きで村上春樹が好きでよしもとばななが好きで、ライ麦畑でつかまえてのコールフィールド君が好きということだけ・・・みたいな距離。そういう距離感での別れは、またどこかで逢えるような気分にさせてくれるのである。

お別れって言葉は苦手である。けれども、同僚たちからの、沢山の手紙やメッセージ、素敵なプレゼント、素敵な言葉は嬉しかった。

ある友人の「貴方との出逢いは神様のgift。バァちゃんになるまでよろしく」という言葉に涙がでる。  



最近、年賀状以外の手紙をPOSTにいれてないことに気づいた。


この嬉しさは、手紙で伝えるのが一番なように思った。字はその人を表すというが、愛情を表現する一番のアイテムでもあるように思う。


早速、レターBOXを開けた。これからゆっくりと書きはじめよう。




Parisの安宿のベッドの上に置いてあった紙切れ。「Parisで逢えたので、日本のどこかでも逢えるでしょう。またどこかで逢いましょう。」   あの人は元気だろうか。

3/28/2011

甘い記憶  琴子と結城。



帰国の日、久々に日本の本屋に入る。無性に本が読みたくなり手当たり次第に本を手にとり、買い物依存症の人のように、その積み上げた本を更に吟味することもなくレジに運ぶ。

なんとなく、恋の話が読みたかった。それはきっとひとつの大きな恋に終止符が打たれた直後であったからだろう。だからきっとなんとなくではなく必要としていたのだろう。恋の話を。

新潮社から出版しているその本は6つの短編で構成されている。なんとなく開いたページは83ページであった。その作品を夢中で読んだ。そして、琴子を愛おしく思った。そして、結城を好きになった。そして、またリュックを背負い旅に出たくなった。ひとり旅ではなく誰かと行きたくなった。楽しいね、美味しいね、また行きたいね、次はどこに行こうか。そんなことを、オウム返しのように繰り返してくれる人でいい。誰かと旅にでたくなった。誰かといる煩わしさなど大したことではない。琴子と結城のように旅をしたくなったのである。

帰国した次の日、更に寂しくなった私は近所を散歩した。そして熱帯魚屋を見つけた。その古びた熱帯魚屋で私の目に飛び込んできたのは「カメ」であった。優雅に泳ぐその「カメ」から目が離せなくなり、購入した。名前は結城ではなく琴子にした。





甘い記憶 (新潮文庫)

3/27/2011

旅     Bangkokへ。 

今回の旅の最初はBangkokである。Vietnam経由の旅であるため、まずはHochiminhに向かう。前回の旅で乗ったアラブの航空会社と比較すると快適さはやや劣るが、やっぱり窓からの眺めは私のありとあらゆるものを刺激する。 世界は空で繋がっているという思いを更に深くする。そして、少しだけいろんな寂しさから解放されるのである。空を通していろんなことと繋がっているという事実が。





なぜ、japanese foodを頼むといつだっておそばがでるのか不思議である。隣のVietnam人のおじさんは上手に箸を使いおそばをすすっている。私も日本人として負けてられないと、おそばをすする。おそばはまずまずの味であった。 以前、長い旅からの帰国の際、日本食を欲していた私は、怪しげなおそばとのり巻きの組み合わせに大興奮をして美味しいと食べたのを思い出す。みるからに美味しいとは思えないのに、ただ「日本食」という事実だけに味覚が反応をして、私の脳に美味しいと信号を送ったのだろう。とても美味しかったのである。

今回は行きの飛行機の中であり特に日本食を欲していたわけではなかった上で食してまずまずの味ということはそれなりに美味しい機内食なのだろう。                                                                                          



Hochiminhの空港。Bangkok行きの飛行機まで3時間程度の時間がある。・・・・ということで、333(バーバーバー)を購入。飛行機内でもらったおつまみと供に食す。久々に飲んだ333はアジアのなんともいえない暑さを思いださせる。そして、去年もこうやってひとりで333を飲んだことを思い出した。 空港でその国のBeerを飲むたび、旅が始まったと実感する。今回もようやく旅が始まった。



さて、まずはBangkokの宿をどこにするか、そろそろ考えなくては。

3/21/2011

節電と旅。



「計画停電」という言葉を耳にしてから随分と時間が経過したように感じる。それはきっと、地震がおきてから今日までどこか体が緊張しているからだろう。


私の住んでいる地域は今現在は停電区域に属していない。けれども実家も兄弟の住む地域も停電区域に属している。もともと私の家族は冷暖房が苦手で灯油ストーブと湯たんぽで暖をとる家であるし、消灯時間も早いのでそこまでの不自由さは感じてない様子であるが、水がでないのは少し不便ねと話す。


病院も節電に励んでいる。廊下もナースステーションも暗い。医療者だけでなく、患者も節電に励んでいる。


暖房を消し、洋服を着込み、ろうそくと懐中電灯で過ごす時間も体験してみた。ひとりでは辛いかもしれない。でも、みんながいるとそれほどの苦痛は感じられない。停電の予行練習後、電気をつけると明るすぎた・・・。


日本は明るすぎたのかもしれない。これ位がちょうどいいようにも思う。

考えてみると、どこの国も日本のように明るかった印象がない。よく考えてみたけど、やっぱりないように思う。暗い国なら沢山思い出す。

電車に乗り込んできたおばちゃま達の会話。
「なんだか暗いし、寒いわね。世の中が暗いのに追い討ちかけるわよね、これじゃぁ。」
そんな優しくない会話を人目もはばからず、それはそれは楽しそうに話しているのである。
充分楽しそうなおばちゃま達にため息・・・周囲も同じ空気が流れている。
 
おばちゃま・・・どこが暗いのでしょうか?そう問いたかった。

「節電」という言葉はどこか辛い感じがする。被災した人を考えればそんなことは思うべきでも口にだすべきでもないのかもしれない。それに「予測もつかない大規模停電」がきたら、独居老人や高齢者夫婦や障害を持つ人や子供に大きな影響を及ぼすのである。

駅はエレベータもエスカレータも停止している。もしかしたら駅員に事情を話せば使用できるのかもしれない。それでも、障害者や高齢者も私たちと同じように階段をのぼる。そしておりる。とてもゆっくりと、、手すりにしがみつきながら。その姿をみたら電車が7割になったことや、電車が暗くて寒いことや、ありとあらゆることに優しくないことを思ってはいけない。

私は歩くことも走ることもできる。寒ければ容易に洋服をきることもできる。健康な人が被災者や高齢者や障害者を守らなければいけないのである。「節電」という言葉は仮の言葉である。本当は・・・なんだろうか。「優しさ」・・・否、もっと何かあるはずである。

いろいろと考えてみた。そして思った。旅しているときの不自由さを思い出せばなんてことないと。確かに旅という非現実と日本ではないから「郷に入れば郷に従え」精神が、私を苦痛から解放していたのかもしれないが。

テッサロニキからソフィアの電車はマイナスの世界な上に夜中中走る電車なのに暖房は故障。トイレはドアが壊れており、外の世界と通じていた。

ソフィアではあまりの寒さによく水道管が凍り、お湯から飛び上がるほどの冷たさの水を浴びるはめになっていた。まだ水がでればいいが、水さえでないこともあった。 まぁ、どこの国もお湯は結構な確率ででなかったので、お湯がでてくるとものすごく嬉しかった。

トイレのお水がでないこともしばしば。紙を一緒に流せばすぐに詰まる。カンボジアではトイレの隣にあるお水を桶のようなもので流していた。

メキシコではタンクのお水の関係で一回のシャワーでお湯を使える時間が決められていた。確か10分位だったと思う。お湯を出す前に洗顔を済まし、髪を洗い、体も洗い、それからお湯をだしていたように思う。ただこれは暑い国だからできたようにも思うが・・・。

まぁとにかく、他の国のライフラインは信用できないのである。蛇口がついてようが、プラグがあろうが電球があろうが、レプリカもしくは故障の場合も多いのである。

電車はいつだって遅れるし、いつくるのか聞けば「神のみぞ知る」やら「きた時が来る時間」だと当たり前のように言われていた。

旅では仕事があるわけではないからそんなことも悠著に構えていられるのかもしれない。でも、あれだけのことに適応できるのである。そして懲りずにまた安い旅を続けているのだ。
だから私は、頑張らなくては。

追記、
他病棟の師長に「あらっ貴方、災害に備えてリュックにしているの?」と言われた。
「リュックも水筒も普段使いです。」
やっぱり、リュックが一番落ち着くのである。


追記2
あまりの寒さに四肢の冷感がひどくなり感覚がなくなりはじめた。こんなときは湯たんぽと・・・。そうそう、ソフィアに向かう電車ではリュックの中の洋服を全てきて巻きつけられるものは全てまきつけていたなぁ。

3/19/2011

死ぬことの違い。

地震が起きた。その日は仕事であった。いつもと違う揺れであると誰しも同じタイミングで感じ、患者の部屋に走った。私の病棟は10階である。私が最初に入った部屋は角部屋である。患者は激しい揺れにベット上でパニックになっていた。今にも倒れそうな患者と点滴台を押さえるが、揺れは一向におさまらず、むしろ激しくなる。わたしでさえ立っていることができなくなる。クローゼットのものは全て床に転がり、机のものは落下していく。一度おさまった地震はその後も何度も余震を繰り返す。そして、天井からお湯が降り出した。  大惨事ってこういうことをいうのだろうか。  あまりの光景に何がなんだかよくわからなかったのである。

その後知った。東北の大地震を。最初の報道で約20名の死亡・・・。その後膨れ上がる数値に言葉がでなくなる。

今日、患者が死んだ。彼女をきれいにしながら思った。昨日、ご飯を食べさせ一緒にNEWSを観たなと。その時は今を予想することなど勿論なかった。出勤して、彼女の死を知らされたとき耳を疑った。なんで?とも思った。まだ少しだけ体温のある彼女の髪や手を洗いながら、そしてお化粧をしながら涙がでてきた。

人の死は悲しい。悲しいのである。とってもとっても悲しいのである。

天災での死・・・。その可能性を否定はできない。けれども、誰もがそういう最期など想像しないだろう。人はいつか死ぬ。いつだって未来で生きている保証などない。そう思っていても、天災の死はなにかやりきれないものを残す。

病院で死んだ彼女。天災で死んだ人たち。同じ死である。そうだけど、そうなんだけど、なんだろう。何か違うように感じるのは。

せめて、最期は大事な命が宿っていたそのからだをきれいにしてあげたい・・・・。

3/11/2011

END

親友から誕生日プレゼントと供にカードが届く。

「ムーミンの友達のみぃはね、楽しむこと、喜ぶことは
知っているけど、悲しむことは知らないんだって。」


キューバ、パリに続きギリシャからAIR MAILが届く。

「素敵な国だけど、笑顔が少ない気がするんだ。それが残念で。」


2階に住む同居人に言われた。

「よかったじゃない。それで・・・。」


なんだか、この気持ちにもう終わりがきたようだ。
生きるということは強くなることでもあるのかも知れない。

ひとつひとつの悲しみに与えられる涙の量も決められているのかもしれない。
もう今回の悲しみの分の涙はなくなったみたい・・・。

だから、END。

3/08/2011

存在。



偶然みつけたカップケーキ屋さん。
私の頼んだのはオレンジなんとか。
二人が頼んだのは、ショコラなんとか。

ほどよく甘く、バランスのいい味が心地よく胃に流れ込む。
そこには幸せの時間が流れている。
ただ、ただ、3人で黙々と食べているだけなのになぜか幸せなのである。

異国の地で食べたカップケーキは優しかった。
きっとみんなにとって優しかった。

失なったと思うから悲しいのだと。
もとから存在しなかったと思えばいいのだと。
そう言われても。

ずっと前にも。あの時にも。こないだも。
存在していた。私の前にいた。だからこんなにも悲しい。

もし、誰かが言うようにもとから存在していなかったのであれば。
こんなに美味しいカップケーキを食べていた人は誰なんだろう。

今、帰国して。
全部置いてきたはずなのに。
やっぱり悲しくて涙を流しているのは誰なんだろう。

本当にもとから存在していないのだとしたら。

3/07/2011

知ることに対して。


知ることに何の意味があったのだろうか。
その事実に突き当たるためにこの思いとともに生きてきたのだろうか。
そうであるなら、やっぱり知る必要があったのだろうか。

この事実を受け止めようと必死にもがく。
そのためなら、逆立ちだってできる。
いろんな角度からみたらもしかしたら違う色に見えるかもしれない。

でもどうしたって、今の私にその事実は涙しかくれはしない。
それが今のところの答えなのだろう。

頭で納得させようともがくと、体が「嘘をついたら駄目よ」と涙をくれる。
でもこの辛さは、自分にさえ嘘をつかなければ乗り越えられない。

知ることの時としての残酷さに、涙以外のものはないのだろうか。