1/26/2011

ドモジェドボ国際空港,



友人の子供は手を差し出すと、私の指をぎゅっと掴む。それを反射と呼ぶのかもしれない。けれども私にはこれは全ての人がもつ感情の全てを表しているように思えてならない。人はひとりでは生きてはいけない。誰かが必要なのである。彼がぎゅっと私の指を握るたび、そこから生命を感じる。そしてその重さも。


最近読んでいた政治の本。それには・・・・の抗議のためにとか、正義のためにとか、そういう言葉が沢山でてきた。そして、・・・だから暗殺されたとか殺されたとか、民間人が巻き込まれたとか。

現在の年齢で政治の世界や世界の情勢について疎すぎるのはなんだか自分としてはよくないように思えて、私でもわかるような噛み砕いてくれいてる書籍をみつけると読むことにしている。

いつの時代も争いは絶えない。争いは争っている人たちだけの中でおさまる事はない。いつでも巻き込まれる人がいる。もしかしたら争っている人も巻き込まれている人かもしれない。真実など誰も知ることはないのかもしれない。

今回のモスクワのNEWSは私にとっては日本で起きたことのように身近であった。あの空港には何度も降り立っている。映像の場所もきっと私も立っていたことがある場所であろう。日本のNEWSはいつだって
最初にこういう。

「日本人の犠牲者はいないようです。」

それは日本のNEWSとしてのあるべき姿なのだろう。そう理解していてもなんだか違和感を感じるのである。

現在35人死者がでており、110人以上の人が病院に運ばれてるいるようだ。チェコで出会ったロシア人のおじちゃま4人組を思い出す。私には彼らが今回のことに巻き込まれていないか、彼らの近しい人が巻き込まれていないかを知る術は持ち合わせていない。ただ思い出し、無事であることを願うだけである。

健康でありたいのにそれが叶わない人たちに囲まれて仕事をしていると思う。健康って奇跡的なことだと。その奇跡を人為的に操作するのは、本当にあってはならないのではないだろうか。

久々に読み返した本の一文。
「ひとつのことが起こる。すると、いくつもの結果が生じる。そのうちひとつの結果から、また沢山の原因が生まれていく。その原因が、またいくつかの結果を生み出す。原因と結果の因果論である。そして無限の連鎖である。それを、”必然の大車輪”と呼んだ。世の中には、いっさい偶然などない。すべてなるようにしかならない。人間は必然の大車輪の上で人生を送っている。」

「世の中のすべては必然の結果であり、偶然などというものは存在せず。」

そしてアインシュタインはこう言う。
「神がサイコロをふることはない。」

著者は言う。
「いっさいなるようにしかならないやと、口では言いつつも、偶然を期待したり、偶然を発見したりして、泣き、笑い、この世を渡っていく。我ら凡人は。」

普段私は、全ては必然であると思って生きている。良いことも悪いことも全ては必然であり、自分にとって必要であると思って。けれども、一度その考えの壁に当たってしまったことがある。それは、ポーランドのアウシュビッツ・ボスニアを旅したときである。巨大な収容所に足を踏み入れてそのなんともいえない空気に次の一歩を踏み出すのに時間がかかった。ボスニアで爆撃直後のような建物や無数のお墓を見たときも同じ衝撃をうけた。

その時に思った。これを必然と呼ぶのは何か違う気がする・・と。そして今回の空港テロでも同じ感情が蘇る。

答えは一生でないようにも思う。でもこの違和感は大切にしようと思っている。

1 件のコメント:

b-koshi さんのコメント...

アインシュタインはこう言う。

「神がサイコロをふることはない。」

か・・・
かっこいいですね・・・