12/16/2011

Cambodiaに向かう小さな飛行機。

驚くほどポップで小さな、おもちゃのような飛行機が待っていた。昔フィジーを旅したときの5人乗りの飛行機と比較すれば、とても大きな飛行機かもしれない。でも、近寄っても、中に入っても感想は変わらない。     「おもちゃみたい。」

さて、どんどん人が乗り込む。それにしてもいつも思うのだけれど飛行機のカウンターで荷物チェックはきちんとしているのだろうか。必ず、機内に大きな荷物を持ち込む人がいる。ジャンボ機ならまだしも、こんな小さな飛行機にみんな随分と大きな荷物を持ち込んでいるのだ。私の小さなリュックなんて、いつも以上に小さく感じる。





Cambodiaまではすぐである。それでも機内食のようなお弁当が配られれた。飛行機が大好きな私は、きっと美味しいとはいえないこのお弁当を、飛行機の中にいるというテンションだけで美味しく食べれるのである。



そろそろ到着します。ずっと行きたかったCambodiaに。




ここが空港。  Bangkokに続き、暑い。このべたつく暑さが、東南アジアを旅しているという気分を高めていく。 初めてのCambodiaはどんな所なんだろうか。  

BangkokからCambodiaへ向かう。  28/02/2011

今日はBangkok最後の夜。10年間の思いも終わりを告げた。その思いは、日本にも持ち帰らずここに置いていこうと思う。自分なりに、きちんとできたと思う。  今までの自分の中で一番頑張った。だからその先には、何か思いがけないなにかが待っていると思っている。否、はずである。





毎日、朝から散歩。そして、宿にもどるとここでのんびりとお酒を飲む。たまに、スタッフと会話をもつ。この宿にいる人誰もが、ひとりでの時間を思う存分楽しんでいる。この空間が心地よい。 今日は最後であると思うと寂しくなる。 でも明日からはCambodiaである。明後日には友人達と落ち合うことになっている。半分寂しく、半分嬉しい。そんな気分。 次にここを訪れるのはいつだろうか。







空港に向かう日は、晴天。 Bangkok最後の日は、バイクには乗らず散歩がてら歩いて駅に向かうことにした。 宿から同じ目的地に行くというフランス人と出逢い、更にのんびり散歩となる。香港在住の男前なフランス人と、旅をテーマにEuropeの国々の話で盛り上がり、最後の散歩は思いがけない楽しい時間となった。  さて、赤いまあるい切符を購入し空港直通の電車に乗り、Cambodia行きの飛行機へ。

12/07/2011

ゆず 柚子 ユズ yuzu        in 山梨

山梨で柚子に触れ合った日曜日。前日までの雨は止み、晴天であった。
柚子の収穫も、タカエダキリバサミを使うのも、初めての経験である。

柚子の存在は勿論知っていたし、わりと好きな果実のひとつであったしよく食する
ものでもあった。 それなのに、柚子の枝に薔薇のようにとげがあることを知らなかった。
当然のことだけど、毎日のように自分が知らないことに出会う。
自分が好きであったものや人のことでさえ、知らない。
そういう不確かなものの中で私は暮らしている。
全てが確かなものであっては息苦しいだろう。
けれども、不確かなものの中で暮らしていることをこういう形で知った時、
自分の中でざわめくものがある。
     もういちど、ゆっくりと周囲を見渡し思う。
     もっともっと、目を見開いて毎日を生きようと。
     もっともっと、あたたかい人になりたいと。

       柚子うどんを食した。収穫後の疲れた体に美味しく流れ込んでくるうどん。
       後からくる、柚子。柚子は最初から自分をアピールすることはない。
       だからといって、最後にアピールするわけでもない。
       けれども、絶対的な存在感である。
       このバランスのよい柚子のような存在にいつかなりたいと、そう思った。


          青空の中に富士山がどんっとそびえたつ。
          私は、なぜか富士山の頭がちょこんと見える景色が好きである。
          日本の象徴である彼が、遠くから見守ってくれているようなそんな雰囲気が。


         自宅に帰り、柚子を籠にいれた。(本当はこれの×4ほどあるが・・・。)
         一緒に、相棒が以前持ち帰った酒かすをハート型にして置いてみた。
         なんとなく気分が盛り上がったところで、お料理を開始。
         今日はとりあえず、大根があるので。

            酒かすはお砂糖とお水でコトコトと・・・・・甘酒を作りました。
            作って満足でほとんど飲んでいないけれど、なんだかもうお正月気分
            となりました。


             柚子大根の甘酢を作りました。少々甘すぎたかもしれないけれど、
             とりあえず、一晩寝かせます。


           柚子の下処理は大変です。  手に傷があるので、痛くてしかたない。
           絆創膏なんて、ちっとも役に立たず。
           種は化粧水に。皮は冷凍室へ。柚子汁はポン酢とドレッシングに。 
           まだまだ柚子は沢山あるけれど、今日はこれで終わり。
           次のお休みは、またこの下処理を頑張って・・・ジャムを作ろうかなぁ。


           10個の柚子からこれ位しかとれません。
           農家の人の苦労の爪先分位を感じました。
           何気なく食べているもの、その裏にあるものって想像できない位
           大変なのものなんだろう。いつも思っては忘れてしまうこと。

           ちゃんと「いただきます。」を。手を合わせてね。
           ちゃんと「ごちそうさま。」を。手を合わせてね。


最後は、絞った後の柚子をネットにいれて、お風呂で温まりました。家中が柚子の香りでいっぱいとなりました。 

11/21/2011

病院での検査は・・・。

bangkokを旅したときに見つけたタバコのパッケージはこんなにもリアルである。
仕事柄もっとひどい壊死状況の足を見てきた。それでも、身体中の血がざわめくのである。

27歳の女の子。余命いくばくもない今も、生きるということを頑張っている。
その彼女を癌は容赦なくむしばんでいく。それはなんとも言えない世界であるが、それが現実である。
こんなにも医療は進んでいるけれど、その進行を止めることは困難である。それは、若ければ若いほど言える。

昔から、突如頭に浮かぶことがその後大きな不安に結びつくことがある。 今回は「病気」である。

職員検診はしているが、それでは足りない。法定検診の項目は最低限である。
特に女性は女性特有の病気が多い。そしてその病気こそが、私達の命を危険に晒す可能性が高い。

乳がんも子宮内膜症も子宮筋腫も子宮頸がんも子宮体がんも最後に検査をしたのは数年前である。
ということで、突如不安になった私は病院に行くことにした。

勤務することと、自ら患者になることは全く気分が違う。
病院はいつでも緊張する。そして、結果を待つ1週間の気分の重さといったらない。
けれども、いつかはしなくてはいけない。

十数年勤務して思うこと。
全ての病気は早期発見・早期治療が重要であるということ。

このつぶやきを読んだ友人達が、病院に行くことを願っている。

11/19/2011

オリーブ。






もうすぐ今年が終わる。この時期が旬の小豆島のオリーブを成城石井で購入した。私の知る限りはここでしか購入できない。

旅を始めるまで、オリーブの認識は薄かった。というか、ほとんどなかった。

旅でオリーブが大好きになった。ワインをオリーブとチーズとフランスパンで飲むことを知った。そして、ひとつ成長した気分になった。

オリーブを食すたびに思い出すことがある。それは、私の旅の記憶とリンクする。


いろんな国で食したけれど、一番美味しいのはこの時期にしかでない、この小豆島のオリーブである。


きっと、オリーブに興味がない人も好きになるはずである。そう大きな声で言える位、小豆島のオリーブが好きである。

ボジョレーを飲みながら、小豆島のオリーブを食す。そして毎年思うことがある。もう今年も終わるんだなぁ・・・と。

手帳に、気に入った言葉を書き留める癖がある。


「お茶を飲むってなんだろう。一緒にごはんを食べるってなんだろう。それは明日にはなくなってしまうささやかなことを積み重ねるということだ。もう何もいらない、いてくれるだけでいい。」


よしもとばななの本を読み、この言葉を書き留めたのは、2009年5月。  その言葉に詰め込まれたものが、今、やっと自分のからだに染込んでいく。




11/01/2011

ゆっちゃん。


自分の道がどこまでつづくかわからない。
それは私だけでなく全ての人に言えること。
そうわかっていても、道はどこまでも続くと思いたい。
どこかでとぎれるとわかっていてもそう思いたい。

彼の息子書いた文章から、ゆっちゃんが天に召されたことを知った。
車椅子で散歩に行ったり、お風呂に入れたり、ご飯のお手伝いをしたり。
そんな日々を思い出す。

ゆっちゃんはとってもダンディなおじさまであった。
仕事であったけど、共有している時間は楽しかった。
悪態ばかりつくけれど、たまにつぶやく優しい言葉や笑顔に癒された。
息子のこともわからなくなってしまっていたけれど、
それでも息子達が面会にくると穏やかであった。

いろんなことを思い、涙がでてきた。
まだまだ、道が途切れるには早すぎた。
そう思うけれど、素敵な時間を有難う。

スパイスの続きⅡ

  井の頭動物園のふくろう博士。






その村はいろんな偶然が重なり旅した場所。
それはメヒコからバスに揺られてどれくらいだろうか。「サンクリ(略)」という場所である。



その場所は、友人のお兄さんがメヒコで働いていたときに旅にでて立ち寄った場所であり、
ホテルの看板を描いた思い出の地であり、ぜひお勧めだから時間があれば行ってほしいと
いう場所であった。そこは、本当に素敵な所、そしてそこで出逢った人も素敵であった。


その地で出逢った人が映画監督をしているとのこと。
そんなmailが違う友人から届いた。

映画のタイトルは「ギターマダガスカル」。

ギターの音色もマダガスカルも大好きである。
友人のブログにこの映画のHPが載っていた。
それは素敵な映画の予感がした。

サンクリでの日々を思い出す。
もう一度、足を踏み入れたい地である。
その前に、この映画を応援し観に行こうと思う。


同じ感性をもつ友人と一緒に。

スパイスの続きⅠ

                            デバネズミのbaby。

メヒコを旅して最初に友人になった彼女とはその後もずっと友人であり、
関東と関西の距離、スペインと東京の距離、それは大きな壁となることはなく、
年に一度必ず会っている。来年はメヒコかアルゼンチンに留学する彼女を元に逢いに行く。
その前に彼女が東京にきて、その後和歌山に逢いに行く。
今はお互いをいつも以上に必要としているのか、沢山の時間を共有することができる。
それは、私の生きる上でのスパイスとなる。


その彼女が先日「東京に行く」との題名のmailと供に東京に突然やってきた。
久々に会った彼女の開口一番は「解雇された!」であった。
彼女は私の知る限りの友人の中の誰よりも正義感が強い。それは外国での生活が
長いからとかそういうことではないように思う。それが彼女なのである。
彼女の問いに、私にもそういう時期があったと思い出す。
「なぜ、どんな側面からみても間違っていることを間違っていると言ってはいけないの?」
「なぜ、明らかに間違っていることを皆はわかっていて指摘しないの?」
そんな投げかけに、20代の頃の自分を見る。私達のような疑問は誰しもどこかで
感じている。けれども、それを言語化したり行動にうつしたりすることを皆はしない。
そこで、それを言語化して伝え、行動する人は煙たがられるのである。
そして、その時に使ったエネルギー以上の反撥が自分のもとにくるのである。
それに更に立ち向かう強さは持っていなかった私は、受け入れることにしたのである。
受け入れると理解するは別であると自分に言い聞かすことで。


彼女の大学時代の親友と3人でランチを供にした。そこで様々な話をした。
ドイツ人とユダヤ人について。ユダヤ人とパレスチナ人について。世の不条理について。
虐待について。精神病について。薬物依存症について。3人の知識と考えを総動員させ、
全力で話した。その時間はとても有意義な時間であり贅沢な時間であった。
時間はあっというまに4時間以上経過した。それでも誰もが話したりずにいた。
とりあえず次回12月に持ち越した。彼女の問いに答えに窮し、
そして確固たる返事をすることはできなかった。けれども、問題は共有した。
今後、長いことのテーマになるそれに対して、生きていく過程の
中で少しづつ答えをだしていこうと思う。

彼女は、日本で今後更に問題となっていく薬物依存に対しての研究をし、それを元に
働いていた。今回は解雇という形をとることとなったが、それが彼女の今後にどう影響
していくのかはわからない。けれども、彼女は優しくて弱いが、逆境を耐え抜く強さを
持っている。

だから大丈夫である。

バックパッカー、古本屋、旅人、メヒコ、友人の映画・マダガスカル、新しい友人、解雇・・・・。

               井の頭動物園のデバネズミ達。



タイトルに無造作に並べた単語。でもそれはどれも私には大きな意味があり共通するものがある。それは仲良く並んでいる、井の頭動物園のデバネズミのようである。


私がメヒコを旅したのはもう5年以上前だったと思う。

あの時に出逢った人達が私の人生に時々スパイスをふりかけてくれる。

日頃、仕事以外であまりに思考を稼動させないことが多い。

否、仕事でさえルティーンで働いてる事が多く、仕事を始めて12年の月日は、

私をフレッシュな気持ちから遠のかせるのである。

旅でも同じことが言える。最初に友人と旅したヨーロッパは何もかもが刺激的で、

五感全てで感動した。けれども、今ではその感動も薄れてきている。

どこかで五感がさぼっている。それはきっと、毎日を平凡の連続で生きてしまって

いるからなのだろう。自分の中にあった知識への貪欲さ、感性を磨くことに、

埃がかぶってしまっているのだ。

もっと思考を稼動させる必要がある。そんな矢先に私のもとにスパイスがふりかけられたのである。

それは、久々に私に生きる刺激を与えてくれ、思考を取り戻す契機となった。


つづく。

10/05/2011

記憶の整理。


                              カンボジアで飲んだモヒート。近くで摘んだミントで。

今年も後3ヶ月だって、カレンダーをみて気づいた。そういえばあんなに暑かった夏も過ぎ、秋がきた。そして、寒い。 朝布団からでることがとてつもなく大変な時期。  暑い日々を過ごすときは、この時を待ちわびていたがいざ、その季節がくるとそんなに嬉しくなれない自分がいる。何はともあれ、もう今年も残すところ3ヶ月。  そろそろ記憶の整理をしようかと重い腰をあげることにした。

まずは、今年の3月の東南アジアの旅の写真の整理を。そして、タイで終わっている旅日記の続きを再開させようと思っている。  後は、年賀状作りをぼちぼちと。  後は、衣替えに伴い洋服の整理を。 そして、後はなんだろうか。  そういえば、今年の目標が全然達成できていない。こればっかりは整理できないため、来年に持ち越ししようかと考えている。

9/10/2011

「一年の世界旅を終え、笑顔で日本に戻ってきました。」  


                                             ホーチミンにて。   

去年の今頃、世界一周の航空券を持ち、友人である彼は世界へ旅だった。
たまに、ふっとどこかの国からair mailが届き、たまにPC mailが届いていた。
日本にいた時からそんな友人であり、そんな私にとっては突然、彼にとっては必然の
連絡は、日常にほんの少しのスパイスをふりかけてくれるものであったのだ。

大きな事故に遭って、生死をさまよった彼とは病院で会った。退院をしてリハビリを始め、
そして元気になった。  そんな友人にいろんな国からair mailを送った。

そして、去年。私のように旅をしようと思うと言い残し、世界へ旅だった。
そして、最近帰国したようである。

登山家のくりき君が好きである。カンブリア宮殿に出演した彼はこんな感じのことを話していた。
「頂上での喜びは一瞬なのだ。それを分かち合うものはいない。下山して友人と会いその話をしてもその喜びを共有することはできない。」 
だから彼はPC上でひとりでの登山を自分どりして生中継する。世界中に配信するのだ。
彼はそうすることで、世界中の人と登山をするのだ。

親友と旅にでたことがある。それは決して楽しいだけの旅ではなかった。
知らない国で、街で、言葉は通じない。異文化。ご飯を食べるのも、宿を探すのも全てが、「困難」という壁の後ろにあった。その、ぬりかべのような壁の前を超えようとするたびに不安定となった。疲労や不安やいろんな感情が私たちの間に距離を作った。それでも、今でもその旅をふたりで会うたびする。あの人は元気かなぁ。あの料理は美味しかったね。寒かったね。怖かったね。 そんなたわいもない会話をいつもいつもする。そして、あの時の自分たちは一生懸命生きていたと実感する。そして、なんともいえない嬉しさがこみ上げる。 一緒に旅にでてよかったという気持ちが体中に染み込んでいく。それは不思議なことに月日が経つにつれて体の奥まで染み込んでいくのである。

ひとり旅は自分を強くする。頼る人がいない状況に置かれたとき人はものすごい自分に会える気がする。自分で新しい自分を発見するにはやっぱりひとり旅であると思う。  でも、いろんなことは誰かと感じたいと、思う。  その時にやっと自分の中でリアルな旅が始まるのかもしれない。  もう一回20代半ばのような旅をするのは難しいかもしれない。それでも私は旅人でありたいと思う。

友人が帰国して、またそんな気持ちに火がつく。

「一年の世界旅を終え、笑顔で日本に戻ってきました。」

たったそれだけの連絡が、私の心をざわつかせる。
いつか、彼が日本でいつもの日常に戻った時に会いたいと思う。

今から楽しみにしている。友人がどんな話をしてくれるのか。

最初にでてくる国はどこかなぁ。  

8/28/2011

大事な人の悲しみを。


横浜に遊びに行った時、こんな郵便局を見つけた。
私の1年後ってどうなっているのだろう。たまにそんな事をふっと思う。
今の自分と1年前の自分を比較して、その驚くほどの変化に驚く自分がいる。

大事な友人が帰国した。とても大事な友人である。
私が遠い場所で病気になったときも、一人では背負いきれない悲しみが降りかかった時も、
いつも近くにいてくれた友人である。

彼女はひとりでは抱えきれない程の悲しみを抱えて帰国した。
結婚して離婚して戻ってきた。彼女は1年の間にふたつの転機を経験した。
もう限界であると遠い異国の地から電話がかかってきた。

とにかく、日本に戻ってきてと伝えた。もどるのが難しいようであれば迎えに
いこうと思っていた。  彼女は戻ってきた。

いつでも気丈な彼女が弱っていた。私ができることは同じ空間で同じものを食べ、
話を聞き、昔話をすることであった。彼女とは誰よりも長くて濃い時間を過ごしてきた。
一緒に旅した時の話は、私たちを悲しみから救出してくれるのである。

思い出と時間が、辛い現実からほんの少しの隙間を作ってくれるかもしれない。

未来郵便局に投函する前に、まずは近くの郵便局から彼女に手紙を届けてもらおうと思う。



8/06/2011

日常とは。

友人の子供は確か1歳半位だったと思う。
とにかくよく動く。じっとしているのは、眠っているときだけではないかと思う位。
彼にとっては毎日が冒険なんだろう。見るものも聞くものも、何もかもが新鮮なんだと思う。
ベランダにでるのだって冒険であるのだろう。
お布団を干しているパパの元に行こうと、おそるおそる足を外に出す。
その姿はまるで、ベランダが違う世界でもあるかのようである。

毎日という日常はいつだって違う。
けれども、毎日仕事の往復の日々はその事実を忘れさせる。
毎日という日常はいつだって同じであると思わせる。

そう思い出すと、日常が白黒となる。
その日常に色をつけたくなる。
その「色」をつけてくれる一番わかりやすい方法は、
私にとっては「旅」である。

最後に異国を旅したのは3月である。
それからもうすぐ半年が経つ。

私は旅に出たい。異国の風を感じたい。
同じ暑さを感じるなら、東南アジアの気だるい暑さを感じたい。
あの薄いビールを屋台で飲みたい。
友人のいるスペインの離島に行きたいと思ったりもする。

彼がベランダに出るように私も異国に行きたいのである。

5/23/2011

東神奈川の友人。


                                         アンコールワットにて。

神奈川県に住居を移そうと思った理由をいくら考えてみてもわからない。なんとなくみつけたような気がする。そんなあやふやな記憶しかない上に、神奈川県に住みたいと思ったわけでも、仕事場が近いわけでも、好きな人が住んでいたわけでも、親友が住んでいたわけでも、友人が住んでいたわけでもなんでもない。特に理由などないのに住んでみようと思い、見学に行ったのである。そこで逢ったのが彼女である。きっと彼女に逢わなかったら、この家には住んでいないと思う。

60人もの人と住んでいたのに知っている人も友人になった人も数えるほどしかいない。けれども、出逢った人は私にとって大事な人達であり、いつも彼女に逢うと思うことは、彼女に逢わなかったらみんなにも逢うことはなかったんだなぁということである。彼女と久々に逢った。仕事の朝は必ずキッチンで逢う彼女とも逢った。3人での食事は純粋に楽しかった。

人に出逢うことで、そこから広がる更なる世界や人を思う。普段、同職種の人に囲まれその小さな世界から飛び出すことの少ない中、こうやって様々な世界で生きている友人に逢うとほっとする。
 
次の「乾杯」を今から楽しみにしている。

5/17/2011

基点に、起点に、戻る。




いろいろ模索していた。特に意識してそう生きてきたわけではないが、今のところの結果として私は随分ともがいていたんだと思う。右か左か前か、それとも路地裏か少しばかり下がるべきか。そうやって、息絶え絶えになるまで歩くときもあれば、軽快な足取りで歩くこともあった。どうしたって、いつでもこれが全てとは思えず、もっと何かがあるのではないかと探していた。


もっと何かがあるのかもしれないし、ないのかもしれない。それでも進んで行くことが大事であると思っていたし、今もそう思っている。けれども、最近すっかり忘れていた大事なことは、立ち止まることであった。

最近少々歩きすぎた。苦手な走るということすら、取り入れてしまっていたかもしれない。生きていく過程で余計なものがどんどんと増えてきてしまっている。それは時として「経験」と言われ。時として捨てるべきものとなる。

今は休憩すべき時であるようだ。だから、基点に、起点に・・・・戻ってきた。やっと安堵な場所が見つかり、今少しばかりゆっくりと息が吸えるようになってきた。あともう少し、休息しようと思う。

5/11/2011

そうだったなぁ、私、大丈夫だった。

                                         Bangkok中央駅。


久々に見たあの人。写真の中で元気そうにしていた。その笑顔をみて、いろんなことを思い出した。あの時より確実に時は進み、思えば5年位たつ。きっと今こうやって思っていることもいつかは過去となる。帰国したらきっと逢って、その時にこの話をするのだろう。「スペインの写真素敵だったよ。」って。

大好きな先輩に会った。1年に逢っても2回だけれど、もう13年もの付き合いである。先輩はいつだって私の人生の憧れであり、そしてそれでいてどこか危なかしい存在でもある。それはお互いが思っていることのようで、逢うたびに「大丈夫だった?」と聞かれるし聞く。5年位、波乱万丈な恋愛をしていた先輩は、とうとうその恋に終止符をうった。それは驚くべきことであったし、安堵もした。先輩が生きていてよかったと思うし、彼女も大丈夫、生きているよという。

ちょっと弱っている時は友人たちのセンサーが働く。私も働くし、相手にも働く。最近、近くにいて遠い友人たちと連絡がとれる。それはきっと、お互いに必要としているからなんだろう。

皆が言う言葉。それは「なるようになるし、なるようにしかならないし、そして時間という解決方法があるから、安心しなさい。」・・・。

お互いの過去をお互いの口から聞いているし、一緒に歩んできたこともある。だから、どんなに今が辛いと泣きついても、

「ほら、あの時も、その時も、あの時だって、そう言ってたけど、今こうやって自分の足で立ってられるじゃない。そういうことよ。」

とお互いに言い合う。自分のことなのにすっかり忘れていた。そうだったなぁ。私、大丈夫だった。

5/10/2011

告知。 余命。 

Bangkok に向かう飛行機の中から。


まだこの仕事をして間もないころ配属されたのは、癌病棟。沢山の人の死をみた。
死も怖かった。けれども、それよりも怖いのは、癌で侵された身体を襲う痛みに悲鳴をあげていた姿であり、息が苦しいとベットの上で戦う姿であったし、それを唯一緩和できる「麻薬」の怖さであった。

そこは、まさに病院であった。この世には沢山の病気がある。病気に大小をつけることはできない。本人にとっては自分の病気が一番苦しいものであるから。そうわかっていても、私は癌病棟が苦手であった。

いつでも死が隣にいたから。

それなのに、また癌病棟に自らの意思でもどってきた。

今日も、ナースステーションの慌しい日常の中で、「余命の告知」が行われていた。
母と変わらない歳の女性は「もっても1年です。」と告げられた。

彼女も彼女の家族も無表情である。でも、皆そうであったように思う。

TVドラマのように泣き崩れる人は見たことがない。
きっと人は、受け止められない悲しみを前にすると、感情が止まるのであろう。そして、後から後から、ゆっくりとやってくるのだろう。

人は生まれた瞬間から死に向かうという。
そして、死は決して誰かと一緒に歩めるものではない。
先立つほうも、先立たれるほうも同じものを背負う。

「もっても1年です。」

その言葉が、久々に私を落ち着かせなくさせる。
この仕事について12年。沢山の死に出会っているのに。
やっぱり落ち着かない。

4/27/2011

ブランチ。



小さい頃から、ありとあらゆるお手伝いが我が家には存在した。玄関掃除、父の靴磨き、父が仕事に行く前に飲むお茶淹れ、お米研ぎ、ハンカチのアイロン、畳拭き、カレーの玉ねぎをキツネ色になるまで炒めるとか、ポテトサラダのポテトつぶしとか、揚げ物の衣つけとか、ボールを持ってお豆腐を買いにいくとか。とにかく沢山あったのだ。10歳離れた弟が生まれてからはそれに加えて弟の散歩やら、結構忙しかった。そして、その大半はあまり気乗りがせずにしていたことであった。けれども、勉強以外のことに割と厳しかった両親なのでそこは気乗りがしないからという理由で免除になることはなく、仕方なしにやっていた。



そんな記憶も今となっては感謝である。ある程度の家事や料理ができるようになったのは、この経験が役立っているのではないかと思うから。







久々に、なすとひき肉に味をつけて生地にのせ、パンもどきを作った。トルコで購入した香辛料を使い、これはなんだろうか。名前はないけれどまぁトルコ風・・・まずまず美味しかった。









いつもの魚屋さんで、見切りのお刺身イカを購入。さっと茹でて、サラダにした。味付けはとってもシンプルであるが、意外と美味しいのだ。











久々に吉祥寺まで足をのばしたので、なじみのイタリアフードのお店で生ハムを購入。商店街のパン屋で購入したフランスパンとの相性は抜群。

次の休日ブランチは何にしようか。そして明日のお弁当は・・・。こういう時は、師匠である栗原はるみさんの本を開かなくては。そして、やっぱりBGMはノラ・ジョーンズ。

桜と琴子。



実家に長いこと預けているシマリスの桜は、地震の日以来・・・巣に篭ることが多くなってしまったとか。それでも、最近は暖かいせいか巣からでて、巣箱の掃除をしたり木に布団がわりにしている布を干したりとせわしなく動いているとか。相変わらず、悠々自適の一人暮らしなのに、巣箱の角にはえさを貯蓄。何にに備えているのかはさっぱりわからないが、桜も非常用袋を用意しているのだろうか。


最近知ったのだが、パンダは20種類の泣き声で他のパンダと会話をするらしい。その泣き声の中には「ワン」というものも含まれているとか。パンダって昔からあまり興味はないが、その泣き声が聞けるのなら、あの長蛇の列に並びに上野動物園に繰り出そうかと考える。


上野動物園のかばのさつきが死んでしまった。地震で足を滑らせてしまいそれ以来、弱っていったとか。パスポートを持っている理由のひとつだったさつきの死はなんだかしょんぼりしたくなる話であり、オラウータンのモリーさんも元気がないと聞き、あの地震で影響を受けたのは人間だけではないんだなぁって思い、そろそろみんなに会いに行こうかと考える。


でも、3階で生活を供にするカメの琴子だけは地震などまるでなかったかのように、毎日激しく動く。部屋で放し飼いにすれば、どこかに行ってしまい、戻すのが一苦労であるし、庭を散歩すれば物凄い勢いでどこかに行ってしまう。一瞬たりとも目が離せず、人間でいうところのADHDなのではないかと疑いたくなる。カメがのろまって言ったのは、どこの誰なのだろうか。この子・・・まったくのろまとは対極に位置している。まぁ、それでも、琴子の動きに相当癒されているのだが。


言葉。

ひとり旅が寂しくなる時期って意外と早い。誰かに逢いたいとか、日本に帰りたいとかそういう気持ちになるわけではないが、なんとなく寂しいのである。誰とも話さないって結構寂しい。でも、私の選んだゲストハウスはちょっと高級だったため(・・といってもドミトリー900円レベルの話であるが。)、1階に素敵なBarがあった。

一週間毎日同じ席に座った。スタッフも「ここは貴方の席ね。」と言い、降りてくると私のためにその席に扇風機と虫除けキャンドルを持ってきてくれた。夜も帰宅すると、部屋には行かず毎日ここでBeerを飲んで何かを思っていた。スタッフは目が合えば必ず笑いかけてくれ、時々やってきては今日の出来事を聞く。後はほっといてくれる。それでも、私が何か用があれば、顔をあげた瞬間に「何かある?」と言いながらやってくる。

とても居心地がよかった。最近、あの席に座りたいって思う。ブエノスアイレスのあのYHのベンチに座りたいと思って以来なかった思い・・・今あの席に座りたい。

日本にいれば、言葉を考えなくとも母国語で自由に会話を楽しめる。それなのに、今はあの空間で、会話をしたいのである。

声帯をとってしまい声が出せない患者さんがいる。それでも沢山のリハビリの成果で、空気のような声でほんの少しの会話をすることができる。とてつもなく大変なことだけど。

朝の環境整備に行った。終わって出るときに空気のような声だけど耳にどんな声よりもしっかりと聞こえてきた。「ありがとう。」って言葉が。

たったひと言なのに、嬉しくなる。言葉って、こういう事なんだろうって思った。そして「ありがとう。」って言葉はどんな言葉より好きだなってしみじみ思った。

そういえば、旅をしていて最初に覚える言葉はその国の「ありがとう。」だな。

4/23/2011

Bangkok    中央駅編

どこに行ってもインド街に行きたくなる。今回もちょっと郊外にあるインド街に向かった。インド人の家族と楽しい時間を共有して、可愛いサリーも購入して、大満足で駅に向かった。すると、私が目指していた駅ではなく中央駅に着いてしまった。なんとなく歩いているとこういう間違いを起こす。でも旅ではこの方向音痴が面白い出来事に遭遇するチャンスを作ってくれている。

ホームでは、床屋さんが大活躍中であった。なぜ、ここで髪の毛を切るのか?とも思うが、なぜホームで髪をきらないのか?と逆質問されても答えることはできないので、その問いはどこかに追いやることにして・・・。 ただホームで髪の毛を切っているというだけの光景なのになんだか目が釘付けになる。楽しいのである。まだまだ日常には面白いことが転がっているのだ。



お坊さんがベンチでお昼寝中。その光景があまりにほのぼのしていて、少し遠くのベンチに座る。氷水の中をプカプカ浮いていたBEERを購入して、私もお昼寝とまではいかないが、しばしの休憩。明るいうちに飲むBEERってなんでこんなに美味しいのだろうか。  



普段の言葉で結構気に入っている言葉。

「ランチBEER、ランチWINE、」








結婚観。




結婚について、人と話す機会があった。


昔からひとつだけ変わらない思いがある。いろんなことを知ることで人生観も少しづつ変化する。勿論、結婚観も変化する。それでも変わらない思いがある。


「仲良く暮らせたらいいなぁ。」・・・その思いだけは変わらない。


付き合う人と結婚する人は違うって考え方もわかるようでわからない。付き合っている人とその延長で結婚できないものなのか。結婚したら今までのひとりの生活を全て一緒にして半分にしなくてもいいのではないか。同じ空間にいて一緒のことも違うこともできてそれが居心地がいい・・・それが結婚でもいい気がする。なんせ、結婚したことがないから、それが夢見る夢子ちゃん的な発想なのかもわからないけど。


でもそれをなんとなく、その人に言ったら、


「それだったら、結婚しなくてもいいですよね。」


っと言われた。


そう、それくらいの意味で結婚したいのである。


糸井さんの最新刊の「羊どろぼう」のP、188~189にこんな言葉をみつけた。


「人は、結婚のことを「愛」を中心に語りすぎてないか?

なかよく暮らせるといいですね、

くらいの軽やかさでいるほうがうまくやれるような気がするんだけど。

なにせ、ほれ、「愛」って

渇きやすいしあふれやすいし燃えやすいし枯れやすいだろ、

生活のなかに持ち込むには取り扱いが難しすぎる。

絶対に幸せになってやるんだとか歯をくいしばると、

次々にじゃまなものが襲いかかってくるわけです。



遠く明るいほうにむかっておしゃべりしながら歩いていると、

いろいろ面白いこともありましてね。

退屈しないで歩いていける。

その道のどこかで会いましょうや、お二方。」


糸井さん、有難う。私の思いを上手に言葉にしてくれて。

4/17/2011

ひとつのシュークリームに3つの味、


「人(=じぶん)がうれしいことって、どういうことか。」
とにかくこればっかりをしつこく考えることです。
逆の言い方でもいいんですよ、「じぶん(=人)がうれしいことって、どういうことか。」
たぶん、これがぼくらの最大で、唯一の仕事です。」

と、糸井さんはつぶやく・・・・。

仕事場近くの柏水堂で、久々に大好きな3つでひとつのシュークリームを購入した。3つの味が楽しめるのにどの味もおいしく、そして何よりバランスがいいのである。甘すぎずそれでいて、シュークリームに期待される甘さはちゃんと用意されているのである。

いつも思う。このシュークリームのような生き方をしたいと。でも難しい。バランスのいい人生を望めば望むほどそこから遠ざかるように思う。きっとバランスのいい人生とは意識下にあるものではないのだろう。だから、私がバランスという言葉を忘れてしまった時に初めてそういう人生が始まるのかもしれない。

私が考える自由を手放した。そして自ら、不自由に飛び込んだ。結果から言えば、苦しい。でも、自由の中での自分も息苦しくなってきたのだ。右をみても左をみても、逃げられない。あれほど、見通しよく見えていた逃げ道が見えないのである。そして見失った。自分の行きたかった道を。

久々に行った以前の仕事場。大好きな同僚達の顔をみて混乱する。大好きな患者の髪を洗い、体を洗い、辛そうだった顔にほんの少しの笑顔と安らぎの顔をみて混乱する。

同世代の患者が、昨日まで楽しく会話をしていたのに、次の日にいなかった。食道静脈瘤が破裂して大量の吐血後、空に向かった。そういえば、これが病気の怖さだと、久々に出会った同世代の患者の死にあい、考え、そしてやっぱり混乱する。

この仕事に決めた10代の自分は何を考えていたのだろうか。
仕事に就いてはじまった、第2の道のりで自分は何を考えていたのだろうか。
仕事を辞めて、旅に出たときの自分は何を考えていたのだろうか。
離島や金沢に行ったときの自分は何を考えていたのだろうか。

いつものことであるが、考えればそれだけ混乱するのである。 全部が自分のことのはずなのにちっともわからない。最近、一番わかりたいと思う人のことがちっともわからなくて困ってしまっているけど、それって仕方ないことなのかもしれない。だって自分のことだってわからない。

「不思議の国のアリス」の言葉を最近知った。

なんでもない日、おめでとう。

4/12/2011

ほどほどにね。




駅に降り立ち、なんとなくため息をつく。それは安堵からくるものか、もうすぐ今日が終わってしまう寂しさからくるものか、ただ単純に疲れたなぁって思うため息か。


そんな日は、ほんの少し寄り道をする。本当は左にいけばすぐに家なのに、右に曲がる。そこには小さな踏切があって、私が好きな小さな電車が通る。その上を、また違う沿線の電車が走る。その光景が結構気に入っている。その光景を見ながら、大きく深呼吸をする。そして帰宅した。


「ほどほどのお金と適度なおしゃべりがあったら、毎日幸せ。」そんな言葉をみつけた。


本当にそうだなって思う。なんでも「ほどほど」がよくて、「ほどほど」を超えると、しんどくなる。おかしくなる。


それって、酸素と一緒だって気づいた。私達は酸素がなければ生きていけない。病院では、体の酸素が足りない人には、酸素を吸わせる。けれども足りないからといって沢山の酸素を吸わせると、本来でていくはずの二酸化炭素がでていかなくなる。そしてナルコーシスという状態に陥り、おかしくなる。不明な言動や行動を始めるのだ。


何事も、ほどほどにしなくてはうまくいかないのだと、自分より体は知っているらしい。いろんなことを欲張りすぎて、重たくて動かない・・・・状態にならないようにしなくては。


そう、なんでも「ほどほどにね。」

Bangkok     ドラエモン編


夜は屋台で食べることにした。ガイドブックもない、タイ語も話せない・・・ということで、今日も隣の人の食べているものを指差して注文する。


「これは何?」という英語は通じず、勿論日本語も通じず、タイ語がわからない私はその美味しい屋台の食べ物の名前を最後まで知ることはできなかった。


ほどよく辛いその食べ物は美味しかった。


屋台で食べるご飯が好きである。




作る工程をみているだけでなんだか嬉しくなる。屋台はいろんなリスクがあると言う人もいる。でもそのリスクはどうってことないのである。旅と言えば、「出逢い」と「食」である。



タイでドラエモンとのびたに逢った。ついつい嬉しくなって写真に納めてみた。私にとってはいろんな事が重なりなんだか思い出がフラッシュバックする。後2日で逢えるその人を連想させる、そして嬉しくなり、不安になる。本当に異国の地で再会できるのかすらわからない、逢いたい、けれど、逢いたくない。その矛盾した気持ちのなかを沈没しないように必死で泳ぐことは決して容易ではない。そんな状態でドラエモンたちに逢ってしまったのだ。


「ドラエモンの映画が楽しめなくなった時が大人になった時かもしれないね。」

「セブンイレブンみたら、俺の誕生日を思い出すでしょ。」


あの時の会話はなぜか鮮明である。10年以上が経過した今も。

だから、今度こそ逢えるかもしれない。そうドラエモンのタケコプターを見ながら思ったのである。

4/03/2011

Bangkok       時計のいらない生活の始まり。


目覚めはよかった。旅の初日の朝に必ず思うこと。
「今何時?そして、ここはどこだっけ?」
「そうだ、私Bangkokにいるんだ。」
そんな感じで始まるのである。

顔を洗い、念入りに日焼け止めを塗る。
紫外線が不得意であるため体中に念入りに塗る。

そして、一階に降りオープンテラスの一番端の席に座り珈琲を頼む。
ゆっくりと時間をかけて珈琲を飲む。
心地よい風を感じ、同時に異国にひとりでいるんだという思いを強くし、
そしてなんだか嬉しくなる。

今日は何をしようか考える。
時間ならたっぷりある。
何もしなくてもいい。
何かしてもいい。
そんな日がこれから10日以上続くのである。

そう、これが旅であると思っている。
時計も予定もすべきこともない生活が。

まずは、時計を外してポシェットにしまった。
そして外した手首に、昔親友にもらって以来お気に入りである陶器のブレスネットをつける。次に、母がどこかを旅行したときに美術館で購入してくれたネックレスをつける。その次は、おしゃれなお姉様たちがプレゼントしてくれたピアスをつける。最後に、親友が10年前の誕生日にくれたがま口に小額のお金をいれる。

これでいつものひとり旅のお供は全てみにつけた・・・・ということで出発。



大通りをずんずんと歩く。暗い中歩いた時とはだいぶ印象が違う大通りは活気づいている。珈琲しか飲んでいないため空腹であることを、おばちゃんが焼いているものをみて気づいた。「卵?」と聞くと違うという。それ以上は全く何を言っているかわからなかったけど、とりあえず購入してみた。食べてみると、ココナッツの味がする。最後まで何かはわからなかったし、Thai foodの本にも掲載されていなかった。けれども、その名前はわからない食べ物は美味しかった。そして、恥ずかしそうに写真に笑顔を向けてくれたおばちゃんは可愛かった。

4/02/2011

安宿までの道のり・・・。


ここでいいやと決めた安宿は予想以上に遠かった。とりあえず、最寄の駅周辺でbusを降りたのだが、暗いこともあってどこに進めばいいのかわからない。私が知っているのは宿の名前と住所だけである。住所から通りの名前の察しはつくが、肝心の通りの名前がどこに書いてあるかがわからない。もうこれは手当たり次第に通行人に聞くしかないのである。


まずは角のお店のおばちゃんに聞く。前の大通りを左にまっすぐであるという。しばらくしてまた聞いてみた。まだまだ先であるという。ひたすら歩くことにした。日が暮れて、屋台の数も減ってきた大通りを歩くことに少しづつ不安を覚えもう一度、聞いてみた。


まだまだ先であると言われた。そして、busに乗ることを強くすすめてきた。しかし、Thai語ができない私には難関である。なぜなら、窓もドアも開いた明らかに定員オーバーなそのbusは道まででて自分で止めないといけない雰囲気があるし、停留所がないところをみると降りるところも自分で言わなければいけないような感じである。きっと、お金は一律なのだろうがその金額すらわからない。そんな地元色たっぷりのbusに気軽に乗れる度胸は持ち合わせてない。


とりあえず、お礼を言いまた歩くことにした。すると、後ろからすごい勢いで追いかけてきた彼女は私の手を掴みbusに乗った。私は何がなんだかわからないままにThai人に囲まれbusに乗ることになった。お金はなんだかよくわからないが持っていたコインを渡すと、更に小さなコインのおつりが返ってきた。いくらだかさっぱりわからないが、日本円にしたら何十円にもならないような小額なので、気にすることもなかった。


私を乗せてくれたおばちゃんは、隣の乗客に何やら言うと私に笑顔を見せbyeと言い降りてしまった。その乗客のおばちゃんを見ると笑顔で頷いている。なんだか、もうどうにでもなれって感じとなってきた。突然、おばちゃんが立ち上がり、私の手をとり降りた。そしてそのまま道路の反対側まで連れていかれ、そこを曲がれと言う。どうやらその道沿いに宿があるらしい。


21:00を回った外は、かなり暗い。その道もなんだか薄暗く怖いのである。キョロキョロしていると、ひとりのおじちゃんと目が合ったので、宿について聞くと、どこか行ってしまった。途方にくれているとバイクに蛍光オレンジのジャケットを着たおじちゃんを連れて戻ってきた。そしてバイクの後ろに乗れという。


とまどった。小さいころの記憶が蘇る。私の母の弟のゆうちゃんは大きなバイクを持っていた。一度乗せてもらったことがある。そしてものすごく怖かった思い出がある。私の記憶はそこまでであるが。その後私はゆうちゃんが困ってしまう位激しく泣いたらしい。


高校生の時、幼稚園のころから仲良しだったあきらくんがバイクの事故で空に昇った。そしていまだに帰ってこない。


私はバイクが嫌いであった。というか怖かった。乗り物は好きであるが、バイクは嫌いである。


でも、今の私には選択肢はないに等しかった。このバイクに乗って宿につくかはわからない。けれども、乗らなければつかない。


私は乗ることにした。そして宿についた。それはそれは長い道のりであった。


そして、バイクという乗り物が好きになった。Bangkokにいる間、私は移動手段として常にバイクを選択した。バイクの後ろに乗るのは気持ちよかった。暑い国で風をきって走るのは、自由を手に入れた感覚を与えてくれる気がした。


何となく選び、長い道のり経て、そして沢山の人の手をかりて着いたその宿はものすごく居心地がよかった。結局私は最終日まで、その宿にいたのである。


次の旅もここに泊まりたいと思っている。勿論、バイクの後ろに乗せてもらって・・・・。