9/23/2010

I'm dying to see you ☆

知らない間に貯まったマイルは33000マイル。これで、アジアの航空券を購入してもおつりがくるらしい。こうやって私の世界は周っているのか否か。それは実のところわからないけれど、ひとつだけわかったのは、もう少し自由という名の不自由な世界に身をおくということ。結局の所私をぐらぐらとさせていたのはそこであり、やっと柱の補修が終わり心置きなく柱に身を委ねることができる。何がそうさせたか。それはほんの些細なことの連続である。

友人がスペインに行ってしまったことや、もうひとりの友人はモンゴルから帰国したと思ったらまたベトナム、ドイツ、フランスに行くと旅立ってしまったことや、はたまた違う友人は世界一周の旅に出て行ってしまったことや、こないだ会った友人から20代最後にもう一度世界を周る予定の話をキラキラした目でされたことや、ベトナムで会った兄さんは中国に長期で滞在することになったとか。それと同時に、反面教師的な出来事も重なり私は今の結果に導かれた。否、自ら歩いていったのだろう。

もう少しの間は、タンポポの綿毛のようにいろいろな場所に自分を置いて行きたいと、そう思ったのである。

ひとまず、すぐ近くに迫る予定の大阪、イスタンブール、青森、の旅を満喫するべくなんとなく準備にとりかかろうかなぁと思いつつ。

それにしても昨日から一転のこの寒さは一体なんなんだろうか。

9/20/2010

居場所。

仕事を終えた。明日は休日。なんとなく昔から、休日そのものより、休日の前日の夜が好きである。朝起きて、その後に何もしなくていい時間が続くからだろうか。夜、眠る前に、目覚ましをセットして明日は何時に起きなくてはと思わなくていいからだろうか。とにかく、休日そのもより前日の夜が好きである。

仕事の帰りにごはんを食べに行こうと誘われ、同僚と3人でインド料理を食べに行く。寝不足の同僚のため早々に切り上げ、その足で誘われていた次の場所に向かう。なんだか、楽しくて朝まで一緒にいた。そんなに飲みすぎたわけではなかったが、寝不足のため自宅にもどり顔を洗い、歯磨きをしてコンタクトを外すとそのまま倒れこむように床で眠ってしまった。小さい頃から、お風呂に入らないと布団にはいれないため、たまに床で眠ることがある。

廊下から聞こえてくる掃除機の音で一度目を覚ますも、また眠り気付いたら14:00をまわっていた。その後、キッチンに行きごはんを食べる。最近IHグリルでお魚を焼くと美味しいということを発見したため、今日のメニューは鯵の開きと納豆、九条ネギのたっぷりと入ったお味噌汁と黒米。それに、寝不足に効くハーブtea。

二日酔いの住人、私、勉強をしている住人、PCに向かっている住人・・・キッチンのテーブルに横一列に並んでいる。私はTVを観ながらごはんを食べる。たまに誰かと会話をもつ。食事を終えて、teaを飲みながら漫画を読む。皆、思いおもいのことをキッチンという同じ空間でしている。  私がシェアハウスを好きだなと思うのはこういう時間であり空間である。

これが本来の居場所なのだろう。なんだかそんな気がした。

9/18/2010

今、 いま、 現在。


久々に更新された彼女の文章を読み、逢いたくなる。そうだ、私は彼女の笑顔が大好きでいつもあの笑顔に助けてもらっていた。

メヒコの旅の途中に出逢った友人の文章を読み、頑張るって素敵なことだなって思う。そんな友人と3年半ぶりに再会をした。今、このタイミングで彼が転職をして東京に研修にきて、そして私の前でエネルギーに溢れた生き方を言葉だけでなく彼そのものの存在が語ってくれたことは、今の私にとって大きな意味があった。

何事にも意味を見出していきたい自分に疲れてしまっていた時もあったけれど、そういう自分も含めて、それが自分であると受け入れることができた今、言えることは彼女の書いた文章も彼と再会したことも、今まさに私が欲していたものであり重要なことであり、そして私は前に進んだ。

いささか狂い始めていたバランスが、修正された。だから、今日からまた旅を再開させよう。

「人生とは旅である。」  沢木耕太郎

食べて、祈って、恋をして



"I used to have this appetite for food. For my life. And it is just gone.” (かつてはもっと食欲があったわ。人生にもね。今はまったくなくなってしまった・・・)

"The sweetness of life….is doing nothing.” (人生のだいご味は何もしないこと)

"Everything else takes care of itself.”(あとは自然にまかせておけば、きっと上手く行くよ)、

Just sit back and relax, and enjoy!(ゆったりと力を抜いて、何も考えずに楽しんだほうがいい)

悪人。


なんとなくnorah jonesのDon't Know Whyが聴きたくなったけど、CDは実家であると気付き借りにいくことにした。帰りに同じ家の住人に逢った。たまにふらっと入るお店に一緒に行き記憶がおぼつかなくなるまで飲んでしまった。その時に、映画を観にいく約束をしたことだけは覚えていた。
最近映画を観てない。最後にみたのは飛行機の中だったかもしれない。大きなスクリーンで映画を観ることをしていない。そして邦画を最後に観たのはもういつのことかも思い出せない。
誘われた映画は「悪人」。ちょっとばかり予習をしようとYoutubeで予告編を観てみた。なんだかあまり気乗りがしなくなった。けれども、約束したので観に行くことにした。結果から言えば、この映画は久々に私の中にあるもやもやしたものを引き出してしまう位、素敵な映画であった。その後逢う人皆に薦めて歩く位、素敵な映画であったのだ。
「悪人」・・・それはきっと私の中にも存在する。今は表立ってでてこない。でも一生でてこないとは言い切れない。それ位「悪人」とは危うい存在なのだと思った。
誰もが「悪人」で、誰もが「悪人」になりうる。勿論私にだって言えるのだ。

9/09/2010

喫茶店  5 。

今日のまかないは、常連のおじちゃまが行きつけのお店でお寿司をとってくれた。とても美味しかったし、心も温まった。

今日は大雨で、JRのダイヤが激しく乱れていたのでお客さんはこないと思っていたが、こういう時ってなぜか常連さんたちが足を運んでくれる。これが、お店で働いている人達の一番の喜びであることは間違いない。

いつもいつも、有難うございます。

9/07/2010

大丈夫、一生かけて帳尻が合えばいい。


田口ランディと玄田有史先生の対話のテーマは「大丈夫、一生かけて帳尻が合えばいい。」であった。私もそう思って生きている。というかそう思い込ませて生きている。それが唯一の自分自身を甘やかすことのできる言葉である。


旅を何度か供にした友人に、なんとなく自分を見失っている感の否めない手紙を送ったらこんな返信がきた。


「今晩は。今年、本厄と思っていたら、それだけではなくて、例の大殺界だったらしいの。今更知って、良かったんだか、悪かったんだか。一時、精神的に、それこそハンガリーの駅の超スピードのエスカレーターを急降下。降りた先に待ち構えているのは、意地の悪い検察官。 今年は猛暑の疲れが今頃どっと出てしまって。


生きている意味を一生懸命見つけようと、必死だった。それが、20歳代の生き方。でも、結局、生きている意味なんてないし、考えてはいけないのかも。最近、道間違えると、イラッとしてしまう。ナビから外れただけでも。貴方と旅しているときは、全然、そんなことなかったのに。 日が暮れても、迷ったよね。迷うことが当たり前で。いつも、誰かに助けられていたし。


障害の人とも接しているからかな??社会のメジャーって恐ろしいと思ってしまう。人を傷つける凶器も備わっていると。 」


そう、旅の途中は孤独なことが当たり前で、だからこそ人との優しさを知っていたし助けられることの喜びを肌で常に感じていた。生きるということは動くということで、とにかく歩いていかなくてはいけなかったのだ。異国の地で立ち止まっていることなど許されない。とにかく生きなくてはいけなかった。どんなときだって、空腹にも睡魔にも打ち勝つことはできなかった。それが生きているということであったように思う。


対話の中で「無意味が怖い」という言葉がでてくる。確かにそうである。全てのことに意味がほしくて仕方ない。意味がないかもしれないと思った瞬間に意欲は削がれる。意味のあることだけをすることで自分という人間の成長があると考えている。私もきっとその傾向はあるのだろう。


でも旅なんて意味などない。後づけでいくらでも意味をつけることは容易である。でも、はじめたときに意味など考えていないのである。行きたいから、いったのである。


世間は旅人に決して優しいとはいえない。それは自由イコール責任感が乏しいとか連帯感が乏しいとかそんな感じがするからだろう。でも表面的には「やりたいことをやっている貴方は羨ましい。」と言う。


メディアはこぞって取り上げている。おひとり様であったり、シェアハウスであったり、一人旅を。けれども、それを取り上げれば取り上げるほど、自分がやりたいから、住みたいからという人たちは置いてきぼりにされていく。


対話の中に「ショーシャンクの空に」のことが書かれている。私の大好きな映画である。(随分と観ていないが。)


無実の罪で収監されていたレッドが「希望を持つのは危険だ」という場面があって印象的なんです。希望をもたないといえkないとよくいうけれど、ときとして希望を捨てることを生きる知恵にすることだってある。希望をもつことが余生をよくすることだというけれど。希望を持たない選択肢も認めないと苦しい。


・・・・と玄田先生は言う。


頭の声ばかり聞かないで、身体の声を聞いていこうとそう思った。


「大丈夫、一生かけて帳尻が合えばいい。」





9/06/2010

生きる意味を教えてください 田口ランディ

生きる意味を教えてください-命をめぐる対話
生きる意味を教えてください-命をめぐる対話

仕事場の近くに図書館を見つけた。平日は20:00までやっている。これからはここでのんびりとしてから帰宅しようと思う。今日はこの本をかりた。

41歳の3人の子供のお父さん。突然、家のソファで眠ったままこの世から去ってしまった。彼はひとりで逝ってしまったのだ。

40歳の彼女は2人の子供のお母さん。突然倒れてしまった。意識はある。でも動けない。時々笑う。でも大半は眠っている。時々頷く。でも大半は何も反応しない。

42歳の彼はひとり息子がいる。肺癌の末期。痩せ細った体で息子に笑いかけている。

病院にいると、嬉しい事実の何倍もの悲しさが襲ってくる。そして思う。健康の重みを・・・。人はそれを失わないと、その価値に気付かない。まさしく健康がそうだろう。

家をでるときぼんやりと思う時がある。今日も無事この部屋に帰ってくるのかなぁ、と。そう思うと、なんだか部屋をある程度片付けてから出掛けようと思う自分がいる。

誰しも、未来に生きている保証なんて持ち合わせていないのに、なぜだか死ぬわけがないと、病気になるわけがないと思い込んでいる。どこか、いつでも他人事なところがある。私にしたって、医療の世界にどっぷりと浸かっているにも拘わらず、そう思っているように思う。

結局いきつくのは、もっとちゃんと、もっと感謝して生きていかなくてはということ。

彼らが彼女らが、ものすごく欲して、欲している、「もっと生きたい」「健康になりたい」・・・・そういう計り知れない重みを考えて、この自分の健康がどれだけ価値のあるものであるかを体中で感じるべきなのだ。

9/02/2010

墨田区、江東区 お散歩☆

のんびりなはずの夜勤が一転した。7:50 急変。それからの2時間は怒涛の2時間であった。でも、今日の夜勤は一番の友人とである。だから、心強い。院長も早くに出勤していたし。

疲れたふたりであるが、なんとなく歩きながら寄り道。ふたりでいるといつでも登校班破りの小学生みたいに、あっちこっちと思いつくままに歩いてしまう癖がある。

パン屋さんに立ち寄る。営業時間までまだまだであるためガラス越しにのぞいていると、おばちゃんがでてきて「入りなさい。」とのこと。では遠慮なくということで入るとパンのいい匂いがする。おばちゃんが焼きたてのバタロールをくれる。更にお土産といって購入したパンの倍以上のパンをくれたのである。

ラーメン屋さんに立ち寄る。いかついおじちゃまがひとりでやっている様子。おじちゃん達にまぎれて、ネギラーメンとつけネギラーメンを食べる。これが何とも美味しい。けど、暑い。最高気温は40度近いのでは?と思わせる暑さ。日陰がない。風は熱風。でもお店は窓が全て開いている。

駄菓子屋さんに寄る。90歳のおばあちゃんのお店。すももとゼリーとマシュマロと・・・・友人は嵐カードを購入している(笑)  「もうこんなに歳とってね、おばあちゃんはただ生きているだけだよ。」
それって、すごいことである。ただ生きていることが何よりもすごい。

共通の友人の子供の1歳の誕生日プレゼントを購入することにした。とても悩み考えた結果。小さなリュックにのんたんの絵本を2冊いれた。カードに「人生は冒険だ。」と書いて。

ミスドでアイスコーヒーを飲み一息つき、お別れ。

まきちゃんは私の数少ない波長も波動も合う友人。彼女とはいつだってよく歩く。その代わり会話はそんなにもたない。でも同じところに引き寄せられる。

あの病院も、下町も、彼女も好きである。次に引っ越すとしたらこちら側かなぁ。

半分だけ休日。


なんだか最近とても疲れていたので、今日の仕事を同僚に変わってもらい、夕方出勤とした。

布団のカバーを全て外し洗濯をして布団を干す。その間にお弁当の作り置きの調理をすることにした。平日のキッチンは誰もいないことが多く、大きなキッチンを独り占めできるのはなかなか嬉しいことである。

古代米でごはんを炊く。
ひき肉をたまねぎと一緒に炒めでオクラとナスを最後にいれて、野菜の水分でコトコトと煮る。
チリメンじゃこをごま油で炒め、みりん・酒・醤油・砂糖で味付けをして、弱火でじっくりと味がしみこむのを待つ。
かぼちゃはお湯で茹でるだけ。


遅めの朝ごはんと早めの昼ごはんが開始。ゆっくりとごはんを楽しみ、最後はハーブteaでのんびりと雑誌を読む。
片付けて、部屋に戻るりシーツ類を外に干す。お布団を取り込むと太陽の匂いがする。今年の暑さで唯一嬉しいのはこの瞬間だけである。

シーツもあっと言う間に乾き、お布団をセット。まだ仕事に行くには早いので、ちょっとお昼寝。そして仕事へ。


喫茶店  4 。


今日の喫茶店は閑散としている。従業員として喜んではいけないのだけど、ちょっと嬉しい。常連さんがカウンターを埋め、後はガラガラだったけど、久々にりえさんに会ったのもはなこさんに会ったのも嬉しくて、今日はそれだけで十分な日である。

ひとつ世代が上な彼女達からもらうエネルギーは計り知れないものがある。だから、今日は彼女達とのんびりと他愛もない話ができて本当に嬉しかったのである。メイクの話やら恋の話やらいわゆる世間で言われるガールズトークなるものを繰り広げていただけなのに、小難しい話をするよりも奥が深いのである。たまに喫茶店でこうやって会って話すことが私には大事みたいだ。