7/31/2010

TIBETAN INCENSE,


















仕事の行きは、仕事の前に必要以上の汗をかくことが嫌なのでメトロに乗るが、帰りは20分の道のりを歩く。気分をすこしだけ変えたいときがある。そんな時はいつもの道ではない道を歩くことにしている。今日は気分を変えたい日であった。その道すがら、ある物に目がとまった。それが、「TIBETAN INCENSE」 である。こう書いてあった。「気持ちを穏やかにする香りは、集中する助けになるだけでなく、周囲と強くバランスをとるのに役立つ。」  私はその言葉に強く惹きつけられて購入した。


なんだかショートケーキが食べたくなった。いちごが挟まったシンプルなものがよかった。古びた喫茶店のショーケースに入っているようなそんなショートケーキが食べたかった。だから駅ビルのケーキ屋さんで購入した。

自宅に戻り、お気に入りのお皿にケーキをのせて、箱根で作ったグラスに氷を入れアイス珈琲を注いだ。バーレーンで購入した魔法のランプでTIBETAN INCENSEを焚き、ラジオをつけ、久々に沢木耕太郎のエッセイ「チェーン・スモーキング」を読むことにした。

こんなセリフがある。
「親孝行なんて、誰でもとっくに一生の分が充分済んでいるのに、誰も知りはしない。誰でも生まれた時から五つの年齢までの、あの可愛らしさで、たっぷり一生分の親孝行は済んでいるのさ。五つまでの可愛さでな。」

今日の新聞に悲しい記事があった。「親に置き去りにされて一歳と三歳の子が餓死をする」・・・そこにどんな背景が存在するかはわからないが子供の笑顔の写真が悲しみを湧き上がらせる。そして、思い出すことがある。昔、児童施設のお手伝いをしていたことがある。その施設には私の知らない世界があった。虐待、育児放棄、、、等。乳幼児が門の前に置き去りにされることもあった。2歳の女の子は全身にタバコの火の跡があった。4歳の女の子は足が曲がっていた。身体に見えなくても皆様々なものを小さな体に抱えていた。

皆、親孝行をしたかっただろうになぁ。

何事にもバランスが必要であると思う。生きれば生きるほどその思いは強くなる。バランスを少しでも崩すと途端に生きづらくなるのである。チベットは未知なる異国。まだ呼ばれない。だから行く予定はない。でも、チベットのお香を焚いて、沢木耕太郎の本を読んでいたら、突然どこかに行きたくなってきた。

そうだ、明日は実家に帰ろう。

7/26/2010

やっぱりわからない。



















こんなに美味しい朝ごはんを作ってくれる彼女。大好きな人に振られてしまって元気がない。友人のから元気が私の胸にずんとしたものを残す。

今回のテストは、教科書のp.10~p.365を勉強すれば100点がとれるように作ってあります。って先生はいつだってそうやって、私達にテスト前になると教えてくれた。あれは大好きな外科概論の先生だったと思う。先生のことが大好きだった私は必死に勉強して、いつだって外科系のテストは満点に近かった。

同じようなことが恋にも通じればいいのにって、時々思う。これだけ頑張れば、私の好きなあの人は私のことが好きになります。って誰かに教えてもらいたい。私も沢山の失恋をしてきた。失恋に順位などつけられないが、旅立ちの前日の失恋は私をどこまでいけばいいのかわからなくなる位、深いところまで落としてくれた。成田空港に行く電車の中で大きなリュックを背負った子がひたすら泣いている姿は、周囲をぎょっとさせただろうし、空港内のスタバで珈琲を飲みながらガンガン泣いていたときだって、周囲をぎょっとさせたに違いない。でも、あの時はこんな悲しみはないって断言してしまう位悲しかったのだ。どうにもならないのにどうしたらいいのかひたすら考えた。無論答えなんてない。それでも考えずにはいられなかったのだ。考えることが唯一の逃避であり、私は失恋という事実を異国の地に行くということで、なかった事実にしようとしていた。旅の最中もひたすら彼にハガキを送りその事実を完全に捨てたのである。そして1ヶ月後、旅から戻りその事実を受け入れた。自分でも驚くほど容易に。

旅をしていて出会いと別れを繰り返していくうちに、彼と会い素敵な時間を共有できていたということだけでも、私ってなんて幸せだったのだろうという自己陶酔のようなものを引き出し、その結果として失恋なんて大したことではないな、という結論に至ったのである。

けれども、やっぱり好きな人には自分を好きでいてもらいたい。彼女の「まだ好きなの・・・。」の言葉に深く頷きながら、そう思った。

7/24/2010

オセロ


心の風邪をひいた人達に毎週一回のペースで会いに行く。結局のところ、私が癒されてるように思う。この世界は生きる上での壁が壊れてしまっているから、居心地がいいのかもしれない。気負うものがなくて。ただ、ずっといることは、今の私にはできないが。

とてもオセロの強い人がいる。角を3つもとったのにそれでも勝てずに引き分け。

「引き分け」って響きが好きである。なんだか優しい気分になるから。たまには、こちらの世界でぬるま湯に浸かりたいのである。

私の生きている世界は、時として辛くなる。たまには甘やかされたい私にとって、オセロのできる空間は大事なものである。

Soup Stock

看護師になって気づけば10年以上の月日が経過した。新人の子達のいろんな事にイライラしてしまう度に、自分の新人時代を思い出す。勿論、全てはなんとなくしか思い出せない。私にとって学生時代も新人時代も辛い思い出の連続であったから、ほとんどの記憶は削除されているのだろう。漠然と辛かったとか怖かったとか、そんな抽象的な感じでしか思い出せないのである。

当たり前ではあるが、あの時は今の自分なんて想像できなかった。中学生や高校生の時に大学生がものすごい存在であると思っていたようにあの時の自分は10年以上のキャリアをもつ先輩を恐れていたし尊敬していた。けれどもいざ自分がその立場に置かれると、「・・・・。」といった感じである。おかしなものである。こうやって、人は自分の生きていく道を受け入れて消化して前に進んでいくのだろうか。

生きれば生きるほど思うことは、生きるということはなるようにしかならないということ。

昔は、Soupの専門店にSoupを飲みにくる自分なんて想像もつかなかった。つまり、そういうことなのだろう。こうやって、少しづつ生きやすいように変化していくのだろう。自分でも気付かない位の形と速度で。

ペルー料理。

いろんな国を旅してきて、今の所どこが一番かと聞かれて即答するとすれば勿論「日本」であるが・・・母国を除いては・・・難しい。でも、南米は上位にはいるほど好きである。何が好きなの?と聞かれてどう答えていいのかはわからない。でも、好きなのである。人であれ物であれ、好きの理由なんて実のところ、感覚的なものであり言葉で説明するような類のものではないのであろう。



やっと念願のペルー料理を食べに行くことができた。新橋のペルー料理屋さんは予約もとれないほどの混雑なので、今回は渋谷のペルー料理屋さんに来た。異国の食べ物はテンションが上がる。その空間はもう日本ではないのである。一瞬にして私は旅人になる。異国のお酒と食べ物が私を地球の反対側に誘うのである。
サルサの音楽と店員さんのスペイン語に更にテンションが上がる。気付けば私達しかお店にいない・・・。ということで、サルサを皆で踊った。すぐに脱げてしまうサンダルなんて脱ぎ捨てて、とにかく踊った。暑いのなんて、汗だくになるのなんて、本当に嫌いなのに、サルサを感じているときは、踊っているときは、気にならない。楽しくて、楽しくて、仕方なかった。


なんとなく、よしもとばななの「なんくるない。」が読みたくなった。
「どうにかなるさ、大丈夫。」そう思える日であったのだ。



7/06/2010

インド料理。

妹のいない私にとっては彼女が妹。その彼女と最初にご飯を供にしたのがここのインド料理屋である。東京駅のそばにも姉妹店があるのだが、私としてはそちらのほうが内装もお店の雰囲気も好きである。けれども、仕事場からは銀座のほうが近いため彼女とはここにくる。南インドワインのボトルを開け、饒舌さに輪がかかる。友人がいて美味しいお酒と料理を堪能できて、それ以外に必要なものってなんだろうか。きっとないなぁ・・・・。

7/05/2010

スペイン料理。

後輩と2ヶ月に一回のペースで、女子会をしている。女子会の定義そのものが今ひとつわかっていない私は、10歳も離れた後輩の言われるがままな感じである。けれどもなぜかお店は私が決めることになっている。このお店は、本当に素敵である。ひとつだけ欠点があるとすれば、交通の便が悪いこと。それ以外は何もないのである。







恋のタイミング。


私がたまに働いている喫茶店、最近は専らお客さんとしてしか行かないけれど・・・。おじちゃま達の背中に心動かされるものがある。

恋をしているときって、なんだか忙しい。沢山考えることがあるから。妄想にだって拍車がかかるから。そして不思議なことに、恋をしているときって、恋をしている人によく逢う。今日もキッチンで逢った女の子の可愛い片思いの話を聞きなんだか嬉しくなる。片思いを楽しむ余裕なんて自分にはひとつもないのに、人の片思いの話を聞くと片思いってなんて可愛い素敵なものなんだろうって思うのだ。

あの人に恋して、その思いが高く積み上げられた時とこんなにも低くなってしまった時と、この差ってなんだろうか。確かに私はあの人が好きであったのだ。けれども、その思いは上手くお互いにかみ合わないと駄目なのである。私が好きなとき、彼はそれほどでもなく、どんなに私がボールを投げてもそれをグローブにいれたまま、私に投げ返してくれない。そんな時が続くともう疲れてしまうのだ。私の気分が下がりはじめた時に、投げ返してくれたってもう遅いのである。

全てはタイミングかぁ。