4/20/2010

理解できない日。


やさしいね。
やさしいね。
やさしいことは強いこと。
そんな言葉が書かれた手紙をもらった。

気分がなんとなくのらない日がある。大きな出来事があったわけではない。かといって小さな出来事があったわけではない。でもなんだか気分が乗らない日ってある。そんな日は、電車では座らないことにしている。本も読まないことにしている。ひたすら、車窓からの見慣れた風景を見て心の中を無にすることに努めている。


駅前のお花屋さんでお花を購入し、隣のTSUTAYAでDVDを借りた。帰宅しお花を花瓶に移動したらお香を焚き、洗濯機を回し、トイレを掃除する。そして、床を掃きふく。そこまで終了したら、ワインを開けDVDをスタートする。

そうして迎えた今日。それは新しい日であった。何も不満のない日の始まり。それなのに、朝から仕事場にかかってきた、他病棟からの電話で一変した。彼女のヒステリックな声は20分以上も続いた。それは何もうむことのない無益な時間であった。一方的な電話であり私の偏頭痛を再発させたその人を私は理解できない。何か問題が発生した時、まずはその状況を確認し相手の話を聞く。その後、その事に対する問題解決の入り口に立つのではないのだろうか。人の話は全く聞かず、自分の意見だけを述べ、そして相手の意見を全否定する彼女からは長である自覚は全く感じられない。そんな彼女が接遇やストレスコーチングをしていることにも疑問を感じる。

感情だけをむき出しにすることは、仕事をする上でなにひとつ有益なものは生まない。それを。10年以上先輩である彼女が理解していないことは何とも残念なことである。

それにしたって、彼女に今日という新しい日の最初を踏みにじる権利がどこにあるのだろう。一本の電話が今日という日を、靄のかかる一日にしたのである。

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