4/22/2010

正しい答えを導くことは困難である。

1Q84 BOOK 3

戻りたい過去は沢山ある。あげたらきりがないほど。でもその過去には目を閉じる。一度、通り過ぎた道を戻ることはできない。それがたとえ間違っていたとしても。それが今なら正しい道に戻せるとしたとしても・・・。

2年前のことを今更持ち出してくるなんて、どんなつもりなのだろうか。それは私には過去であり、再開させる気はない。それでも動揺はした。どうしようもなく心をかき乱された。ある友人にはその過去を納得のいく過去にさせる必要があると言われた。きっと彼女の助言は正しいのだろう。それでも、私はその過去に何もせず蓋をした。それでいいと思っている。

友人に生きている意味がどうしようもない位わからないといわれた。同業の彼女の言葉には重みがある。その言葉を呟いてみた。「イキテイルイミガワカラナイ。」それに対する言葉などみあたらない。

だから、オウム返しのように私も彼女に言った。「そうね、生きている意味はどうしようもない位わからないかもね。」

4/20/2010

理解できない日。


やさしいね。
やさしいね。
やさしいことは強いこと。
そんな言葉が書かれた手紙をもらった。

気分がなんとなくのらない日がある。大きな出来事があったわけではない。かといって小さな出来事があったわけではない。でもなんだか気分が乗らない日ってある。そんな日は、電車では座らないことにしている。本も読まないことにしている。ひたすら、車窓からの見慣れた風景を見て心の中を無にすることに努めている。


駅前のお花屋さんでお花を購入し、隣のTSUTAYAでDVDを借りた。帰宅しお花を花瓶に移動したらお香を焚き、洗濯機を回し、トイレを掃除する。そして、床を掃きふく。そこまで終了したら、ワインを開けDVDをスタートする。

そうして迎えた今日。それは新しい日であった。何も不満のない日の始まり。それなのに、朝から仕事場にかかってきた、他病棟からの電話で一変した。彼女のヒステリックな声は20分以上も続いた。それは何もうむことのない無益な時間であった。一方的な電話であり私の偏頭痛を再発させたその人を私は理解できない。何か問題が発生した時、まずはその状況を確認し相手の話を聞く。その後、その事に対する問題解決の入り口に立つのではないのだろうか。人の話は全く聞かず、自分の意見だけを述べ、そして相手の意見を全否定する彼女からは長である自覚は全く感じられない。そんな彼女が接遇やストレスコーチングをしていることにも疑問を感じる。

感情だけをむき出しにすることは、仕事をする上でなにひとつ有益なものは生まない。それを。10年以上先輩である彼女が理解していないことは何とも残念なことである。

それにしたって、彼女に今日という新しい日の最初を踏みにじる権利がどこにあるのだろう。一本の電話が今日という日を、靄のかかる一日にしたのである。

4/15/2010

「あなたはあなたでいいのだ。」



これでいいのだ。
それは赤塚不二夫さんが、
漫画の中で繰り返してきた言葉。

現実はままならない。
うまくいかないことばかり。
毎日のほとんどは、これでよくないのだ、の連続だ。
自分を責めて、誰かを責めて、何かを責めて。
そして、やっぱり自分を責めて。

だけど、ためしてみる価値はある。
これでいいのだ、という言葉のちからを。
信じてみる価値はある。
あなたが、もうこれ以上どうにもならないと
感じているのなら、余計に。

胸を張る必要はないし、
立派になんて、別にならなくたっていい。

「あなたはあなたでいいのだ。」

あなた自身がそう思えば、世界は案外、笑いかけてくれる。

人生はうまくいかないことと、
つらいこと、つまらないこと。
そのあいだに、ゆかいなことやたのしいことが
はさまるようにできているから。

どうかあなたの人生を大事に生きてほしい。


心の風邪をひいた人たちと、この広告を共有した。
週に一回、私が私を休ませる日。
心の風邪をひいた人たちとこうつぶやく。

「わたしはわたしでいいのだ。」

そんな日も時には必要である。

4/09/2010

desde aqui todos los caminos a Santiago se hacen uno solo,

スペイン巡礼の本を読んでいる。スペインから帰り、アルハンブラの本を読み漁っていた時に出会った本である。なんとなく図書館の棚でみて手にとり、そして借りてきた。通勤途中にひとつの巡礼の場所毎に読み進めている。そこでこんな言葉があった。

「急いで信号を渡るのか。ゆっくり行って次の青信号を待つのか。電車に乗るのかバスにするのか。道は常に分かれている。日常の中ではさらに、もっと小さな選択も繰り返すだろう。気付かぬうちにしている瞬間瞬間の選択。これらの点がやがて積もり積もって線になる。

でも行きたい方向が明確なら、それを求める気持ちが強ければ、瞬間瞬間の選択の中で私たちは、知らぬうちにそちらの方向に少しでも近いものを選んでいるのではないだろうか。そして道は自然と開けていく。もちろん、思わぬ回り道をすることもあるだろうし、予想外の痛手を負うこともあるかもしれない。でも目的地さえ明確に決まっていれば、たとえ道を逸れてもやがては、本来目指した大通りに遭遇するに違いない。」

久しぶりに心の風邪をひいた人たちに逢いに行った。春だからか少し動き始めている様子であり、あまり落ち着きのない彼らであるが、私が出勤していない1ヶ月の間、つまりは冬の間引き篭もっていた人達が外にでてきていた。やっと最近外にでてこれるようになったとのこと。

看護面接をした21歳の女の子。目標は午前中に起きること。その目標がクリアできるようになったら、アルバイトをしたいと話す。常に胸がざわざわしていて眠れないというのが訴えである彼女は、家に引き篭もっており、やっとの思いで外にでてきた。彼女に逢い、この久々のなんともいえない空気に私の体もなんだか重たくなる。

けれども、ここにきたことが彼女の今後を何かしらの形で変えていくのだろう。それがいい方向か悪い方向かはわからないが、それでも変わることが大事なのかもしれない。

現状とはあくまでも現状にしかすぎず、それを落とさないことは大事かもしれないが、上を見上げることはもっと大事なのかもしれない。

そういえば今年の新たな目標をたてていないことに気付いた。

4/02/2010

Up in the Air,


バーレーンとサウジアラビアの国境地帯で出会った時計のように、修復が可能であるのなら私はまず何を修復するのだろうか。ふっとそんなことを思った。

新しい季節が到来した。私には何も変化はない。職場が変わるわけでも住居が変わるわけでもなく何も変わらない。気持ちの上で考えたら、どうだろうか。やっぱり何も変わらない。唯一変わったのは手帳である。毎年同じサイズで淡いピンクの手帳を購入する。なんでも忘れてしまう私はそこにランダムに何でも書き込む。新聞の切り抜きや素敵な言葉、料理のレシピから旅の持ち物まで何でも書く。もしその手帳を落としたとして、拾った人には何の価値も見出せないだろう。けれども私には大事な記憶であり時間が詰まっている。

日記は書かない。いつだって、半年で終わってしまうから。そのかわり毎日、キーワードだけ書き込むことにしている。そのワードをみると少しだけその日の自分を思い出す。そして、とっても書きたい日はこうやってここに書く。飽きっぽい私が唯一続けられていることは、手帳とブログだけ。

4月1日から始まった手帳に初めて書いた言葉。「桜 皇居 オイスター ななちゃん 休み 強風 作業員転落 電車動かない 18℃」

もう一回考えてみた。修復したい時間とは・・・。でもなかった。きっとないのだろう。でももう一度始めたいことや逢いたい人はいる。その時まで時間を戻す必要はないのかもしれない。明日はいつだって新しい日である。そう、もう一度始めたらいいのだ。もう一度逢ったらいいのだ。小難しい理由や、(注)などに捉われず、好きにしたらいいのだ。人間に与えられた「記憶と忘却」という素晴らしい才能を武器にして。