3/31/2010

のんびりと。

1€か2€をだせば、メトロに乗れる。治安が悪いといわれるメトロ・・・初めて、スペインに降り立った時、バルセロナのメトロでは、ひたすら日本語で「貴方を泥棒が狙っています。気をつけてください。」とアナウンスが流れていてぎょっとしたのを覚えている。幸いにも現在に至るまで、盗難などには遭ってない。危ない目と言えば、とある国で就寝中ドミトリーにナイフをもった男が侵入した時と、宿の台所でドラッグをすすめられたとき位であろうか。幸いにもその男は危害を加えずに帰ったし、ドラッグも断ると何事もなかったように、その後も彼らと談笑していたように思う。今後のことはわからないが、今の所は大丈夫である。でもメトロには乗らず、一日中ひたすら歩いた。やはり旅の醍醐味が人との出逢いであるのと同時に、場所との出逢いもあるように思う。偶然に入った路地裏やお店で面白いことが待ち受けているのかもしれない。そう思うと、おちおちメトロに乗り、地上での面白い出来事を見逃すわけにはいかないのである。ただ、PARISを旅したときだけは利用する。オーデイションに合格した人たちが、それぞれに素敵な音楽を奏でているからである。

たまたま入ったCAFEはとても可愛らしいおんなの人がひとりで切り盛りしているお店で、とても混雑していた。けれども、丁度私が入った時に、同時にお客さんが帰っていったので、私以外はランニング途中に立ち寄ったマダムと、ココアを飲むカップル、そしてカウンターに座った私の横には何やらせわしない男の人がいた。そのカウンターは始終珈琲の香りが届き特等席の気がする。珈琲豆を挽く匂いは何ともいえない安らぎを与えてくれる。店員さんと男の人のスペイン語をBGMに、私はその傍らで本を読みそしてAIR MAILを書いた。 その日は一日の半分以上をそのCAFEで過ごしたのである。

ひとり旅は、時間がものすごくゆっくりと流れていく。何もすることがない。しなくてはいけないこともない。せっかく旅をしたんだからあれもこれも行かなくては、見なくては、という精神が欠けている私には膨大な時間が与えられているのだ。CAFEを後にしてもまだまだ、時間は沢山ある。とりあえず、郵便局に行きAIR MAILをだし、その後は・・・・飲みに行こうかなぁ。

3/29/2010

HABLA DEL SILENCIO...

公園の斜め向かい、角のお店。ワインやナッツやオリーブが置いてある。友人のお薦めのお店であり、連れていってくれた。お店の人の一押しのワインがこれ。10€位であり、やや高級である。一本購入してみた。

「HABLA DEL SILENCIO...」は日本語訳すると、なんだっただろうか。メモをとるのを忘れたため忘れてしまった。確か、静かな・・・なんとかだったような。昼間からワインを開け、昼食を始めた。このワイン、本当に美味しい。最近は、チリやアルゼンチン、そしてイスラエルのワインが気に入っておりスペインのワインを飲んだのは久々であるが、とても美味しかった。本当に美味しくて、なんていえばよいのだろう。ひと言で表すとしたら、幸せだった・・・かなぁ。旅で飲むワインは私にとって大事なメモリーである。日本にいても、ワインを飲むと私の記憶がどこかに旅をさせてくれるのだ。やっぱり私にとって、お酒は良き友であり、時々悪友となる。




3/28/2010

Stay hungry, Stay foolish,


「自分の直感を信じて従う勇気をもつこと。」

自分の直感で生きてきた。でもぶれてばかり。いつでも自分を信じることができていないように思う。もっと先を信じて、自分を信じて、今自分の直感を信じて、できること、やるべきこと、やりたいことにむかって全力で歩いていきたいと、そう思った。

3/27/2010

やっぱり大好きなんだろう。

いつも誰かがここにいたように思う。キッチンはとても落ち着いた。スペイン語は全く理解できないけれど、みんながスペインコ語で楽しそうに話しているのを聞いているのが一番楽しい時間だった。言葉はわからなくとも楽しさってなんだか伝染する。ここは居心地の良い空間であった。



グラナダの友人宅のドアは左。隣にはオーナー一家が住む。友人が合鍵をかしてくれた。でも一度だってその鍵でこのドアを開けられたことがない。開けられなくて途方にくれて、隣の家のインターホンを鳴らしオーナーの子供に助け求める始末・・・。友人曰く、一回ドアを前に引っ張ってから押すんだとか。









グラナダの友人宅の洗濯機は、スプーンがないと開かない。そして、スプーンがあっても私には開かない。どうやらコツがあるらしい。そして、この洗濯機2時間以上回っている。随分のんびりな洗濯機である。


今日は長期休暇後の始めての出勤であった。休暇の後はなんだか働くことにスイッチを合わせることが難しい上に、なんとなく時差ボケは続いており、心身ともにしんどかった。仕事にも行きたくない気持ちで一杯で、小学生の登校拒否児のように「なんだかお腹が痛い。」ような気までしてくる。

当たり前ではあるが出勤をした。同僚の顔をみたらなんだかそんな気分もどこかに消えていた。長期入院の患者の病室を訪ね歩くと、皆が「旅に出てたんだって、姿がないから聞いたらそういうからさぁ。待ってたよ。」と。今日は一日中、皆の髭をそり、お風呂介助をし、洗髪をし、等々、隅々まで綺麗にすることに専念した。

やっぱりこの仕事が好きであり、私にとっては旅は休暇であり日常は仕事であるのだろう。これからもそれで行こうと思う。

ただひとつ思うこと。私が17日間にも渡って休暇をとれたのは、そのような形態を選択して働いているからである。だから、それなりのリスクやデメリットとセットで働いてる。そのリスクやデメリットを取り除いて働くのであれば、1週間の休暇が限度である。頑張っても・・・だいぶ頑張っても10日である。

ヨーロッパの友人達に驚かれる位の短期休暇である。やはり、自分の仕事がどんなに好きであっても息づまることはある。やっぱり、人間には休息のほかに、休暇が必要なのである。有給をとることもままならなく、休暇をとることも申し訳ないと感じながら肩身の狭い思いをしなければならないのが、看護の世界の現状である。人手不足に反比例して患者の欲求は高まる一方であるこの世界では、休暇というのはとても重要なストレスのコーピングにも関わらず、軽んじられてきた。否、軽んじてるわけではなく皆が必要であることは理解しているが現状がそうできないのである。

だから、本当は皆がこの仕事を愛しているのに辞めていく。疲れて、心の風邪をひく。もしくは、頑張らなくなってしまう。

長期の休暇が一年に一回でもとれれば、もっと皆が仕事が好きなことを忘れないでいることができるのだろう。そして、世間を賑わしているあのような恐ろしい事件が多発することもないのかもしれない。問題はそこだけではないとしても・・・・。

キッチンでのんびりとしたり、ドアが開かなくても、洗濯機がスプーンがないと開かなくても、2時間以上回っていても、それを楽しめる余裕、ゆとり、それって、休暇に繋がっているように思えてならないのだ。

東洋人。


Asia圏ではないところを旅すると、なんだか東洋人に目がいく。なんとなく、仲間意識ができるのか?よくわからないが、日本のパスポートを持っていたり、地球の○○方を持っていたり、日本語が聞こえてくると意味もなく嬉しくなったりする。だからって、声をかけたりするわけではないのだが。近くにいるという事実が一人旅ではなぜか安心感に繋がったりするのである。けれども、私が日本人に逢う率は低いように思う。それは日本人宿が苦手であるからかもしれない。確かに日本人宿に泊まったメヒコのシティやサンクリでは当たり前ではあるが日本人しかいないので、日本人に沢山逢ったし素敵な友人もできた。けれどもそれ以外で逢う事はあまりない。


マドリードに到着したのは、10日の23時である。私は急いでいた。なぜなら、泊まろうと思っていた宿が無料のシャトルバスをだしていたのだが、0時までに電話をしなくては迎えにきてくれないからだ。それなのに税関の前は長蛇の列。やっと順番が回ってくると思ったら、突如私の前に入国書とパスポートももった東洋人のおばちゃまが立ちはだかった。えっ・・・と思う暇もなく彼女は私の母国語ではない言葉で激しく話し出した。全くなにを言っているのかわからず、日本語で「あの・・なんですか?」と言うと、更に彼女は激しく話し出した。なんとなくわかったのは、私に入国書を書いてほしいということであった。強引にパスポートと入国書を握らされ、後は何も言わず私の顔をみて笑顔である。仕方ない・・・なぜか税関はもう目の前であるのに彼女の入国書を書くはめになったのである。彼女は「謝謝」と、唯一私が知る中国語を最後に言い、これまたなぜか私より先に税関を通過していったのである。



帰国のため空港に到着。案の定、アエロフロートのカウンターは開いていなかったため、その前で待つことにした。すると、東洋人のカップルがやってきた。彼らは、まずスーツケースを床に置き何やら広げ始めた。どうやら荷物整理をしているらしい。そして最後に登場したのがAIR枕である。つけたことはないが、よく飛行機内で首に巻きつけて眠っている人をみかけることはある。なぜか彼らはそれをふくらまし、まだチケットを発行し搭乗するまで3時間以上もあるのに首に巻きつけている。そしてなぜか、私のほうに突進してきたのである。そして、私の前で止まるとまたもや私の母国語ではない言葉で激しく話し始めた。何分位続いただろうか、私が首をかしげるとOKと言い自分達の荷物の元に戻っていった。なんだったのかさっぱりわからないが、それが韓国語であったことだけは確かである。


モスクワからの飛行機で隣だったのは女の子であった。叶姉妹の妹にそっくりな彼女はとても美しく、同性なのにちょっと落ち着かない。少し会話をもってみた。彼女は24歳銀行勤務、3姉妹の末っ子であり、今回は連休と有給を使い、ウィーンに3泊5日の一人旅であったとのこと。本当は昨日帰国予定が、オーストリア航空、成田直行便が17人もオーバブッキングをしてしまい急遽、この便になったと・・・これまた顔によく似合う可愛らしい声で話すのである。こんなに可愛いのに一人旅なんて危険だなぁと思いつつ、まさか宿は・・・と心配になって聞いてみるとシングルのホテルに泊まっていたとのこと。彼女には私が泊まるような男女混合のドミトリーなんて危険すぎる。


そんな話を旅の友人に帰国報告を兼ねて話すと、ひと言「私が旅に出るときは、安いドミトリーに泊まるのを止めたりしたこと、一度だってないよね・笑」と言われた。「だって、あの子可愛すぎるのよ。」


よくわからないが、あんなに可愛い子も旅をするんだとわけのわからないことを思い、そして友人に聞いてみた。「なんで、あんなに可愛いのにカウンターではなく内勤なんだろうか。」と。「それは、そのカウンターだけ混雑しちゃうからよ。」


旅の最後に逢った東洋人は、お人形さんみたいに可愛い女の子でした。


時差。


スペインとの時差8時間。夜勤メインの生活をしていた時期ではおこらなかったこと。それは時差ボケ。久々に罹患した。最近は昼間の生活に切り替えた。夜勤は極力やらないようにしているので、月に多くて3回である。夜に人と逢ったり、飲みに行ったりすることも、なるべくしないようにしている。基本は23時のは就寝。遅くとも0時には就寝を心がけている。だから、体がそれに慣れてしまった。

そして2週間のスペイン生活。今度はスペインの生活に慣れてしまった。遅めの昼食や昼間からのアルコール、シエスタ・・・どれにも体は適応してしまった様子。そして8時間の時差にもすぐに適応。

けれども、帰国してから体が日本モードにならない。夜勤でもないのに4時台に起きているなんておかしい。0時には就寝したのに眠りにつけない。ホットミルクを飲み再度チャレンジするも眠れず。眠ることがこんなに大変なことはない。いつでも布団に入れば気付けば朝だった・・・という感じの生活を送っている私にとって、不眠とは縁遠いものであった。今になってやっと心の風邪をひいた人達が、「眠れなくて辛い・・・、早朝覚醒するんだよ。」と言い、複数の睡眠導入剤を内服している理由がなんとなくわかったような気もする。

そういえば、ここ2年逢ってない友人からメールが届いた。年賀状の返事がないから心配していたのだが、「心の風邪をひいて休職をし、最近職場を異動してやっと眠剤だけでどうにか生活できているの。」という内容であった。彼女は救急領域で働いている子であり、燃え尽きたのか、それとも何かあったのか、もう少し落ち着いたら長野まで逢いに行こうかなぁ、、、今日は眠れているかしら。

眠れないって、本当に辛い。

3/26/2010

誕生日。

旅に行く5日前、32歳の誕生日を迎えた。もう32歳である。まだ32歳である。どちらだろう。どちらの気分にもなる。誕生日の日の自分だけは26歳の時から記憶している。毎年漠然と、歳をとる自分を東京ではない土地で迎えたかった。意味など特にないが。去年は金沢のお気に入りのレストランで美味しい鉄板焼きとマダムが選んでくれたギリシャのワインを飲みながら過ごした。30歳はモンマルトルの丘で過ごした。今年は東京で過ごすことにした。フェイスエステに行き、美容院に行った。そして帰りにお花屋さんでお花を購入した。「32歳の女性の誕生日にお花を贈りたいので選んで頂けますか。」と頼んで。 誕生日を記憶していた友人から贈り物が届いた。そこに入って いた友人からのカードを飾り眠りについた。

32歳と一日目。お隣さんが引っ越してきた。素敵なお花を頂いた。昨日お誕生日だったでしょ・・・と言いながら。そういうさりげないことができるひとになりたいと思った。

静かに過ごした32歳の始まりをふっと思い出し、まだ32歳である。そう思った。
 

サマータイム事件

スペインはそろそろサマータイムになるという。それを聞くと落ち着かなくなった。サマータイムで思い出すのはバーレーンに向かうために関西空港に到着したときのカウンターのお姉さんの言葉。「このチケットは昨日ですね。」。えっ・・・。そう、サマータイムのため発着時間が変更になっていたのだ。どうしても行きたいとカウンターのお姉さんに泣きつき、なんとかバーレーンにたどりつき、それを聞いたチケットを贈ってくれたおじさまが航空会社にクレームをつけ(サマータイムの連絡がなかったため。)、帰りはファーストクラスで帰ってきたという、結果的には最高だった・・・「サマータイム」ではあるが、スペインでは絶対にそんな幸運が舞い降りてくるとは思えない。とりあえず、23日の飛行機に乗らなくてはいけないため、様々なスペイン人にサマータイムはいつからか聞いてみる。驚くべきことに皆がいう答えは様々である。メトロの職員も宿のお兄さんもバルのスタッフもそれこそありとあらゆる人に聞いたが、皆違う。あまり興味がないのだろうか。でも1時間はとても大きいように私には思うのだが・・・。

結局帰国日まで正確な変更の日はわからず、諦めて必要な時間よりも更に1時間早く空港にむかうことにしたのである。結果、サマータイムにはなっておらず、ただ空港に早く着いただけとなってしまった。

日本に帰国して調べた。3月28日にサマータイムになるということである。あっ、バルのお兄さんの答えだけが正しかったのだ。信用しないでごめんなさい。

3/25/2010

一日の長さ。



スペイン事情を聞きいつものことながら驚く。


友人に銀行が開いている時間以外はATMでお金を下ろしてはいけないと言われた。時々、カードがのまれてしまい出てこなくなるとか。そのまま出てこないのなら次の日まで待てばいいのだが、気まぐれにでてくるというではないか。4時間後とかに・・・・。そんなことって、あるのね。


最近、やっとお風呂が直ったとのこと。修理を頼んでから半年間も待っていたらしい。約束の日に連絡もなしにこなかったり、しびれを切らして連絡すると「忘れていた。」とか「忙しい。」との一言で終わってしまうとか。かと思えば、皆が大学に行こうとすると来たりすると。なんて自由な修理屋なのかしら・・・。でもそれは彼だけでなく当たり前なんだとか。そういえばフランスにいる友人も同じようなことを言っていたような気がするなぁ。それを待てる友人を尊敬。私はそんなに待てない・・・と言ってもきっと待つしかないのか。


友人は京都の大学から研究費をもらい学んでいる留学生である。だから、毎月在学証明書というものを発行してもらい、京都の大学に送らなくてはいけないらしい。それはこちらの大学の教務課の人の仕事なんだとか。それなのに彼女は働かない。午前中しか開いてないのに1時間半も休憩に行ってしまうわ、連絡がとれて予約をしてもいなかったり、いたとしてもFAXの調子が悪いとか、PCの調子が悪いとかで終わりにされてしまい、話し合いの余地はないんだとか。しまいに友人の元に京都の大学から在学証明書がこないとの連絡がくる始末。奨学金をもらうための大事なものなのに、いるかいなかだけの書類なのに、なぜ彼女はさばけないのか不思議で仕方がない。またしても、彼女は例外ではないようなので驚きである。



道路を歩いているとマンホールの蓋がなかったりする。もしそこに落ちてしまったら日本だったら大騒ぎ。区役所に抗議が殺到するだろうし、新聞にものるだろう。勿論こちらでは「落ちた人が悪い。」の一言で終わる・・・・それを聞いていらい、蓋があっても信用しないことにした。その上は歩かない。

まぁ書き出していったらきりがない位、驚くことは沢山ある。ありとあらゆる環境が異なる世界に生きていたら不思議なことではないのだろう。そういえば、ローマではポリスがポテトチップスを食べながら談笑していたし、パリではポリスが紙ひこうきを飛ばして楽しそうにしていたし、ギリシャではパトカーでショッピングを楽しんでいるポリスにも出会った。それはそれでいいのだろう。でも、旅で盗難にあうことだけは避けたいとそう思ったが・・・。

日本とは比較すること自体が間違っているし、旅ではそういう事実を発見するとなんだか嬉しくなったりもする。もう少し日本でも気長な自分で生きていきたいとそう思うし、この仕事に就いて少しづつのんびりさがそぎ落とされてしまっている自分に対しても・・・・・そう思ったのである。一日の長さはきっと自分次第で延びたり短くなったりするに違いない。

グラナダの旅 Ⅲ

現在、14時を過ぎた。シエスタの時間である。こちらの人は13時位から16時くらいまでゆっくりと昼食を楽しんだりして休息をする。シェアハウスの住人達も大学から一度戻ってきて、ゆっくりと昼食を摂りお昼寝をしている。

散歩を一度中断して、お店に入り自家製のワインを頼む。一緒にタパスがついて2€位とはなんとも嬉しい。



グラナダの旅 Ⅱ


遅めの朝食をとり、散歩にでかけた。とても晴れていて半袖でも問題のない位の気候に春を感じた。東京で空をみるとどんなに晴れた日で素敵な色をしていても、空に高さを感じない。手の届かない所まで空が続いているように思えない。でもここの空は手の届かない所まで空が続いているように思えるし、その届かない空と人が自然な形で一体となっているように思えるのである。 そして堂々とそびえたつアルハンブラ宮殿。1238年に建設が始まりその後170年もの歳月をかけて完成したというその宮殿は600年以上が経過した今もなお違和感なく、空と人と一体となっている。その宮殿に明日出掛けようと思う。




グラナダの旅 Ⅰ


マドリードからBUSに乗ること6時間、目的地のグラナダに到着した。私以外全員がスペインコ語を話す満員の車内は始終賑やかであった。とりあえず、スペイン語のシャワーで旅が始まったのである。

友人とはメヒコの宿で出会った。薬物依存の研究をするためにメヒコ、京都、そしてグラナダの大学と移動を重ね勉強をしている友人は6つも年下とは思えないほどのオーラを放っている。そんな友人と逢うのは一年振りである。バスターミナルで待っていた友人の姿を見つけた時は大興奮であった。

とりあえずは友人の住むシェアハウスに向かった。フィンランド人、ドイツ人、スペイン人とシェアをしているハウスはグラナダの中心にあり7階のためグラナダの街が綺麗に見える。到着すると遅めの昼食を用意してくれテラスで食べることにした。17時を過ぎているのに気温は15℃を超え風もなく、旅の始まりとしては申し分なかった。

ひとまず、友人宅に泊まりこれからの旅の計画を立てようと思う。行きたい所は山積みである。モロッコ・セビーリャ、そして、マドリードに戻り、ゲルニカに再会をしたいし、今度こそプラドにも行きたいし、トレドにも行きたい。やはり2週間では短すぎる・・・・。

セルビア人とナイジェリア人とのトランジットでの出来事、Ⅱ

セルビア人のおばあちゃまはこれから上海に行くとのこと。ナイジェリア人の彼は同じ日本だった。

なんとか3人ともカウンターは通過した。けれども、その後なぜか荷物チェックが待っている。飛行機を降りて少し歩いただけなのに必要があるのかは首をかしげるところだが。そして職員は5人位いるのに機会は一台。ということは、そこでも長い行列ができる。こんな時、日本の怖いくらいのスムーズさが懐かしくなってくる。どちらかといえばこちらのほうが人間味があるのかもしれない。でもこんな時は効率の良い機械的な日本が好きである。

その長い列でまっている間におばあちゃまが1999年のユーゴ空爆の話をはじめた。空爆で家族を全て失って一人ぼっちであると言う。ボスニアを旅したときを思い出す。空爆の後を街のいたるところで見た。そして平和安定部隊の兵士とすれ違った。その光景を彼女の背中に見た。

ナイジェリア人の彼は怒りながらでてきた。日本語が堪能な彼は言う。「あいつら、俺が黒だってだけで、鳴ってもないのにbodyチェックするんだぜ。まぁ、いつものことだから慣れっこだけどさ。まいっちゃうよ。」

ヨーロッパ式の挨拶は両方のほっぺにkissをする。最初はどうもその習慣に慣れなかったし抵抗があった。でも、上海に向かうおばあちゃまとハグとkissでお別れをした時、なんて素敵な習慣なんだろうと思ったのである。

そしてなんとか、無事帰国した。連日20℃を超える暑さから8℃で雨が降る日本に到着した。寂しさと嬉しさといろいろ入り混じった中、家路に着いた。

お隣さんに帰国した旨を報告すると、残業はせず帰宅するとの連絡が入る。こんな時、シェアハウスっていいなぁって思う。久々に逢ったお隣さんとの話は尽きない。彼女が隣であることはとても幸運なことだなって思いながら、眠りにつこうと思うもまだ時差に体が順応していないようである。

セルビア人とナイジェリア人とのトランジットでの出来事、Ⅰ

今回はアエロフロートで旅をした。理由はそれ以外の選択肢はなかったから。初めてヨーロッパの旅にでた時もアエロフロートであった。その時の理由は確か、一番格安だったからだと思う。宿に行くとオレンジにロシア語でアエロフロートと青字で書かれたブランケットや枕を愛用している人を沢山見かけた。今はグレーとオレンジのタータンチェックのブランケットである。そして、機内放送で飛行機外への持ち出しは固く禁じていると放送まではいる。きっと、相当なくなっていたのだろう。想像は容易につくが。

もうかれこれ4回目の搭乗である。だいぶ、モスクワでのトランジットにも慣れてきた。というか諦めがついてきた。初めてのトランジットの時は怖くて仕方なかった。薄暗い空港内をなぜか切れ気味の空港職員に、ロシア語でまくし立てられる。言葉の壁はあっても、怒っているか否かは理解できる。彼らはいつだって何かに怒っていた。

モスクワはヨーロッパの拠点であるし、ハノイやバンコク、成田、上海にも飛んでいる。そしてどの便もトランジットの時間が短い。定刻通りに到着したとしても2時間をきる。そして大概は定刻通りには到着しない。ということは、その時間は更に短縮されていく。今回も裏切ることなく大幅な遅れにより搭乗時間まで後15分しかないという事態である。

毎回のことであろうその事態は私の知る限り改善されていない。屋台のようなカウンターに物凄い数のトランジットをする人が押し寄せる。そして、皆に共通するのはとても急いでいるということ。初めてそれを経験する人はとりあえず空港職員にチケットを見せこう言う。「搭乗時間まで時間がない。急いでいるのだから早くしてくれ。」 無論彼らはそんなことは大したことではない。なんせ5つ位あるカウンターに人がいるのはせいぜい2人。大抵は1人であり、なぜか傍らでひとりは傍観し、たまにロシア語で怒る。私も初めての時は皆と同じ行動をとった。そして物凄く怒られた・・・ような気がする。なんせロシア語だから事実はわからない。そして、しまいには問題ないと言われ、その数分後には「急げ、走れ」と言われた。だから、もうおとなしく並ぶことにしたのだ。たとえそれで乗り遅れてもその時に考えることにした。

・・・ということで、まぁ心穏やかに並んでいるとセルビア人のおばあちゃまとナイジェリア人の男性に声をかけられたのである。