12/16/2009

「まちどおしい」

オリガ・モリソヴナの反語法 (集英社文庫)



ロシアをじっくりと旅したことはない。チェコはプラハだけ旅をしたことがある。プラハの宿で出逢ったロシア人4人組のおじちゃまたちとは、言葉も通じないのになぜか毎日酒盛りをした。私にとって初めて知り合ったロシア人であり、彼らのお酒の強さと愉快さと優しさに、ロシアが好きになりそしていつか彼らが住んでいるというミンスクに足を踏み入れたいと思っている。そしてその宿で働いていたチェコ人(たぶん・・・。)のお姉さんには可愛らしい子供がいた。一度、宿の上にある彼女の家に遊びに行ったことがある。その楽しかった記憶とともに、チェコ人が好きになった。

そして、私がロシアとチェコに導く最大の理由は、彼女の本である。彼女の本が久々に手にとった。彼女の本は全て読んでいたと思っていたのになぜかこの本だけは、タイトルだけしか浮かばず中身を覚えてい なかったのである。

全てのことが中途半端でありつつある最近。学生の時のような期限はない。宿題を何日までに提出するとか、読書感想文を何日までに提出とか、そしてそれまでに本を読まなくてはとか、そんな迫った期日などほとんどない。せいぜい、税金や確定申告の締め切りとかそんなことだけである。そういうことがなくなった今、私はなんともだらしがない人になってしまったようである。

興味のあることや、やりたいことも日々の生活に流されてしまっている状態。なんとなく過ごしている時間はあっというまに過ぎる。子供の時に時間が長く感じられるのはいろんなことを待っているからだとか。確かに、大人になり何かを「まちどおしい」と思うことが少なくなった。だからか、ものすごいスピードで時間が過ぎていく。

けれども、久々に手にとった彼女の本は私に「まちどおしい」という感覚を与えてくれた。朝の通勤の電車から始まった。分厚い本なので勿論朝の通勤だけでは終わらない。仕事の時間も早くお昼休みがこないか「まちどおしい」。午後の仕事も早く終わらないか「まちどおしい」。とにかく、少しでも読み進めたいと、信号まちでも本を広げてしまう状況。帰宅後、気づけば2時間が経過していた。

「まちどおしい」という感覚のよみがえり。自分の集中力に・・・嬉しくなり。まだまだいけると思いながら、日々の生活に流されてしまっている今の現状を打破していこうと、そう思ったのである。

12/15/2009

皆はどう考えるのか 2

早くに目が覚めたので、新聞をのんびりと読んでいると目にとまった記事。

「○○線、監視カメラ検討中。」

理由に挙げられていたのは、痴漢である。確かに、昔からこの電車は、よくこの理由で問題となっている。とうとう、監視カメラまで考えるほどの問題となっているようである。

最近、電車内で不快な思いをすることが多い。大抵、決まった時刻に決まった車両に乗るのだが、いつでも化粧をしている人がいる。同姓として、化粧をしなくては出勤できない・・・という気持ちはわかるが、ファンデーションから始まる姿から、周囲に対する申し訳なさは微塵も感じられない。

大きな音で音楽を聴く人も理解に苦しむ。確かに混雑した車内で少しでも快適に過ごしたいという気持ちはわかるが、その音楽を車内の全ての人が好むわけではない。音量をそこまで大きくしないと聞こえないのか、いつも「もう少し音量下げてもらえますか。」と言いたいけれど言えない自分にストレスを感じる。

携帯用ゲームのボタンを押すカチカチという音もストレスの原因である。朝の混雑した電車でそんなに頑張ってゲームをする必要があるのかわからない。貴方はゲームをしないからと言われてしまったら、何も言えないがやっぱりわからない。

今日も車内アナウンスは、携帯・ゲーム・音漏れ・痴漢・駆け込み乗車の注意で大忙しである。そして、アナウンスだけでは対処できなくなり、最終的にはどの電車にも監視カメラがつけられる日がくるのだろう。その日は遠くない未来かもしれない。

悪いことをしたら神様がちゃんとみているのよ。人に迷惑をかけるは一番悪いことなのよ、そんな風に小さい頃教えられた。

「お互い様だから」・・・そんなレベルではなくなってしまったようだ。今日も電車に乗るのが憂鬱である。

12/09/2009

皆はどう考えるのか。

逗子にて。


想像力はとても大事な道しるべにはなるが、最終的な決断を下すのに有効であるか考えてみると、首を縦にも横にも振り切ることができない。

最近、100歳を数年過ぎた方が逝ってしまった。日本酒が大好きであったその人は、100歳のお祝いで日本酒を飲みすぎて転倒し、骨折をした。その後も、飲み続けた結果、誤嚥をして肺炎にもなった。今回はそのようなエピソードで入院をしてきたわけではないけれど、入院2日後には回復の兆しをみせた。そのため、Dr達は、治療を開始したのである。

他人が人の命の期間を決めることなど許されることではない。それは誰しもが理解している、周知の事実である。その考え方で、この人のことを考えた場合、確かに延命することは間違いではないのかもしれない。けれども、私にはどうしてもこれでよかったと思えないのである。

最後に、大好きな日本酒で唇の乾燥をとってあげればよかったなぁって思う。・・・その思いは今も変わらない。20歳だから、50歳だから、80歳だから、100歳だから・・・というわけではない。でも、やっぱりベッドで眠り続け、沢山の管を挿入されるより、危ないとわかっていても大好きなことをして、その結果起こったことに、「ほらぁ、だから言ったでしょ。でも、美味しかったなら、楽しかったなら、そう、それが何よりね。」と言うほうがいいのではないかと思うのである。

ひとりでは動くことが困難な50代の患者。倦怠感があるからと言って何もしようとはしない。けれども、大好きなシャワーに入れると、たちまち元気になる。満面の笑顔で私たちを迎えてくれる。食事も普段はほとんど手をつけないのに、食べる。彼はシャワーに入ることで生きる気力をもつことができる。

いつも思う。人が元気になるために必要なものって、本当はこういうことなんだってことを。

「毎回、シャワーにいれてくれてありがとう。これで今日も元気に過ごせる。」

その言葉に私が元気をもらう。

12/03/2009

めくらやなぎと眠る女。

めくらやなぎと眠る女

運動不足なので歩くことにした。昔から走ることは苦手であるが、歩くことは好きである。仕事場から東京駅までは40分程度なので歩くことにしたのである。


途中に時計屋さんがある。ショーウインドウの時計に魅せられ、なんとなくドアを開けた。最近、大事な時計を無くした。ふたつの時計がついたその時計は、とても気に入っていたものだった。上の時計は日本に合わせ、下の時計は好きな国に合わせる。旅に出たときはその国に合わせる。常に日本にいる自分と異国にいる自分をもてる。だから、その時計が大好きであった。時計を無くしてしまい、新たな相棒を探している。けれども、ふたつの時計がついた時計はほとんど作られていない。この時計屋さんにもなかった。倉庫を探してくれ、メーカーにも問い合わせてくれた。でも見つからなかった。けれども、時計屋さんはメーカーの人がきたら探してもらうと言ってくれた。たったひとつの時計のために、たまたま入った時計屋さんが頑張ってくれた。ふたつの時計がついた時計は、この時計屋さんで購入しようと思った。

ある友人が言っていた言葉を思い出した。彼女は営業の仕事をしている。

「物を売るのではなく、自分を売るの。物を買ってもらうのではなく、自分を買ってもらうの。」

確かにそうだなぁって思った。


八重洲ブックセンターの前を通った。村上春樹の本が山積みにされていた。久々に短編集を手にとった。いつもは文庫本になるのを待つ。彼の作品だけは、文庫本になるのも図書館にリクエストを出すこともしない。早速購入した。