11/28/2009

何気なく。

何気なくみた風景、何気なく発した言葉、何気なく聞いた言葉、何気なく観た映画、何気なく読んだ本、何気なく歩いた道。

毎日の中で「何気なく・・・。」ということはとても多いように思う。その「何気なく・・・。」が思わぬ方向に向かうこともある。それはいい方向に向かうこともあれば、そうでないこともある。

友人の妹との長い同居生活に終止符を打った。何気なく思った、否なんとなくのほうがしっくりくるかもしれない・・・が、終止符を打とうと思った。期限があるわけでもなんでもないのに、毎日、どうするべきか考えた。なんとなく思った事は、なんとなくでは終わらなくなってしまった。結局、終止符を打つことにした。

仕事は、今のスタイルを来年にも持ち越そうと思っている。それでいいのかなんてわからない。でも、私にはまだRとLを確認して靴下を履く覚悟は決められなかった。

3月にまたひとり旅にでようと考えている。友人の住むグラナダを拠点にアンティーブまで足をのばそうか。ベトナムを電車で縦断しようか。貯めていた有休と公休を全て使い旅にでようと思う。旅をすることでいろいろなことが少しずつ変化する。その全ては、「何気なく・・・。」で始まっている。

今日は久々に喫茶店の仕事である。

11/18/2009

RとL

無印で販売している、「RとLが刺繍がされている靴下シリーズ」がお気に入りである。不思議なことにいつ履いてもRとLを間違えることはない。なぜだろうか。こうやって毎日沢山の事を選択して生きているのだろう。その選択には、この靴下のような刺繍はない。だから、間違っているのかわからない。わかる必要があるのかどうかさえもわからない。だから靴下を履くときのように、直感で生きていきたい。

師長に呼び止められた。内容は、12月に最終の就職試験があり、推薦状を書くので受けて欲しいので検討してほしいとのことであった。とても素敵な話である。けれども、どこかで、今の生活を変化させることに抵抗を感じている自分がいる。

一度自由になった自分には、RとLを確認して靴下を履くことが難しい・・・・。

返事は延期した。さて、どうするべきか。そろそろ、RとLを確認して靴下を履くべきか。もしかすると、そろそろ、そんな時期がきたのかもしれない。

11/05/2009

ベトナム・タイ、ひとり旅 Ⅹ


歩く、走る、バス、飛行機、車、同じ道であっても、同じ空であっても、それは自分が選択した手段で大きくかわる。ひとりで、ふたりで、それとも大勢で、それでもかわる。

一度、乗ってみたらまた変わったのかもしれない。でも、乗らなかった。否、乗れなかったのかもしれない。次、バンコクを訪れることがあったら乗ってみようかなぁ。

11/04/2009

ベトナム・タイ、ひとり旅 Ⅸ



元気な子供の姿に、元気をもらう。子供の無邪気さはどこにいっても変わらない。この頃に戻りたいと思うほどの記憶はない。思い出すことは、ブランコが好きで図書室が好きで、金曜日の縄跳びの日と体育の跳び箱の前日が憂鬱で仕方なくって、嫌々なった飼育係でにわとりのチャボが怖くて仕方なくって、後はなんだろう?  きっと私にもこんな時代があったんだろうなぁ。


パンとエスプレッソと

パンとエスプレッソと

本当は新宿経由のほうが、早いし安い。けれども、久々に以前住んでいた浜田山の前を通りたかったし、井の頭線に乗りたかった。ということで、吉祥寺・渋谷経由で表参道のこのお店に向かった。ここのパンはとても美味しかった。朝8:00から開いているのも魅力的であるし、値段と味も素敵である。どのパンも美味しく、久々にまた食べたいと強く思うパンに出会えた気がする。

お腹も気分も満足となり、雲ひとつない空の下を歩き銀座に向かう。タイのチェンマイが舞台である「プール」を観た。この映画に対しては辛口の批評が多いと言われたが、そんなことはどうでもよかった。日常の生活が淡々と過ぎていく。この映画には、スパイスはない。昆布と鰹節でとった澄んだダシのような映画である。

けれども、不思議と涙がでた。あまりに不意打ちの涙に自分でも驚いたし、今でもなぜ涙がでたのかわからない。プールサイドで4人がギターにあわせて歌を唄う・・・その光景に涙が流れた。

11/02/2009

Schindler's list

 

久々の休日、TVをつけるとSchindler's listが放映されていた。このまま観るか、それとも消すか悩んだ。結局最後までみた。久々に視界が遮られるほどの涙が溢れた。そういえば最近涙を流していなかったかもしれない。

普段、平和である生活を振り返ることなどない。そして私は、平和のない世界を知らない。衣食住に困ったことも、大病を患うこともなく、そして自分の死を覚悟するような出来事に遭遇したこともない。

Schindlerは言う。

本当のPOWERとは、許すことであると。

沢山のことを許し、そして許されて、その先に生きるためのPOWERを感じるのだろう。

ベトナム・タイ、ひとり旅 Ⅷ


きっとここの地の日常の光景なのだろう。けれども私にとっては非日常である。しばし、この光景を眺める。体操なのだろうか?最後までなにかよくわからなかったが・・・。


ただ、おばちゃんたちが列を作っているといえばそれまでであるが、なんだかこの光景が私には楽しくて仕方なかったのである。

ベトナム・タイ、ひとり旅 Ⅶ

大通りにもかかわらず、通りの半分を占拠してBUSをまつ人々。その無秩序な感じに心が一息つく感じを覚える。きっと東京で同じ光景を目にしたら眉をひそめるに違いないその光景に、安堵しているのだ。

意味のない鎖に何か安堵する。これ位でいいよねって、そう思う。本当は、もっと肩の力を抜いて生きていきたいと思う。けれども、東京ではそれは許されていないような気がする。

無秩序なものや無意味なもの、、、、いろんなことが微笑ましいなぁって思える心のゆとりがほしいと、最近よく思う。

そういえば、■には□のブロックを入れて、▲には△を入れて。そんなおもちゃがあったような気がする。■に□のブロックをいれることができるようになったら、■に△や○をいれてもいいのではないだろうか。誰も駄目なんだよなんて言ってない。結局自分がそこに違うブロックをいれることを躊躇しているだけなのだ。