6/26/2009

太宰とハーパー。


先日、母からこの本を借りた。太宰を読んだのは中学生の頃なので、すでに作品の内容すら覚えていない。当時の私には惹かれるものがきっとなかったのだろう。同時期に読んでいた、三島由紀夫やドストエフスキーは印象深いのに対して、彼の作品は私の心から消えていた。最近、太宰の作品が店頭を占拠しており朝日新聞でも太宰の読書感想文ならず、討論会のようなものが展開されていたため、やや気になっていた。
実家に帰った際に、母の本棚から2段読みのハードカバーの太宰の全集をみつけたのである。昭和44年頃の印刷であるその本からは、私の好きなあの独特の本のにおいがする。早速借りて、電車の中で読み始めたのであるが・・・・その衝撃といったらなかった。なぜ私は中学生の時以来、彼の作品を手にしなかったのか悔やまれてならない。それ位、彼の作品に一瞬で引き込まれていったのである。彼の独特の世界観、その哲学的な考え方は、まさに今の私の生き様にリンクするのだ。

こないだ発売された春樹の本を読むときも勿体なくて、ゆっくりと読んだ。彼の世界にずっと足を踏み入れていたかったから。だから、あえて私は何度も同じところを読み返しては考え、とてもゆっくりと彼の世界を堪能したのである。けれども、春樹は生きている。だから、これから先も彼の作品を読むことは可能である。しかし、太宰の作品はもうこれ以上増えることはないのである。そう思うと、ひとつひとつの作品を時間をかけて丁寧に読み進めていきたいとそう思うのである。

乗り換えの駅の構内にあるBarの黒板に「ハーパー始めました。」と書かれている。彼の作品はここで読もうと決めた。ハーパーを飲みながら、斜陽の世界にどっぷりとつかった。直治の世界に更にどっぷりとつかった。しばらくはそこから這い上がれず、ハーパーがそこにあることを感謝した。

電車から見上げた空があまりにも綺麗で途中下車した。改札をでたところからその景色を切り取ってみた。私がその景色を切り取ろうが誰も気にしない。世界はそれでも動いているのだ。その事実にしばし浸り、そして帰宅。今日はなんだか眠いのでもう眠りにつこうと思う。

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