6/17/2009

メールというツール。

今日は、遅番。なんだかよくわからないけれど、珍しく早朝からメールが沢山届く。それは普段メールを活用していない私にとってはとても珍しいこと。でも、どのメールも、これから仕事に行く私を楽しませてくれる内容で嬉しい。つい先日きたメールは寂しいメールであった。たまたま仕事に行く前に、PCを開きメールのチェックをしていたら届いたそのメール。本当に寂しかったし、一瞬よく意味がわからなかった。そしてあの時のことを思い出した。

何年か前に、ある友人から手紙が届いた。メールではなく手紙。勿論、彼の自筆である。便箋一枚にびっしりと書かれていたのは、君は僕に対しての愛情が他の友人に対しての愛情と比べて少ないように思う。それは何よりも、逢ってくれないことが証明している・・・というようなものであった。確かに思い起こしてみれば、他の友人とはよく遊んでいたのに彼とは誘われてもあまり遊びにいかなかったかもしれない。けれども、それは意図的なものではなく・・・なんだろうか、ちゃんと繋がっていると思っていたからだ。けれどもそれは結局のところ、口にしないがために彼には伝わらず。彼は私に対して、本当に自分達は大事な友人なのだろうか?と疑問を募らせ、手紙を書かせてしまう結果に至ったのである。そして、絶縁された。細かく言えば、こんな手紙を送りつけた僕など絶縁してくれて結構という内容であったのだが。

その時に考えた。同性に対して愛情を言葉で表現することの簡単さと、異性に対して愛情を言葉で表現することの難しさについて。同じ位の愛情を持ち合わせていて、同じ言葉で相手にそれを表現しても、異性となるとそこに性愛があるのではないかと捉えられる場合もある。性愛は持ち合わせていないのよと、言葉にするのはおかしいような気もするしそれを否定する上手な言葉がみつからない。

次に大事な友人ができたら、ちゃんと言葉にしようと思っていた。距離感と言葉を大事にしようと思っていた。けれども、今回もそれができなかった。今度は、ちゃんと言葉にすることが結局は同じような結果を招いてしまった。あぁ・・・言葉って難しいものである。私に絵や音楽やダンスの才能があれば、そういう芸術で相手に表現をしたいくらいである。

メールってやっぱりあまり好きではない。こういう時は手紙がいい。もしくは声がいい。メールというツールは同じ言葉をむけられるのでも、悲しさも寂しさも増してしまう。あの時、彼が手紙をくれたのは彼の精一杯の愛情だったのだと今更気づいたのである。確かに彼は旅先で逢ってからずっと大事な友人であったなぁとしみじみ、今回のことで思い出してしまったのである。

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