6/13/2009

働く場所にて。

最初の病院も次の病院も死に近い人の病棟にいた。自ら、Caという疾患を更に勉強したいと思ったからには、避けて通ることのできない道であった。けれども、自ら選択したその仕事よりもしたいことがみつかり、私の中で看護師とはお金を稼ぐための手段に変わりつつあった。けれども、この職業から遠ざかれば遠ざかるほど、私の中で死が近くなることを感じたし、生と死について、そして生きているのか生かされているのかという疑問をもつ機会も増えていった。そして、更にそこから私は離れていこうと必死であった。世の中にはこんなにも沢山の仕事があるのにも関わらず、なぜ私はこの職業を選択したのか全くわからなくなっていたし、疲れてもいた。この仕事はお金を稼ぐという理由だけで働くのは無理であると気づいたのは本当につい最近のことである。そして、それは、きっと私の中にずっとあったもので、ただそれに対して気づかない振りをしていたのだろう。そして、私はまたここに戻ってきたのである。

今は、旅に行く気分でもない。行こうと思っても国内でいいなぁと思う程度である。新しいところを開拓しようとも思えない。そして、そんな私がいろんな偶然で流れ着いたのがこの病院である。久々に肌で死が身近にあることを感じた。そして、私がするべきことはここにあるように思えたし、この先の方向もなんとなく見えてきた。私にとって、本来したかったことは結局、最初に足を踏み入れた領域であったのだ。でも、いろんなことを知り私の方向は大きく修正をしなくてはいけないほどぶれてしまっていたのだ。何年もかけてぶれてしまったものを、修正するには時間がかかるだろう。これからゆっくりと、体をもどしていこうと、そう思ったのだ。

その契機である患者さんがいる。私と同世代の彼女はあるCaによる転移でとても苦しんでいる。最初に出会ったときには発した言葉は「私、もう死んじゃうの?」。久々に耳にした言葉に様々な記憶が思い出された。そうやって、悲しそうに最期をむかえた人を沢山みてきた。その時の感情があふれ出しそうになり、必死で止めた。でも次の日は笑顔で私をむかえてくれた。「昨日はごめんなさい。調子が悪くてあんなこと言って。今日は笑顔を貴方に見せられてよかった。」と言い、体を拭かせてくれた。そして今日は、「貴方がやってくれるのなら、シャワーが浴びたいの。」と言って、シャワーをさせてくれた。そして、最後に「手を握っていて欲しいの。こんな歳になって甘えてるなんて恥ずかしいけど。」と言いながら・・・・。

患者さんは日常の風景としては特別ではない、食事や清潔・・・そんな、私たちが何とも思わず手にいれていることが、とても大変なのである。それを、少しでも大変であると感じないように援助をしていくのが私達の使命である。そういう、学生の最初に習う基本をここ何年かちゃんとできていなかったような気がするのだ。

この職業に就いて、患者さんから沢山の愛情をもらい、「貴方がいてくれてよかった。」と言われ、そこに自分の存在意義を見出していた。そんな素敵な職業に就けた事実をもっと大事にしていかなくてはいけないし感謝していかなくてはいけないのだ・・と、この病院で働き始めて、そして彼女に逢ってそう痛感したのである。

もうすぐ、逢えなくなってしまうかもしれない彼女が、自分の最期が近いことを知っている彼女が、笑顔で私を迎えてくれるということがどんなにすごいことなのか、もっと考えていかなくてはいけないと、そう思ったのだ。

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