6/08/2009

働くこと。

フリーで働いているメリットとデメリット、勿論両方持ち合わせている。どちらかだけということはどんなものをとってもないと思っている。

20代は自由でいることを人一倍望んでいた。けれども、その強く望んでいた「自由」とは何か考えることが多くなったのが30代である。「自由」には色もなければ、形もない。ひたすら自分の体と感情に問いかけて自分が「今私は自由である。」と思えば、自由なのであろう。「今私は不自由である。」と思えば不自由なのであろう。「自由」とは自分の中にあるスケールでしか測定することができないのだ。

新しい職場で働くことにいつまでたっても慣れない。新しい環境とは希望もあるけれど、それ以上に不安もある。ただ、長年フリーで働いていると、ここでは大丈夫かどうかという直感的なものを感じることはできる。その直感が間違っていなければ、今回の職場も大丈夫であろう。そう思いながらも、これから私の頭を巡るであろう、様々なことを思いいささか疲労を感じているのも確かである。

最近の新聞に「希望学」という言葉を見つけた。東大教授である玄田有史先生が書いたものであるが、その文章の中の一節が心をついた。

「働くことは自分を発見する手段になる。大きな希望が叶うこともあれば、失望が待ちうけることもある。同時に働くことは、たかが仕事をするという、ひとつの行為に過ぎない。自分がやらなくても、いずれその仕事は誰かがやるだろう。つまらないといえばつまらない。でもそう考えると、少し気持ちが楽になる。希望とは何かという問いにも、働く意味と同じく「これしかない。」という決まった答えはない。答えが定かではない問いを、意味がないと切り捨てるのか。それとも、わからないことこそ重要と受け止め、どっちつかずの状況を漂いながら、少しでもよい方向を求め、地道な行動をあきらめないか。」

そして彼は言う。
「努力が無駄になるのをおそれない人ほど希望をもてることを希望学は発見した。」

働く形態は様々である。フリーをいずれ抜け出し正職員になるかもしれない。もしかしたら働くことを休み、また旅にでるかもしれない。このままフリーでいつづけるかもしれない。

けれども今の私にさして働く形態など関係ない。老後について考えたとき、保険の種類に一抹の不安を覚えることもあるがそんなことはその時に考えることにした。だから今は、「働くこと」に希望を見出して、毎日を有効に使い生きることを楽しんでいきたい。

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