6/29/2009

What would you have done?




ナチスの犯罪を問う裁判。
What would you have done?

あの日、そうクラコフから電車に揺られていったアウシュビッツでの自分のとまどいを今でも消化できない。だから、この映画を観ようと思う。

Michael Jackson

http://www.youtube.com/watch?v=Zj9gbPyzXSw

彼の死に世界中の人が衝撃を受けている。けれども、私には遠い人である。勿論、存在は知っている。有名な曲を映像とともに聞けば彼だと認識はできると思う。だが、ラジオであったら、彼であると認識できるかは不安である。私にとっては、彼に対しての認識は世界の人が知っている歌手でありダンサーであるという一般的な知識に過ぎなかったのである。そんな私が彼のこの曲の存在を知りそしてそのPVをみて、胸が締めつけられ、彼のファンとなった。

メディアは死因について騒いでいる。確かに大事なことなのだろう。けれども、誰もが知っている。人は生き返ることはないと・・・。だから、今メディアがすべきことは彼が皆に訴えていた環境についてだったり、平和についてだったり、愛情についてだったり、そういう彼の全身からでていた思いを皆に伝え、共有し世界中の人で、地球を愛していくことではないかと、このPVを何度もみて・・・そう思ったのである。

6/26/2009

太宰とハーパー。


先日、母からこの本を借りた。太宰を読んだのは中学生の頃なので、すでに作品の内容すら覚えていない。当時の私には惹かれるものがきっとなかったのだろう。同時期に読んでいた、三島由紀夫やドストエフスキーは印象深いのに対して、彼の作品は私の心から消えていた。最近、太宰の作品が店頭を占拠しており朝日新聞でも太宰の読書感想文ならず、討論会のようなものが展開されていたため、やや気になっていた。
実家に帰った際に、母の本棚から2段読みのハードカバーの太宰の全集をみつけたのである。昭和44年頃の印刷であるその本からは、私の好きなあの独特の本のにおいがする。早速借りて、電車の中で読み始めたのであるが・・・・その衝撃といったらなかった。なぜ私は中学生の時以来、彼の作品を手にしなかったのか悔やまれてならない。それ位、彼の作品に一瞬で引き込まれていったのである。彼の独特の世界観、その哲学的な考え方は、まさに今の私の生き様にリンクするのだ。

こないだ発売された春樹の本を読むときも勿体なくて、ゆっくりと読んだ。彼の世界にずっと足を踏み入れていたかったから。だから、あえて私は何度も同じところを読み返しては考え、とてもゆっくりと彼の世界を堪能したのである。けれども、春樹は生きている。だから、これから先も彼の作品を読むことは可能である。しかし、太宰の作品はもうこれ以上増えることはないのである。そう思うと、ひとつひとつの作品を時間をかけて丁寧に読み進めていきたいとそう思うのである。

乗り換えの駅の構内にあるBarの黒板に「ハーパー始めました。」と書かれている。彼の作品はここで読もうと決めた。ハーパーを飲みながら、斜陽の世界にどっぷりとつかった。直治の世界に更にどっぷりとつかった。しばらくはそこから這い上がれず、ハーパーがそこにあることを感謝した。

電車から見上げた空があまりにも綺麗で途中下車した。改札をでたところからその景色を切り取ってみた。私がその景色を切り取ろうが誰も気にしない。世界はそれでも動いているのだ。その事実にしばし浸り、そして帰宅。今日はなんだか眠いのでもう眠りにつこうと思う。

6/25/2009

紫陽花。

久々に実家に帰った。同じ都内であり片道450円なのに帰らないのはなんだか親不孝な気がして、両親の顔を見にきたわけだが・・・。



庭いじりが大好きな母。最初に飛び込んできたのは紫陽花。この時期は雨ばかりで気分が滅入る。本当は水に感謝しなくてはいけないのに、傘をもつことの面倒さとか、服が濡れることだったりとか、洗濯物が乾かないことだったりとか、マイナスなことで毎日が憂鬱になる。そんなこの時期に紫陽花とカタツムリの存在がその憂鬱さを軽減してくれるのだ。

久々に晴れた今日は、母にもらった下駄を履いて近所をお散歩。今住んでいるところも大好きだけれど、やっぱり生まれ育った実家に勝るものはない。無条件で愛してくれる家族の存在と、しまりすの寅之助と桜、そして緑と青空と、いろいろなものに感謝できた今日は、素敵な休日であった。

そろそろ、梅雨があけて夏がくる。私にとっては夏は下駄の時期である。母にもらった下駄を履いてそろそろ家に戻ろう。

30年間の月日。


                                実家の縁側にて。
30年間の月日ってどんな長さなのだろうか。どんな重さなのだろうか。どんな色なのだろうか。どんな匂いなのだろうか。彼と彼女の楽しそうな笑顔をみていると、その月日に対して沢山のことを聞いてみたくなるのだ。

「30年ぶりに逢ったんだよ。大学の時に付き合っていたけど、彼女は他の人と結婚してしまいそれっきり。ここの喫茶店にはよく来ていたんだけど、まだあって嬉しくなって入ってみたんだよ。本当に嬉しいよ。」

頼まれたワインをもって行くと、そう嬉しそうに語るおじさまの笑顔に遭遇した。向かいにある彼女はその話を嬉しそうに聞いている。そして、私の方をみてこう話す。

「30年なんてあっというまに過ぎ去るものよ。だから毎日を大事に暮らしてね。本当にあっというまなんだから。」

ここで働くと毎回思うこと。ここには60年という歴史とともに沢山の人生が詰まっているんだなぁと。そこで働けることに幸せを感じ、そして普段感じることのできない人生を小窓から眺めることができることにも幸せを感じるのである。

30年後・・・そんな素敵な再会ができたら・・・。

6/19/2009

食堂かつむり。

食堂かたつむり


144ページより
「人は、いつも澄んだ気持ちなんかではいられない、と思う。みんな、濁り具合の程度こそあれ、心の中を満たしているのは泥水だ。どこかの国のお姫様だって、本当に憶測だけれど人には言えない汚い言葉が頭を過ぎる瞬間があるだろうし、牢獄で一生を過ごす死刑囚にだって、顕微鏡で何倍にも拡大しなきゃわからなくても、光に当たればキラッと輝く、宝石の欠片は存在すると思う。だから私はその泥水をきれいにするためになるべく静かにしていようと決めた。水の中で魚が動き周れば濁った泥水になってしまうけど、心穏やかにしていれば、やがて泥は下に沈み、上のほうはきれいな水になる。私はきれいな水でいたかった。」

 
上野の喫茶店「丘」でmachiさんを待つ。その時間はとても長く悲しく寂しく感じたようにも思うが、丘の何ともいえない雰囲気と作りたての生ぬるいバナナジュースが私の気分を高めてくれる。入り口の鈴が鳴る。ふっと横目でみるとmachiさんがそこにいた。最後にあってからまだ一ヶ月くらいしか経っていないのに、とても久しぶりな気がする。彼女とのそういう距離感が大好きである。

そして、久々に泣いた。彼女がそっと差し出してくれるハンカチを見ながら涙は零れ落ちていく。彼女という存在そのものが、いつでも私を何かから解放してくれる。

大好きな彼女から一冊の本を薦められた。彼女も大好きな人から薦められてこれから読むという。終わったら貸してあげるねと言われた。けれども、なんだかどうしても読みたくなり、否読まなくてはいけないような気がして、本屋さんで購入したのである。

お気に入りのソファで読み始めたら止まらなくなり、結局2時間かけて読み終えた。大粒の涙とともに。なんだろうか・・・この感覚。彼女の言葉は、ばななや春樹とはまた違う言霊が存在するのだ。ばななが恋の先生、春樹が人生の先生であるならば、彼女は友人である。それ位近い感じがしたのである。

最後の、母から娘への手紙の内容に心が熱くなった。やっぱり、生きるということは大変であるからこそ頑張らなくてはいけないくて、そのためにはもっと自分に自信を吹き込まなくてはいけないのだと。いいことよりも悪いことのほうが勝るこの世界で生きていくことはとても魅力的であると、その事実を忘れてはいけなかった。目の前にあるもので全てをはかるのではなくもっと広げていかなくてはいけないのである。そう、彼女のように、彼女の母のように、私も行きたいと思ったら地球の反対側に突然行けるエネルギーを持ち合わせているのだ。だから大丈夫。

この本は素敵すぎました。涙を流してすっきりして、今は「角」をロックで飲みながら、そろそろ眠りにつこうと考えています。machiさん紹介、有難う。

228ページ
「本来なら、物事が全て解決したかのようにみえるはずなのに、後悔は、小骨のように私の喉の奥にひっかかったまま、落ちていこうとしなかった。」

6/18/2009

多忙。。。

失恋は新たな恋で癒すというのが、一般的な話。こじつけではなく、本当な気がする。では、友人を喪失した場合はどうするべきか。この哀しみも寂しさも、どうすればいいのか。



やっぱりその傷は大事な友人たちが癒してくれる。喪失した日以来、昼間は仕事に励み夜は友人たちを感じる。そして、毎日少しずつその事実を受容していく。



このある種の多忙な日々はまだ続く。普段、なかなか逢えない友人たちと逢える日々。サルサにまで行った。友人を喪失したのは大事だったからこそ悲しいけれど、その友人に感謝するべきなのだろう。本当は旅の別れのように私のもとから去ってくれたらよかったのにって、思っている。そういえば最近連絡がこないけれど、メールの返事もこないけれど、元気かしら?便りのないのは元気な証拠っていうからきっと元気ね。いつかまた縁があれば逢えるはず。・・・・そんな別れが本当はよかったけれど。



でも、こんなにも大事な友人たちに毎日逢うきっかけを作ってくれたのだから、本当に有難う。もし、また逢えることがあったら一言だけ言いたいなぁ、有難うって。

6/17/2009

メールというツール。

今日は、遅番。なんだかよくわからないけれど、珍しく早朝からメールが沢山届く。それは普段メールを活用していない私にとってはとても珍しいこと。でも、どのメールも、これから仕事に行く私を楽しませてくれる内容で嬉しい。つい先日きたメールは寂しいメールであった。たまたま仕事に行く前に、PCを開きメールのチェックをしていたら届いたそのメール。本当に寂しかったし、一瞬よく意味がわからなかった。そしてあの時のことを思い出した。

何年か前に、ある友人から手紙が届いた。メールではなく手紙。勿論、彼の自筆である。便箋一枚にびっしりと書かれていたのは、君は僕に対しての愛情が他の友人に対しての愛情と比べて少ないように思う。それは何よりも、逢ってくれないことが証明している・・・というようなものであった。確かに思い起こしてみれば、他の友人とはよく遊んでいたのに彼とは誘われてもあまり遊びにいかなかったかもしれない。けれども、それは意図的なものではなく・・・なんだろうか、ちゃんと繋がっていると思っていたからだ。けれどもそれは結局のところ、口にしないがために彼には伝わらず。彼は私に対して、本当に自分達は大事な友人なのだろうか?と疑問を募らせ、手紙を書かせてしまう結果に至ったのである。そして、絶縁された。細かく言えば、こんな手紙を送りつけた僕など絶縁してくれて結構という内容であったのだが。

その時に考えた。同性に対して愛情を言葉で表現することの簡単さと、異性に対して愛情を言葉で表現することの難しさについて。同じ位の愛情を持ち合わせていて、同じ言葉で相手にそれを表現しても、異性となるとそこに性愛があるのではないかと捉えられる場合もある。性愛は持ち合わせていないのよと、言葉にするのはおかしいような気もするしそれを否定する上手な言葉がみつからない。

次に大事な友人ができたら、ちゃんと言葉にしようと思っていた。距離感と言葉を大事にしようと思っていた。けれども、今回もそれができなかった。今度は、ちゃんと言葉にすることが結局は同じような結果を招いてしまった。あぁ・・・言葉って難しいものである。私に絵や音楽やダンスの才能があれば、そういう芸術で相手に表現をしたいくらいである。

メールってやっぱりあまり好きではない。こういう時は手紙がいい。もしくは声がいい。メールというツールは同じ言葉をむけられるのでも、悲しさも寂しさも増してしまう。あの時、彼が手紙をくれたのは彼の精一杯の愛情だったのだと今更気づいたのである。確かに彼は旅先で逢ってからずっと大事な友人であったなぁとしみじみ、今回のことで思い出してしまったのである。

6/15/2009

お気に入りの雑誌。

最近とても気にっている雑誌がある。それは「GINGER」。30代の女性の内面を磨き、そして外見・・・というコンセプトのようである。友人に薦められて以来、発売日を手帳に記載して隣町の図書館まで読みに行くのが月に一度の楽しみである。

なんといっても、佐藤優・茂木健一郎・山田詠美が連載しているなんて、すごい!私の好きな人たちが、私の好きなテーマで語ってくれるなんて夢のようである。

山田詠美は言う。

「ある程度の年齢を重ねてきた女が目指すべきは、磨く女ではなく、磨かれた女である。年月や経験が外の世界から引き寄せた、かけがえのないやすりに身を委ねた人のことだ。時には、一冊の本が、そのやすりの役目を果たすこともある。あるいは、音楽・映画のときもある。けれども、最も有効なのは、人である。出逢うべくして逢った人が、あなたを磨きあげる筈だ。それは両親かもしれない。友達かもしれない。仕事仲間のこともあるだろう。恋心を感じた相手なら、それが旅先の出逢いでも役に立つ。深く愛し合う人に恵まれたなら、付けられた傷ですら、カラット数を増すものになる。本当の意味で人を磨くのは、他者の手である。自分の意識していないところで。もしかしたら、今も、貴方は磨かれているかもしれない。」

6月に入って、目まぐるしい勢いで周囲が変化している。それは、私にとって最終的にはきっと素敵な方向に向くのかもしれない。けれども、今はそのスピードについていくことができない。職場が変わった。けれども、とても素敵な職場に恵まれたのでそこは安堵。だから前の病院に別れを告げられたことを感謝しなくてはいけないし、今はとても感謝しているのである。後は、、、友人だと思っていた人に裏切られた気がする・・・でもそれは、今後彼女が私の友人の中にいることが私の中でプラスに向いていかないから、早くに誰かが教えてくれたに違いない。そういうことにしようと思うし、そうなんだと思う。もうひとつは・・・・一言で言えば寂しい出来事があった。それについては後日書くことにして。

大変、久々にサルサに行く日なのにもうこんな時間だ。沢山踊って、笑顔でいれば、笑顔になれる人生が待っているはず。さて、いってきます。

good bye♪

追伸、
ただいま帰って参りました。外は、大雨・そして大嫌いな雷のおまけつき。勿論、家の雨漏りはいつもどおり。でも、気分はすっきり。久々にサルサを楽しんだ。いろんな人と手をつないだ。性別など関係なく。ひとつの音楽が終われば、次の人と踊る。それがサルサ。音楽に合わせて、何も考えず、ひたすら目の前で手を合わせ踊る。その時は相手しか見えない。ふたりの空間。そして、また違う人のもとに行く。私はそんな距離感が好きである。でも、この距離感はサルサから一歩外にでると、理解されないものなのだろうか。親友とサルサで温まった心と体を共有して、いろんなことを話した。とても短い時間であったけれどそれは有意義なものであった。先生の「何も考えないで、音楽だけを聞いて、そして相手とただ踊るんだ。」との言葉が今日は胸にくる。そう、何も考えないで、やりたいようにいきたいようにしたいように生きる。それが、本当は私が望んでいる最高の生き方。けれども、その最高の生き方は強くなければできないのかもしれない。神様は同じ人間を作らなかった代わりに、同じ思いを共有し、前に進むための道具として、想像力・・・思いやりとか諦めとか受容とかありとあらゆる感情をうえつけてくれたのかもしれないのだ。だから、その植えつけられたものを全て振り落とし、私は私、相手より私。そんな強い自分になることはきっと一生かかってもできないのだろう。仮に、それが強さであるとしたら。だから、私は最高の生き方を理想としながらも、普通の生き方をしていこうと思う。時として、強さは弱さの裏に存在する。否、時としてではない、いつでも表と裏のどちらかに存在するのだろう。きっと、本当の理想は表と裏を上手く自分の中でコントロールして、人生のバランスをとることなのだろう。

来週もまたサルサに行こう。そして、久々に金沢にサルサ仲間に逢いにいかなくては。金沢が大好きな親友と、急行能登で行く約束をして家路に着いた。今日も素敵な一日であった・・・雷と大雨がなければもっと素敵な一日だったけど。。。

6/13/2009

忘れないように。

元気を出してと言いながら、お姉ちゃまは言う。

「宿命は変えられないのよ。自分が女であるとか日本人であるとかそういう事実はね。でも運命なんていくらでも自分の努力で変えられるのよ。決して、今の環境が全てではないのよ。今の環境は作られたもので、ひかれてしまったレールで、もうそこからでることはできない・・・なんてことは絶対にないのよ。少しでもその環境が自分にとって違うと思えば努力すればいいのよ。そこに、いい意味でも悪い意味でも甘んじていてはいけないのよ。自分で変えなさい。努力しなさい。脱しなさい。運命は自分次第よ。いいじゃない、今までのことが間違っていたとしても今それに気づいたら、それでいいのよ。気づいた時が頑張るときなのよ。今を逃したら、一生その運命から逃れられないかもしれない。だから、気づいたときになんでも頑張りなさい。」

お姉ちゃまの大事な友人が最近発病し、仕事を休職したのだとか。その病名を聞いて悲しくなった。私の記憶が確かであればその病名は特定難病疾患に指定されている。予後は不良。10万人に8人位にしか発症しない。歳を聞くと私とほとんど変わらない。彼女が宿命と運命の話を悲しそうにそして力強く私に言ったのは、こういう背景も関係しているのかもしれない。

心の風邪をひいた人にしみじみ言われたことを思い出す。「健康はお金で買えないよね。買いたいものはなにひとつお金では買えないんだよ。健康だって、愛だって、信用だって、なんだって。だからお金になんて価値は見出せないよ。」


忘れないように、ここに書いておこう。

ドキュメンタリー

新聞で知って以来、気になっているドキュメンタリーが明日公開される。普段はひとりで映画を観るのが好きである。でもこの作品は誰かに一緒に行ってもらいたい。でも、観に行こうって言ってくれる人がいるだろうか・・・。

チョコラBB

今日は、あの人になんとなく逢いたかった。自分の仕事は終わり、今日はまっすぐ家に帰ろうと思ったけれど、ここ最近のことがなんとなくのどにひっかかったままだったので、やっぱりあの人に逢いたいなぁって思い、電話をしてみた。大丈夫であった。あの人は私が必要とするときに必ず逢えるのだ。いつもの東京駅のホンダgolfの裏の小さな喫茶店で待ち合わせをした。いつも温かく迎えてくれる80近いおばあちゃまにいつもの人と待ち合わせをしていると告げると、じゃぁ注文はお待ちの人がきたらねと優しく声をかけてくれる。ただそれだけの言葉が落ち着く。待っている間、ひどくなった口内炎にケナログを塗っていると、声をかけられる。「私もよくなるのよ。」と・・・。そんな他愛もない話をしているとあの人はやってきた。本当は珈琲が飲みたかったけれど、口内炎が痛いのでアイス珈琲にした。ひとしきりお話をして結局閉店の8:00まで居てしまった。お会計の時に、おばあちゃまがナプキンに大量のチョコラBBを包んで渡してくれた。「これを一日2回飲めば良くなるから。」・・・そんなふいをつかれた優しさが、あの人に逢えたことと同じくらい嬉しい。やっぱり、人ってあたたかいのだ。そう、あったかい・・・。



帰りに日本橋まで歩き、こんなサルを見つけた。あの人が会社の同僚から教えてもらったのだとか。おそろいで携帯につけようよと言われ、そういうことは嫌いなはずなのになぜか、うん、と言い購入。早速つけてみた。名前はハルキにした。このecoサルはなかなか可愛い。おそろいも時にはいいもののようだ。貴方は彼女のようなもんだしね。と言われ満更でもいないが、やっぱりそれは異性から言われたい、、、そんなことはない、同姓から好かれるなんて本当に嬉しいものである。お姉ちゃま、今日も有難うございました。




働く場所にて。

最初の病院も次の病院も死に近い人の病棟にいた。自ら、Caという疾患を更に勉強したいと思ったからには、避けて通ることのできない道であった。けれども、自ら選択したその仕事よりもしたいことがみつかり、私の中で看護師とはお金を稼ぐための手段に変わりつつあった。けれども、この職業から遠ざかれば遠ざかるほど、私の中で死が近くなることを感じたし、生と死について、そして生きているのか生かされているのかという疑問をもつ機会も増えていった。そして、更にそこから私は離れていこうと必死であった。世の中にはこんなにも沢山の仕事があるのにも関わらず、なぜ私はこの職業を選択したのか全くわからなくなっていたし、疲れてもいた。この仕事はお金を稼ぐという理由だけで働くのは無理であると気づいたのは本当につい最近のことである。そして、それは、きっと私の中にずっとあったもので、ただそれに対して気づかない振りをしていたのだろう。そして、私はまたここに戻ってきたのである。

今は、旅に行く気分でもない。行こうと思っても国内でいいなぁと思う程度である。新しいところを開拓しようとも思えない。そして、そんな私がいろんな偶然で流れ着いたのがこの病院である。久々に肌で死が身近にあることを感じた。そして、私がするべきことはここにあるように思えたし、この先の方向もなんとなく見えてきた。私にとって、本来したかったことは結局、最初に足を踏み入れた領域であったのだ。でも、いろんなことを知り私の方向は大きく修正をしなくてはいけないほどぶれてしまっていたのだ。何年もかけてぶれてしまったものを、修正するには時間がかかるだろう。これからゆっくりと、体をもどしていこうと、そう思ったのだ。

その契機である患者さんがいる。私と同世代の彼女はあるCaによる転移でとても苦しんでいる。最初に出会ったときには発した言葉は「私、もう死んじゃうの?」。久々に耳にした言葉に様々な記憶が思い出された。そうやって、悲しそうに最期をむかえた人を沢山みてきた。その時の感情があふれ出しそうになり、必死で止めた。でも次の日は笑顔で私をむかえてくれた。「昨日はごめんなさい。調子が悪くてあんなこと言って。今日は笑顔を貴方に見せられてよかった。」と言い、体を拭かせてくれた。そして今日は、「貴方がやってくれるのなら、シャワーが浴びたいの。」と言って、シャワーをさせてくれた。そして、最後に「手を握っていて欲しいの。こんな歳になって甘えてるなんて恥ずかしいけど。」と言いながら・・・・。

患者さんは日常の風景としては特別ではない、食事や清潔・・・そんな、私たちが何とも思わず手にいれていることが、とても大変なのである。それを、少しでも大変であると感じないように援助をしていくのが私達の使命である。そういう、学生の最初に習う基本をここ何年かちゃんとできていなかったような気がするのだ。

この職業に就いて、患者さんから沢山の愛情をもらい、「貴方がいてくれてよかった。」と言われ、そこに自分の存在意義を見出していた。そんな素敵な職業に就けた事実をもっと大事にしていかなくてはいけないし感謝していかなくてはいけないのだ・・と、この病院で働き始めて、そして彼女に逢ってそう痛感したのである。

もうすぐ、逢えなくなってしまうかもしれない彼女が、自分の最期が近いことを知っている彼女が、笑顔で私を迎えてくれるということがどんなにすごいことなのか、もっと考えていかなくてはいけないと、そう思ったのだ。

6/11/2009

サガン

高校生の時に彼女の作品を読んだ。それっきりである。でも今もう一度、彼女の作品を手にしようかとこの予告編をみてそう思った。

「自由とは何だ?」彼女はこう答える。「定義したら自由ではない。」そんな彼女の生き方に今なら共感ができ、そして羨望。

日曜日。

日曜日は久々に一日のお休みであった。その日曜日を勉強に費やすか、図書館で費やすか、考えた。そしてその両方を止め、喫茶店の友人に遊んでもらうことにした。稲荷町で待ち合わせをして、彼女の友人のフリーマケットに行った。そこで、素敵なピアスを3つ購入。何と300円。なんだか嬉しくなる。体に見につけるものが大好きであり、ピアスもネックレスもユビワも沢山持っている。それをその日の洋服と気分に合わせるのが、お出かけ前のひとつの楽しみなのである。だから。また選択の幅が広がったことが単純に嬉しい。

上野にでた。目的は「喫茶店 古城」交番で場所を聞くと、置くから長老のようなおじちゃんが勇んでやってきて得意げに教えてくれた。きっと、おじちゃんは古城の常連に違いない。そういう妄想が好きである。おじちゃんの言うとおりに行くと発見した。けれども、お休み・・・がっくり。気を取り直して次のお店を考える。行き当たりばったり決めたお店は「喫茶 いしはら」。ここのおじちゃんがまた面白い。人間観察って本当に飽きないものである。そこで、軽食をとり次に向かったのは浅草。

彼女が昔働いていた神谷バーに連れていってもらう。そこで、ひとりのおじちゃまを紹介してもらい、彼の休憩時間まで、アンジェラスというお店の3階でひたすら話す。彼女はいつだって私の話を楽しそうに聞いてくれるから、ついついいつも以上いおしゃべりな私が出来上がってしまう。・・・と電話が鳴る。おじちゃまからである。一緒に甘味処に入る。そこでは、神谷バーの常連であるというとても仲のよい夫妻と合流する。そして、とても料理の美味しい飲み屋さんに連れていってもらう。初めて逢った夫妻との時間はとても楽しいものであり、最後には沢山のお土産まで持たしてもらい、切符まで買ってもらってしまった。そしてお別れ。夫妻の姿をみていると結婚して、老後をこんなふうに毎日供にするって一番の幸せではないかと思った。二人の笑顔にはとてつもないエネルギーがある。

また、上野にもどり帰る前にどうしても寄りたいところを探すことにした。それは「喫茶店 丘」である。昔からこのお店を探せたことがない。今日は彼女とどうしても行きたかった。お店に電話をして案内をしてもらうことにした。とても親切な店員さんは、お店の目の前まで駅からのカーナビの役をしてくれたのである。無事に着いた「丘」は予想以上にしっくりくるお店であり、その中にいる店員さんもお客さんも素敵であり、昭和初期にタイムスリップしたようなその空間で彼女とひとしきり話し、そしてぼーっとして、丘を後にした。

お休みの日曜日はとても充実しており沢山の人に出会い、大満足な日であった。ちょっとした嫌なことも、今日という日で終わりにした。さて、明日から新しい職場が待っている。リセットとしては完璧である。

朝、仕事に行こうとすると同居人がお布団から顔を出してこういった。
「昨日ねトイレぴかぴかにしておいたから、これで運気は上がったはず。今度の職場は大丈夫よ。」

いつも有難うね、同居人。

6/08/2009

許し。

とっても嫌な気分になる出来事があった。

人に何かを与えたとき、(それは物とかそういうことではなく感情レベルでの話であるが)見返りを求めてるわけではない。勿論「有難う」と言われればそれはとても嬉しいことであるが、言葉も物も特にいらない。その人が優しい気持ちを他の人に送ってくれればそれで充分である。そうやって、私も沢山の人から無償の優しさをもらい、なんとかここまで生きてきた。だから、そういう生きる上での優しさの流れというものは当然止まることなどないと思っていた。もし、少しの間止まったとしても、再開すると思っていた。けれども彼女はその流れを逆にした。逆流させたのである。そんなひどいことはない。もうそんなことはないと思っていた。迂闊だったのか。そう信じたくないがそうなのだろうか。彼女はどうやら、優しくない人間であったようだ。

心の風邪をひいた人のもとに行っていると思うことがある。人間の悩みの大半は「お金・男・女・家族」であると・・・。そこに問題がないときは、平凡に生きることが可能である。けれども、自分が当事者ではなくともその渦に巻き込まれると大変なことになる。

「この世は不条理で満ち溢れている。」

この言葉はなるべく思いだしたくなかった。でも思いださずにはいられなかった。そして悲しくなった。彼女にとって、女友達など必要なかったのである。必要があるとすれば、それは自分に甘える異性がいなくなり寂しくなった時だけ。若ければ許されるのかもしれない。誰でも通る道なのかもしれないから。けれども、もうわかってもいいのではないか。友人とこの空のどこかでつながっていないと、生きていくのは辛いんだという、そのあまりにも簡単なはずの事実を。

あまりにも、友人から聞いた事実に唖然として美味しいはずのお料理もあまり進まず、お酒をいくら飲んでも酔えず、なんでそんな事になっているのか全く私には理解できず、帰宅する道すがら同居人にメールをした。起きて待っていてくれた彼女に全てを話し、なんだかもういいやという気分になった。そんなことより区民税の高額請求で頭をいっぱいにすることにしたのだ。

やっぱり、私には友人が必要であり大事な存在である。同居人を前にしてしみじみと思ったのである。彼女はいつか気づくのか、それとも気づかないのか。でもそれは、生きる価値観の相違であり私は彼女に生き方の強要をすることはできない。だから、もう彼女との関係は終止符を打つということで全て忘れることにした。

経済評論家であり公認会計士である、勝間和代さんの言葉を新聞で見つけ、今の自分に向けられているのではないかと、早速切り抜いた。 そこには、こう書かれていた。

「許しには、力がある。」
私たちが生きていくうちに、どうしても自分が被害者だと感じること、あるいは、自分がいわれもなくひどい目にあったと思うことが折々にあります。そんな時にその事柄や、または、そういった不利益をもたらした相手にあまりにも固執していると、「被害者意識」に捉われ、それが将来への呪縛となり、身動きがとれなくなってしまいます。しかし、そんな時に相手や、そうなってしまった自分を許すことで、将来を考えることができるようになり、悪影響から逃れられます。(中略)相手を許すことは自分を許すことでもあり、将来に向かって、新しいチャレンジをする力にもなります。「許しの力」を日々の習慣にし、生活の中で活用してみれば、身の回りの風景がまったく違って見えてくるはずです。

働くこと。

フリーで働いているメリットとデメリット、勿論両方持ち合わせている。どちらかだけということはどんなものをとってもないと思っている。

20代は自由でいることを人一倍望んでいた。けれども、その強く望んでいた「自由」とは何か考えることが多くなったのが30代である。「自由」には色もなければ、形もない。ひたすら自分の体と感情に問いかけて自分が「今私は自由である。」と思えば、自由なのであろう。「今私は不自由である。」と思えば不自由なのであろう。「自由」とは自分の中にあるスケールでしか測定することができないのだ。

新しい職場で働くことにいつまでたっても慣れない。新しい環境とは希望もあるけれど、それ以上に不安もある。ただ、長年フリーで働いていると、ここでは大丈夫かどうかという直感的なものを感じることはできる。その直感が間違っていなければ、今回の職場も大丈夫であろう。そう思いながらも、これから私の頭を巡るであろう、様々なことを思いいささか疲労を感じているのも確かである。

最近の新聞に「希望学」という言葉を見つけた。東大教授である玄田有史先生が書いたものであるが、その文章の中の一節が心をついた。

「働くことは自分を発見する手段になる。大きな希望が叶うこともあれば、失望が待ちうけることもある。同時に働くことは、たかが仕事をするという、ひとつの行為に過ぎない。自分がやらなくても、いずれその仕事は誰かがやるだろう。つまらないといえばつまらない。でもそう考えると、少し気持ちが楽になる。希望とは何かという問いにも、働く意味と同じく「これしかない。」という決まった答えはない。答えが定かではない問いを、意味がないと切り捨てるのか。それとも、わからないことこそ重要と受け止め、どっちつかずの状況を漂いながら、少しでもよい方向を求め、地道な行動をあきらめないか。」

そして彼は言う。
「努力が無駄になるのをおそれない人ほど希望をもてることを希望学は発見した。」

働く形態は様々である。フリーをいずれ抜け出し正職員になるかもしれない。もしかしたら働くことを休み、また旅にでるかもしれない。このままフリーでいつづけるかもしれない。

けれども今の私にさして働く形態など関係ない。老後について考えたとき、保険の種類に一抹の不安を覚えることもあるがそんなことはその時に考えることにした。だから今は、「働くこと」に希望を見出して、毎日を有効に使い生きることを楽しんでいきたい。

6/05/2009

精神。

看護学校時代の友人から10年ぶりに連絡がきた。それは、病院へのお誘い。私の通っていた学校は日本最大規模の心も風邪をひいた人たちの病院である。彼女はそこで働いている。最近、新たに病棟を立ち上げるのに人がいないのだとか。「正職員にならない?」との言葉にどこか心惹かれる。

同僚の代わりに仕事を延長し、12時間もの間心の風邪をひいた人たちと一緒に居た。普段は6時間であるから2倍の時間を供にしたことになる。人は夜になるにつれて不安が増強するようだ。焦燥感・幻聴・不安・希死念慮・・・様々なものがその場に渦巻き始める。その渦中に久々に身をおいた私は、生きていることの脆さに直面する。

春樹さんの新刊にでてくる言葉を思い出す。
「見かけにだまされないように。現実というのは常にひとつきりです。」

脆弱な人たちはこの世界で生きて行くことができないのだろうか。そうではないかもしれないけれど、現実にはとても難しいものであると思う。この世界で生きていくには、見かけにだまされることが重要である。現実など見る必要はない。深く考えてはいけない。耳を研ぎ澄ましてはいけない。目を凝らしてはいけない。春樹さんの言うように現実は常にひとつきりであり、そのひとつきりの現実に気づいたときに人はふたつの道のどちらかに進んでいくのだろう。そんなことを、希死念慮にとりつかれてパニックになった人の手を握りながら、その強く握り返された力に何かを感じ、そして思ったのである。


脆弱である私が、仕事でも日々その渦中に身をおくことはとても危険を伴うことなのかもしれない。見かけにだまされることができない私が、ふたつの道に直面したときにどちらの道を選択するのかはわからない。けれども、少しでも危険が伴うと体が察知しているのであれば、なるべく回避していきたい。だから、彼女からのお誘いはしっかりと考えてから結論をださなくてはいけない事なのだろう。

6/03/2009

悲しみ。

世の中には、表にでる悲しみと裏にある悲しみがあると思う。

飛行機が墜落した。200人以上の人を乗せたまま。そこにはどれほどの悲しみがあるのだろうか。自分という人間が生きてきた中でどれほどの人と出会い、そして今も尚自分と関係している人はどれくらいいるのだろうか。人はひとりでは生きられないという事実がある以上、飛行機の乗客、乗務員の数の何十倍、否それ以上かもしれない。そこには計り知れない悲しみが存在する。

仕事先で会った人は、とても元気がいい。こんなにもお話好きな人は珍しいと思うほど、絶え間なくお話をする人である。さすがの私も驚き、そしてちょっとくたびれてしまった。でも、4人の子供を持つ彼女から発せられるPOWERに元気をもらった気がした。2度目に彼女に会った時にこんな話をしてくれた。

「365日、休むことなく働いているの。今日もこの仕事が終わったら2時間後には次の仕事に行かなくてはいけないの。なんでこんなに働いているかというとね、4人の子供の中に障害児がいるのよ。その関係で、ある作業所を運営していたの。ある日ね、不幸があってお通夜にでたときに、少しの時間車に貴重品を置いておいたのよ。そしたら車上荒らしに遭遇してしまったの。」

彼女はその15分の間に何千万もの借金を背負うことになったんだとか。それからは、返済に負われて働きづめであるのだと・・・。

犯人は少年達であり、他にも被害者は沢山いたとのこと。現在は少年院に入っている、その少年達に手紙を書いたと、彼女は言う。

「貴方達は軽い気持ちで行ったのかもしれない。けれども、それによって人生を大きく狂わされた人がいることを考えてみてください。少年院を出てきたら、たったひとりでもいいから誰かに貴方がいてくれてよかったと感謝されるような生き方をしてくださいね。」

その話に耳を傾けながら、考えてみた。もし、自分が彼女の立場であったらどうなるのかを。果たして、私は自分の人生を狂わせた人達にそんな優しく強い言葉をかけることができるだろうか。そして、笑顔でPOWERみなぎる生き方をできるだろうか。

新聞を読みながらふっと思った。世の中には、NEWSにならない悲しみが喜び以上に溢れているのかもしれないと。そして、私はその中で生きているのだと。

生活の変化。

人は夜中に起きているものではない。それは、私の家が早寝早起きを遂行していたからかもしれないが、いつでもそう思っている。夜中は、私をダメにする。思考に回路があるとすれば、その回路が迷子になってしまうのである。必ずといっていいほど。迷子が私を素敵な道に導いてくれるのであるならいいのだが、違うのである。素敵とは程遠いところに私を置き去りにする。

けれども、仕事上夜中に働くことは仕方ないことであった。やりたいことが山積みであるとどうしても、夜中に働いて、昼間を有効活用するという形を選択肢から選びとってしまうのだ。

そんな私にひとつの転機が訪れた。最初はなんだか腹が立って仕方なかったけれど、考えようによってはその提示はいいように思えた。

喫茶店で働いていたら、突然右手が震えだした。1時間もの間震えている手をまるで自分の手ではないように眺めながら、思った。あぁ、とうとう駄目かもしれないと。

いつもそうである。大きなストレスに自分で気づけない。だから、仕方なく体が私の感情に信号を送ってくれる。ジベルバライロヒコウシンに罹患した時も、骨盤腹膜炎に罹患した時も、胃潰瘍に罹患した時も、持続的な編頭痛に悩まされた時も。それは、「貴方は気づいてないかもしれないけれど、お休みが必要なのよ今。」との信号であるようだ。

手の振戦はきっと信号である。そういえば、最近沢山の出来事が私の周りで起きていた。当事者ではないのに疲れてしまっていた。そして、最後に自分にも降りかかってきた。それは、もういい加減気づかないわけにはいかない所まできていたのだ。でもそれを認めることは、なんだかできなかった。認めた瞬間に自分の壁が壊れてしまいそうな、そんな気がしたから。

でも、もう壁など壊れてもいい。だって、また修復すればいいのだから。だから、私は夜中は眠ることにした。迷子になっている場合ではないのだ。


彼女と彼女と・・・。

高校時代の思い出はそれほどない。あるのは、バイトの記憶ばかりである。でもひとつだけ鮮明に思い出す記憶がある。私はバイトがないと、友人ふたりと渋谷から少し歩いていくとある、青学前の地下に存在するマックに居た。3人でなにをするわけでもなく、何を話すわけでもなくアイスティを飲みながら一緒にいた。私たちに必要だったのは何かをすることではなく、そこに一緒にいるということであったのだ。一緒にいるという事実が自分を安心させたのかもしれない。


昔から、友人は多くない。それは、一見すると人にはわからない。なぜか、友人が沢山いる印象を与えるようである。けれども、それは間違った印象である。私には友人と呼べる人が数えられる位しかいない。それを、特に悲観しているわけではない。不器用である私には、沢山の友人を持つことはできないのである。それが、私に友人が少ない理由である。

けれども、高校時代に私に絶対的な安心感を与えてくれた彼女たちとは今も友人であり親友である。刺激的な友人で周りを埋め尽くしている私にとって、彼女達は刺激的ではない。sayaちゃんはOL2年目で職場結婚をして、3人の子供を育てる専業主婦である。huyuちゃんは絶対に30歳までには結婚するのと婚活が流行る前から婚活に精をだし、その目標の通り29歳で結婚し、現在妊娠中である。

私とは大きく生活パターンが異なる彼女達。でも、根っこにはられているものは出逢った時から変わらない。そんな彼女たちは私に刺激を与えてくれるわけではない。けれども、私の人生にとって大きな位置を占め、必要な存在であり、私という存在を丸ごと包みこんでくれる人達である。

huyuちゃんは、旦那さんの転勤で福岡に住んでいる。Gwに帰省し、そのまま実家にいるとのことで逢いに行った。横浜の彼女の実家には何度か足を踏み入れているが、彼女の両親に逢うのは結婚式以来である。金沢に住んでいた時に、お酒が好きなおじちゃまと和菓子が好きなおばちゃまに何度か贈り物をしたりして連絡はとっていたが、逢うのは久々である。

彼女の実家の雰囲気と私の実家の雰囲気はどことなく重なるものがあり、いつ遊びに行っても安心する。おばちゃまの手料理を囲み、おじちゃまとお酒を飲み、楽しい時間を過ごしたのである。おじちゃまとは、通訳者であり作家の米原万理さんの話で盛り上がった。そして、この作家の本も面白いよと、3冊の本を貸してくれた。またおいで・・と最後はブランデーをグラスに注いでくれた。こんな時、お酒を飲める自分に感謝する。大事な人と本とお酒があれば、楽しく生きていけるのかもしれないなぁと思いながら、彼女とは別れた後、ホームで電車を待ちながら思ったのである。

友人と、友人の両親と築くこういう関係が私を安心というソファの上に座らしてくれるのである。時には、ソファで何も考えずのんびりしたいときもあるのだ。

久々にsayaちゃんに逢いに行こうと、そう思った。

1Q84

1Q84(1)


この日を待ちわびていた。何ヶ月も前から手帳に書いて、大きく丸をして待っていた。世界中の彼のファンが心まちにしていたように私も心まちにしていた。

彼は私にとって、人生の伴奏者である。彼の体内から生み出される世界が私を救ってくれた。彼が生み出す沢山の人物が私の親友であり、よき理解者である。

また、ひとり、ふたりと私の親友であり、理解者が現れた。それは、私にとってとても素敵な事実であるのだ。

今、このタイミングで彼や彼女に逢えたことは私にとって大きな幸運であり、複雑にしすぎていた物事から私を解放してくれたのである。

さて、一度開いた彼の世界を再び開こうと思う。

その前に、仕事場でトム・コリンズを作ってもらった。初めて飲むその液体は心地よく私の体内をかけめぐった。そして彼の世界にまた一歩近づいた。

だから、もう一度そこに足を踏み入れるのだ。


久々に・・・。

久々にPCの前に座った。壊れてしまったのは約2週間前のこと。それ以来、体の中に毒素が溜まっていった。

普段なら、毒素は言葉にして体の外に出していた。それができなくなったことで、なんだか体がとてつもなく重くなっていくことに否が応でも気づかされた。

この2週間は、書きたいことで溢れていた。それなのにそれができなくなった私は、小石につまづきそこから進むことができなくなっていた。

でもこれで一安心。また進んでいける。あぁよかった。