4/27/2009

かすかな気配。

ある言語学者の本を読んだときになるほどと思った。言語とは記号と同じであると。例えば、本を見たときにこれは本であると皆が認識できる。それをりんごと思う人は絶対にいないとは言わないが、ほぼいないだろう。  そういう共通認識をもつことで世界は回る。 

ある本に、「人間は口ばかりでコミュニケーションをしているわけではない。かすかな気配をお互いに感じ合っている。敵意をもっている人と愛情をもっている人では、わずかな身振りやまなざしや音調や触れ方が違う。そういうふうに非言語的な方法で伝えられていくメッセージがある。」と書かれていた。

本当にそうだなぁと思う。言葉にされることで嬉しいことも沢山ある。けれども、非言語的な仕方で伝えてくれるメーセージは、ある特定の人としかわかちあえない。だから、その方法でメッセージが伝わると、全身が受信モードとなり、受信が完了するたびに幸せが上がっていき、広がっていく。

ただ、非言語的な方法の欠点は逢わないと受信できないことだ。電話でも可能かもしれないが、あまり有効に思えない。言語であれば、メールや手紙で伝えることができる。自筆の手紙は非言語的な要素をすこしばかり含んでいるようにも思うが、やはり逢うということに勝るものはない気がする。

言語的、非言語的、その両方を自然に使い向かい合うことができる人に出逢えて嬉しかった。あぁ、本当に嬉しいって思った。もう5日も経ったけど今もその気分は変わらず、そろそろ言語的にも非言語的にも伝えたいなぁって思うけれど、どうしよう。もう少し、この気持ちを体に染みこませていようかなぁ。

こんなにも人に逢いたいとか伝えたいとか思ったのはとっても久々で、mayuchan chiechan machisan
naochan namichan akikosan satomisan ・・・のなかにどぉんって着陸したその人を思って。

さて、同居人が帰宅したのでこれから商店街をお散歩。オランダのパンケーキとビールが飲めるcafeに行くことにした。

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