4/17/2009

村上春樹

                                            ボスニアにて。

本当は知っている。世の中には説明などつかない、だって意味などないから、そんなことだって沢山あるってことを。嬉しいことには意味などもたせなくても受容できる。でも、悲しいことや辛いことには理由が必要である。そのことに意味がなければそれを受容などできないからである。だから、一生懸命に考えるのだ。例えば、失恋したらその悲しみを受容するために、次の新しい素敵な人に逢うための準備には必要な別れだったとか・・・そんな具合に。


でも、この不条理にあふれた世の中でほとんどのことに意味など存在しないのである。なぜなら不条理な世界であるから。なんで死んでしまったかを考えても結論などでるはずがない。意味などない。死んだのである。その事実だけが全てである。 なぜ、あの人は私のことを好きになってはくれないのだろうか。意味などない。好きになれないから好きになれないのである。

人は、自分にも相手にも納得のいくような答えを見つけたがる。どんなに歩いても、どんなに耳を澄ませても、どんなに人に質問しても、とにかくどんな手段を使おうが答えなどないのである。

人間の精神は「意味のないこと」に耐えることができないらしい。確かに、私も全ての事象に意味があると思って生きてきた。

でも、春樹の本を久々に紐解き思った。内田先生も言うように、そう、「この世には無意味なものに意味はない。」という明確な事実であり真実があることを。


「踊るんだよ。」羊男は言った。「音楽の鳴っている間はとにかく踊り続けるんだ。おいらの言っていることがわかるかい?踊るんだ。踊り続けるんだ。なぜ踊るかなんて考えちゃいけない。意味なんてかんがえちゃいけない。意味なんてもともとないんだ。」   <ダンス ダンス ダンス 上 より。>


そう、いつもいつも考えていたらしんどい。息切れをしてしまう。時々、思い出さなくては。


忘れてた、意味などなかったわ・・・って。

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