4/17/2009

よしもとばなな

チエちゃんと私  
大好きなよしもとばななの本は繰り返し読んでいる。20歳の時の自分と25歳の時、そして30歳、31歳では同じ物語のはずなのに、違う物語を読んでいる錯覚に陥る。

同じように、よしもとばななが好きな友人からメールがきた。「この本を読んだら、アメリとアメリの同居人に逢いたくなってきたわ。」。

3年前は独り暮らしをしていた私に、この本の印象派驚くほどない。なんとなく頭の片隅に題名と表紙は浮かぶものの、どんな話であったかの記憶が全くなかった。

早速、もう一度読むことにした。同居人と自分にもリンクをするし、生き方や感じ方、恋愛にもリンクするその本を、私も一気に読んだ。よしもとばななはどうしてもこんなに、私の言いたいもやもやしたものを素敵な日本語で表現できるのだろうか。彼女にかかると全ての事実が色づくのである。

私が求めている愛とはばななが表現するように「何か大きくて温かいものに寄り添って、安心している感じ。」であり、きっとそれを感じたら、性別や相手の背景やそんなものは全てちっぽけなものに映ってしまい、自分に正直に相手に近づき、離れないのだろう。

ときめきとひらめきにはあらがわない。

なんて素敵な言葉だろう。

読み終えてから、イタリアを旅したときにみた、システィーナ礼拝堂の天井画をどうしてもみたくなった。なんだろう、この本からあふれ出す、母性と愛が天井画と結びつくのである。

仕事が終わり、新宿の駅のホームでボーっとしているとNEXが停車している。そうか、これに乗れば、成田空港はすぐそこであり、いつもパスポートは携帯しているし、なんだかこのままイタリアまで飛んで行けそうな気がしたし、飛んでいってもいい気がした。

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