4/12/2009

ひたすら書いた結果、わかったこと。

Le Fabuleux Destin d'Amélie ,  にこうやって何かを書き残すことをする自分に何をしたいのかと問いたくなることがある。日記なら手帳に書いているし、他の忘れたくないことだって逐一手帳に書き込んでいる。だから、このLe Fabuleux Destin d'Amélie ,に向かっている自分に首をかしげることもある。私という存在を知っていてこれを読んでいる人は両手で数えられるほどしかいない。だから、やっぱり手帳の日記だけでいいのかなぁと思うこともある。  昔、あるコミュニティサイトに日記を公開していたことがあるが、ある日何か糸が切れたように全てを削除して、終了させたことがある。  最近も、突如ぷつっとしたくなることがある。でもしないのは、なんとなくほわんと自分の存在がここにあることを誰かに知っていてもらいたいからだろう。

いつも突然書きたいことがあふれ出す。そして飽和状態となった言葉を拾い集め、文にしていくのは難しい。仕事が終わりを告げると、不思議なことにあんなにも眠かった自分はいない。帰宅してすぐに眠りにつけばいいのに、何やら活動的になっている自分がいる。 一昨日から引きずる仕事場のイライラは治まる気配がない。自分の常識は他人には非常識に映るかもしれない・・なんていうおまじないめいた独語では自分をだませない。 ひとりやふたり嫌いな人だって、好きになれない人だって、価値観の合わない人だっているものって言い聞かしたって、駄目である。  あぁ、どんなに発想を転換させてもあの偉い人を受容できないのである。仕事の先輩としてはすごいはずと思ってもみたけれど、人間的にどうかと思うとその思いも無駄足のようである・・・・。 ラジオを810にあわせて、頭を日本から逃避させお気に入りのソファで体をくの字にして窮屈に眠る。気づけば、20:00で同居人が帰宅している。ひとしきり、今日の受容できなかった出来事を聞いてもらい、こないだもらったちょっと高級なチリワインを開け、チーズをつまみに飲むもなんだか低迷期からの脱出は図れず、22:00前には床につく。

どんなときでも朝は訪れるという事実にどこか納得がいかない自分もいるが、今日は新しい日であると言い聞かせて、心の風邪をひいた人たちのもとに出掛ける。最近調子の悪い人から私宛ての電話がはいる。「腰が痛いから湿布を貼って。今からいくから。」。調子が悪くて外に出られなかった彼が、会いにきてくれた事実に私が癒される。どうやら心の風邪を私もひいていたようだ。少し、よくなったかもと思いながら、いつもの職場に向かう。今日はあの人はいない。そんな子供じみた確認をして安堵する自分に情けなくなるが、それはそれで人間臭くていいのかもと少し自分を甘やかしてみる。土・日の病棟は時間がゆっくりと流れているから好きである。いつも以上にのんびりとでき、ゆっくりと相手の話を聞いてあげることができ、結果私が一番癒されている。その気分を引きずり病院を後にして、新宿で途中下車した。お気に入りのBERGに向かうために。 久々にタバコの煙を吸いたいと思ったけれど、タバコとマッチを用意するのは面倒であり、そんな時はタバコに一番合う飲み物であると思う珈琲を飲みに行こうときたわけで・・・期待どおり、店内は所狭しとタバコの煙が立ち込めており、その中で、美味しい珈琲を飲み誰か歌っているかわからない、ジャンル不明の騒がしい音楽を聴きながら過ごすことに成功したのである。やっぱり、この場所は私を裏切らない。

こうやって、誰に何を書きたいのか、何をしたいのか、もうこんがらがって全てを投げ出したくなるときはある作家のあの本をとりだす。さて、取り出そうと思ったらない・・・・そういえば友人に貸し出し中であった。あぁ、なんてこと。仕方ないので図書館に行くも見当たらず。結局本屋で再購入した。あの本は彼女にあげることにしよう。そう決めた。

彼女の本から自分の好きな言葉を何度も読み返して、なんだか安心する自分がいる。
「人は、人生が一度きりで、自分はひとりしかいない。そんな一番基本的なことを忘れてしまう。私たちは、食べるために生まれてきたのではなく、勿論お金のためでもなく、楽をするために生まれてきたのでもなく、子孫を残すためでもなく、長生きするためにでもなく・・・・自分の情熱を燃やすために、向いていることをこの人生でやりつくすために生まれてきたのではないのだろうか。愛する人びとの愛情を抱きながら、沢山のよき思い出をつくって、それを大事に抱えて悔いなく死ぬためにここにいるのではないだろうか。忙しく、いらいらして働いて、一回も立ち止まらず、人生を捨てた形でいつも自分では何かが足りない、劣っていると思いながら、死に急ぐためでは絶対にない。

もしも、カレーにたまたま猛毒が入っていて今日死んじゃったとしたら、私はきっと、やっぱり自分がこの一皿を選んだからしかたないな、と思って死にたい。」

普段、メールをあまりしないし返信も遅いから同居人にもよく叱られるし、友人にも返信がないと叱られる。でも、さすがに諦めたのか皆私の返信猶予に3、4日与えてくれているようだ。今の時代に私が中・高生であったら確実に友人をなくすのだろう。友人にこう言われた。「最近は15分以内に返信しないと削除されちゃう世の中らしいよ・・・。」あぁ、よかった昭和生まれでと思う瞬間である。  こんな風に書き綴っているとメールが嫌いだと思われそうであるが決して嫌いではない。きっと好きなんだと思う。逢って話す、電話、の次くらいには。  でも、メールって悩みどころ満載なのである。 メールの利点はいつなんどきでも相手の都合を気にせずに、自分の伝えたいことを伝えられることであるが、それは私にとっては欠点でもある。24時間の自由を与えられるといつ送ることが相手にとってbestなのかわからなくなる。書いた内容をもう一度読んでみて、今すぐに送る必要があるのか考えだすと今ではないような感じがしてくる。そうなると、もう送ることができなくなり次の機会まで保存するという結果にいたる。しかし、またその機会がくると、今なのかと考え出してしまいわからなくなる。現在、保存箱に2通保存されている。いつになったらこのメールを相手に送ることができるのだろうか・・・。メールって高等なコミュニケーションのツールであるとつくづく思うのである。




BERGでひとり時間を楽しみ帰宅すると同居人がいた。「かぼちゃのニョッキ作ろうと思うんだけど、ひとりで食べるのはなんだか嫌なのよ。ほら、ニョッキってひとりで食べるものではないように思うでしょ。だから、作ったら一緒に食べてくれる?」そう、一気にまくしたてる彼女。肯定的な返事を返すとすぐさま、台所でやっぱり810にチャンネルを合わせ楽しげに料理をはじめた。今日は、久々に小児救急外来の仕事の日である。ニョッキを食べて、ちょっと散歩して眠りつこうと思う。

書きたいことの飽和状態からはぬけだせたけれど、なんとも支離滅裂なひどい文章にもう笑うしかない状況である。まぁ、よしとしよう。だって、私には湿布を貼ってほしいと会いにきてくれる人もニョッキを作ってくれる同居人もいるのだから。そう、だから他に何もなかったとしてもそれでよしとする。

おわり。

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