3/11/2009

杉本博司

彼の作品は見たかった。作品の前で感じたかった。だから21世紀美術館で彼の作品が展示されていることが嬉しかった。彼は言う。作品を鑑賞することに正解も不正解もないと。彼の作品は感じることができる。



杉本博司は下記のように述べている。
アートとは技術のことである。眼には見ることのできない精神を物質化する為の。私のアートとは私の精神の一部が眼に見えるような形で表象化されたものである。いわば私の意識のサンプルと言っても良い。私はアーティストとして長年この技術を磨くことを心がけてきた。アートの起源は人類の起源と時を分ち合う、それは人間の意識の発生をもってその始源とするからだ。私は私の技術を磨く過程の中で、学ぶべき先人の技術を体得する為の手本が必要とされるようになっていった。手本は先人が到達すことができた地平のサンプルと呼び変えても良いだろう。一つのサンプルを入手してその技術を会得すると、会得されたその精神は又次のサンプルを欲するようになる。一つのことを理解することとは、その奥にさらに深い未知があるということを理解することだ。こうして私のサンプル収集は連鎖反応を起こして、どこへ行くとも知れず漂流するようになった。ここに集められたサンプルは、私がそこから何かを学び取り、その滋養を吸収し、私自身のアートへと再転化する為に、必要上やむを得ず集められた私の分身、いや私の前身、である。私はそれらのサンプルから、過去が私の作品にどのように繋がってきたのかを類推し、その現場を検証するという空想に遊ぶようになった。旧石器時代の石器を握ってみると私の手のひらにぴたりと収まる。私は旧石器時代人の革命的な技術を体感するのだ、蒙昧から意識への。そしてより鋭利になった新石器時代の石器を手に取ってみる。私は一瞬にして数十万年の人類の経緯を諒解する。私はエジプトの死者の書に描かれた象形文字と神々の像に見入る。死者を覆っていたであろうこの一枚の麻布が五千年という時間の物差しを私に突き つける。ゆっくりと流れていた古代の時間は急速に加速しながら現在の私に向かって流れて来るように思える。昔千年かかった変化が今は数十年で達せられてしまう。時間の矢は今も加速を続け、ある臨界点に向かいつつあるようだ。天地開闢以来、幾多の文明が栄え滅びてきた。その度に歴史は書かれ又書き換えられてきた。歴史とは生き残った者が語り継ぐ勝者の歴史に他ならない。語り継ぐ者のいなくなった敗者の歴史は遺物となって その内に閉じ込められ、私に何かを語りかけてくる。数十億年前に絶滅してしまった生命の種が化石となって私に語りかけてくるように。こうして私は歴史から一歩距離を置いて、私が収集してきた遺物を眺め暮らすようになった。私の集めた遺物達は、歴史が何を忘れ、何を書き止めたか、そんな歴史を教えてくれる。

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