3/31/2009

言葉にする時としない時。

帰宅すると、布団から飛び出てきたのは・・・同居人ではなく同居人の姉、つまり私の親友。終電に間に合わなかったからお邪魔しているよ。  夜も遅く、特に会話もせずその日は就寝。次の日、仕事に行く前の小一時間を彼女との他愛もない会話で過ごした。多くの会話をもたなくとも理解できることの多い彼女との抽象的な会話の数々。言葉にするのは少し怖くて、少し照れくさくて、言葉にすることでその言葉が真実の思いとなってしまうのが怖くて、いつだって抽象的な会話が多い。今日もそんな抽象的な会話を繰り広げ、なんとなくいろんな思いを中途半端に混ぜて満足する。きっと私の思いをあれだけのオブラートに包んだところで彼女は綺麗にはがしてしまうだろう。彼女のオブラートも綺麗にはがした。そう、思いは言葉にする必要がある時とないときがある。  ここ1週間、同居人に逢っていない。でも、お水が減っているからきっと元気なのかなぁと思って帰宅すると、新しいお水に交換してあった。元気そうで何より。さて、そろそろ仕事に向かう準備をしなくては。

何が本当かなんてわからないけど。

                                        ベルリンにて。

ある時から、説明のつかない世界や事実が世の中を包んでいることを知った。説明できるようなものではないので、人に「どうして?」と聞かれても、「なんでそう思うの?」と聞かれても、「なんとなくそう思うから。」としか答えられない。けれども、自分の中には説明のつかない確信という、なんとも対極なものが隣り合わせで吸着して存在する。

最近とみに感じるのは、エネルギーの高い人の存在。高い人に出逢うと体が軽くなる、そして深呼吸を意識的にしなくとも、常に新鮮な空気が体中を駆け巡る。 久々にエネルギーのとても高い人に出逢った。けれども、退院してしまった。 昨日は沢山深呼吸をして仕事をした。  やっぱり、エネルギーの高い人だったんだなぁ・・・と思いながら。

喫茶店の仕事に行きエネルギー補給をしてこよう。  帰宅したらブルースを聞いて吹き込まれたエネルギーを感じようと思う。

3/30/2009

家族とは。

結婚をしていないので、自分の家族は両親と弟2人である。小さい頃から、わりと個人主義な世界で生きてきた。家族全員が自分の世界を強くもち、いつの頃からか家族全員で行動を供にすることはおろか、集まることも滅多にない。かといって仲が悪いわけではなく、一般的に考えるとまずまず仲は良好であると思われる。

思い返してみても、大きな制限はされず生きてきた。厳しかったのは、食事や人に対する常識くらいであったり・・・思い出す限りそれ以上は思いつかない。

特に不自由したこともなく、大きく生き方を否定されたこともない。

「自分のことは自分で責任をもちなさい。」とはよく言われたが。

そんな家族が久々に集合して、祖父母の家を最終目的とし温泉旅行に行くことになった。人ごみが嫌いな両親であるため、小さい頃の遊び場は、奥多摩か御岳渓谷でのカニとりか鮎つりであった。もしくは、科学技術館か博物館、動物園であったように思う。その時から、もう15年は経過しているだろう。最初で最後かもしれない旅行に、一抹の不安を皆抱えながら旅行にでた。

やはり、個人主義で生きてきた家族であるため、まとまりは全くない。皆、好き勝手に過ごして帰宅したのである。

それでも行ってよかったと思う。一緒に食事をゆっくりと楽しんだのも、朝の日の出を見ながら両親と語ったのも久々であり、あぁ、これが家族の中にしか存在しない絶対的な安心感なんだと実感できたから・・・。

同じ時間を同じ空間で違う形で過ごせるって、素敵なことである。
私の望む生き方は、この事実に集結しているような気がする。

3/29/2009

強い人になるには。

今ある環境を捨てることができる人を私は強い人であると思う。大抵の人、無論自分も含めてではあるが・・・今の環境を捨てることができない。現状に満足できていなくても、不条理で満ち溢れていても、どこかで、その環境を自分の中でのMAXとして捉え、変化を求めたりはしないのである。

刺激的な人生を送りたいと思っても、「変化すること」に臆病な自分もいる。臆病な自分を打破して、刺激的な人生を歩むために旅にでたし、誰も知らないという環境(離島や地方)に自らを置き働くこともした。全ては、考える過程を持たなかった。考えてしまったらきっと私は旅にも離島にも地方にも行くことはなかっただろう。わからない未来への不安をどこからともなく引っ張り出し、自分に言い訳をして弱い自分を認めないで生きていただろう。  全てを環境のせいにすることは簡単である。けれども、その環境は用意されているものではなく、自ら作りながら生きているのである。だから・・・自分で作ったものは、ちゃんと客観視して時には人の評価も気にして、修正しなくてはいけない。 人生とは過ちを繰り返すことで成り立つ。過ちを繰り返しそこから学ぶもので、やっと生きることができる。  今の環境はMAXであると思い楽しむことも必要であるが、時にはその環境に疑問をもっても修正することも人生である。

私の尊敬する友人は自分のもっている環境を全て捨てた。そして再スタートをきった。人が聞けば羨むほどの環境に囲まれ、何ひとつ不自由することなく生きていると思われる彼の環境は、彼自身には納得のいくものではなかったようだ。

「このままではダメになってしまう。自分という人間がね。だから、全てをゼロにして再スタートを図ったんだよ。未来への不安?それは勿論有り余るほどあるよ。」

そう言う彼からは大きなエネルギーを感じた。彼のように私も軌道修正をしながら生きていかなくてはいけないのだろう。現状を受け入れ、それも生きる糧として必要であると捉え、今を楽しく生きながら、更に上を見上げて強い人になる。それが今の私の目標である。

そんなことを考えながら、友人からの「愛情もないのに家族を捨てられないのはなぜだと思いますか?」の問いにまたも言葉に窮する。

環境は時として味方であり、時として敵である。精神的なことだけで自分の世界も相手の世界も回るのであれば、今すぐにでも自分の気持ちだけに耳を傾けて何も考えずに行動に移すのかもしれない。

けれども、残念ながら世界は自分だけのものではないんだ・・・そう気づいたときから足踏みが多くなったのかもしれない。

3/26/2009

Amelieな日のつづき。

Amelieな日。

深い眠りに包まれながらも、どこか浅瀬にいた自分に、泳ぎきれない疲れを感じてなんだかどうしたらいいのかまたもこんがらかってしまった。自ら複雑な回路にしてしまいそれを解くことにまたも疲れているのだろうか。

今日は、喫茶店の仕事の日。きっとここにくれば、物事はとてもシンプルなものに変化するだろう。そう思いながら仕事に向かった。

外が寒いせいか、不況の煽りかよくわからないけれど、お店にはゆっくりとした時間が流れていた。久々に逢った友人と他愛もない話をしながら、はかりで珈琲豆を計るのは至福のときである。更に店内にAmelieが流れてきたら、それはいいようのない最高の空間となる。  普段使う、「癒されたい」という言葉。きっと本当の癒しとはこういうことであり、自らどこかに出向いたり演出したりそういうことではないのだろう・・・そう思ったのである。  「癒し」とは全身の力がふっと抜けて自然と顔の筋肉が緩み、笑みがこぼれているときに引き寄せるものかもしれない。

なんだかそう思ったら、全てのことをこのままの状態で受け入れていこうとそう思えるのである。


常連のおじちゃまがいつものカウンターに座るとなんだか嬉しい気持ちになる。そして、とてもエネルギーの大きな常連のお友達がやってきてもうそれだけで、最近の気分なんてどこかにポイッとすることができた。久々に逢う人たちを見ながら思い出す。

心の風邪をひいた人からもらった手紙に書いてあった言葉を。

最初に会ったのは偶然。
次に会ったのは必然。
その次 に逢ったのは当然。
だから貴方に逢えて嬉しい。


そんな気分に酔いしれながら、お客さんにお酒を運びカウンターに戻ってくるとそこには大きなケーキが私の名前付きで置いてあった。  あまりの驚きにWa!と大きな声を上げてしまった。 そこに置かれた手作りのケーキとイスラエルの赤ワイン、そして皆の笑顔に、そして店内を流れるAmelieに、もうどうしようもないくらい嬉しかった。  この思いを誰かに伝えるにはあまりにも私のボキャブラリーは貧困であるように思えなんと言っていいかよくわからないけれど、もうとにかく「嬉しい・・・。本当に嬉しい。」その言葉しかない。

皆からもらった素敵な時間は、私を深い眠りと悪夢と混乱と、そうありとあらゆるものから引っ張りだしてくれ、今日の目覚めはとにかく最高で、笑顔で誰もいない壁にむかっておはようなんて言いながら起きたのは久々で。

さて、このテンションで心の風邪をひいた人に逢いに行こう。

3/25/2009

桜が教えてくれること。

ちょっと方向転換をしないといけない。そう思う。悪い空気は悪いものを呼ぶ。体内センサーがピカピカしだしたら、いろんなことを一度シャットダウンしなくてはいけない。

混乱は混乱を呼ぶ。最近ちゃんと夢を覚えていないのに、とても辛い夢だったという感覚だけは体中が覚えている。体はしゃんとしていて、倦怠感に溺れているわけでもいないのに、どこか沼にはまったように気だるい感じがする。走馬灯のように、辛かった出来事ばかりが頭に浮上してくるのはとてもよくない兆候である。

そんな気分で電車に乗っていた。ふっと途中の駅からみた景色。もう桜が咲き始めている。そういえば、桜は暖かいだけでは咲かないと聞いたことがある。ちゃんと、寒い時期を乗り越えて暖かい時期を迎えて、そしてはじめて桜は咲くそうだ。寒い時期を経験しない桜の木は桜を咲かせないとか・・・。

桜は人間に何かを伝えてくれているのかもしれない。

さて、もう一度その桜を電車の中から感じながら、久々の喫茶店のバイトに出掛けなくては。珈琲の匂いとシャンソンに包まれたら、意外と簡単にも今の状況から抜け出せるかもしれない。

そして、明日は笑顔で心の風邪をひいた人たちに逢いに行こうかなぁ。

3/24/2009

岡本太郎。

自分の中に毒を持て―あなたは“常識人間”を捨てられるか


同居人と私の持っている本はちょこちょことかぶっている。その一冊がこれである。いつも持ち歩いているわけでも、手帳にメモしているわけでもないが、常に頭のどこかに岡本太郎の存在はある。久々に手に取り最初に何気なく開いたページから飛び込んできた文。

「人間には、自由という条件が必要だ。自由というのは、たんに気楽にやりたいことをやるのではない。そうではなくて、できるかぎり強烈な人生体験を生きるのが、自由の条件なのだ。。」

この本の最後の章はこう問いかける。
「あなたは何に燃えたいのか?」

3/22/2009

追記。

友人から恋の相談を受けた。否、相談ではなくきっと誰かに聞いてもらいたかったのだろう。葛藤の多い恋の話はとても長かった。こんなに大きな感情をひとり抱え込み生きている彼女を強い人だと思った。

貴方はこんな私をどう思うと、問いかけられた。
その時、私の頭には何もなかった。
だから、答えられなかった。

言葉に窮すると、相手は誤解するかもしれない。
けれども、適当な言葉は最後まで見つからなかった。

経験でものを言うことは簡単である。けれども、それに意味はあるのか?
彼女の求めている言葉はどちらであるのか。

今の恋に終止符を打ち、安心に包まれた時間と空間に戻ったほうがいいのよ。貴方には待っている人がいるでしょ。
それとも、
好きであるならば、仕方ないことよ。数学の証明のように物事は公式にあてはめて考えることはできないのよ。

彼女はどちらを求めて、長く打ち明けなかったその思いを人に話す気になったのだろうか。

次に彼女に逢ったときは、こう言おう。
「貴方があなたであるならば、あなたの思う人生を生きてほしい。」・・・と。

感情の抑制。

ある人による、以前あった問いかけ。
自分が苦しむことと、自分の大事な人が苦しむこと。
前者と後者、貴方ならどちらを選択する?

できることなら、どちらも選択したくない。
でも、なんとなくこの質問の意図が理解できたように思う。

今、ある人に同じ問いを投げかけられたらこう答えようと思う。
「前者を選ぶわ。」


心の風邪をひいた人たちの元に仕事に行った。
メンバーの中に同業者が存在する。彼女は重い風邪に罹患している。
仕事をしていくうちに、悲しみの感情が欠如してしまったことに
苦しんでいる。  ものすごく苦しんでいる。

ふと思い出した。この10年近い月日の中で看取った人たちの顔を。
あまりの数に、私も感情が沸騰しない。

悲しいことに、この仕事に求められているのは感情ではない。
人間らしく仕事をしようと試みると、必ず誰かに咎められる。

久々に咎められた。けれども、私は間違っていない。
感情の抑制は時として、必要であるけれど。時として、必要ではない。

人間であるということをもっと誇示して生きていきたい。
そう思うし、相手にもそう願う。

3/17/2009

春がくるというのに。

                                   オマーンで出会った花。

春が刻々と近づいている。季節の中で一番胸がときめく季節なはずなのに、花粉症のおかげでとても春に希望も期待も湧かない。なんだか、四季のある日本人に生まれてこれほど損をしていると感じたことはないように思う。    でも、ちゃんと帳尻があうようにできているのかもしれない。

春は、別れを受容して出会いに繋げる時期だったり、新たな人生のスタートだったり、人によって様々である。私には大きな変化はないが、それでも電車や街でその空気を感じる。頑張っている人をみると自分も頑張らなくてはと思う。だから、花粉症に嘆いてばかりいないで・・・・次の一歩を踏み出している人を感じて、春という季節を思う存分楽しもう。

3/14/2009

ちょっとかわいい話。

  アメリがご用達の八百屋さんで購入したトマト。その事実がこのトマトを愛らしいものに変身させる。


高齢のシスターが電車に乗ってきた。60歳の男性は席を譲ろうと考えた。そこででた言葉は・・・。「どうぞ、ミスター。」   そんな新聞の投稿に同居人とお腹を抱えて笑う。なんてかわいい話。

21世紀美術館の開館まで時間があったので、近くのミスドでコーヒーを飲むことにした。順番を待っていると、前のおばちゃんのもとに店員さんが走ってきた。「すみません。マッキーはなかったので、同じ油性のペンなのでこれでいいですか?」「違うわよ・・・私が欲しかったのはマッチよ。」 なんてかわいい話。それにしても、あのペンは皆にマッキーと認識されていることにも驚きである。

3/13/2009

ファーストクラス,

高所恐怖所であり、サグラダファミリアの一番上の高さに仰天して隣の5歳位の女の子が泣くように私も泣いてしまった・・・それ位、高い所は苦手である。けれども、飛行機は好きである。飛行機の中はなんだか落ち着くのである。それは、エコノミーで長時間の旅をしていても断言できる。私は飛行機が好きである。

人生はひょんなことから始まるヒストリーがあったりする。今日が雨であったら、晴れの日の今日と同じように時間は経たない。それは今日が晴れであるから起きること。それは、きっと雨であれば起こりうること。人生とはそれくらい危うく、刺激的な時間の集合体である。

私がファーストクラスに乗ることになったのが、わかりやすい例えである。私がなぜ、ファーストクラスに乗れたのか?それは、沢山の偶然が将棋倒しのようになり、そして私の元にたどりついたのである。

いかに安い旅をするかに旅の全てをかけていた。1日以上船のデッキで過ごしたこともある。18人部屋のドミトリーで知らない人に囲まれて眠ったことも多々ある。お湯はでない、水はでたら幸運、そんな宿に連泊していたこともある。無論、飛行機は一番の格安航空券。そんな私が、ビジネスさえ乗ったことのない私がだいぶjumpをして乗ったのが、ファーストクラス。その私にとってこの先、手にすることなどないはずのチケットは、頂きもの。 もう全てが何かの連鎖である。  よく、ドラマで使われるナレーションがある。

「その時は知る由もなかった・・・。」

飛行機の窓をひとりで4枚も5枚も占領したのも、席かと思ったら足置きであったのも、前の乗客も後ろの乗客も、横の乗客さえ離れていて、なんだか美術館に行ったらたまたまその空間はひとりで、絵を独り占めでき嬉しくて仕方ないときのような、そんな気分である。

朝ごはんがこんなに豪華で、menuから選ぶのが大変だったのも、勿論初体験。いつもだったら、聞かれるのは、飲み物だけ。


後ろに下げるのだって気を使い、前の人に思いっきり倒され「カチン・コチン」ときてしまう。それなのに、倒したい放題、誰にも迷惑はかけない。そして、CAに言われて驚いた一言・・・「お布団ひきますね。」。洗面に行き、戻ってくるとそこには布団がひかれていた。その寝心地のよさといったら。このクラスは、空の高級ホテルなんだと気づいた。そういえば、高級ホテル・・・・日本でだって泊まったことない。





ワインはボトルで持ってきてくれる。その銘柄の多さといったら・・・。チーズの盛り合わせの多さと美味しさに、更に仰天する。

飛行機の中に、ここまでの格差社会が存在していたことに驚くが、あの値段には納得がいく。勿論、自分で乗るなんて、一生涯ないだろうが。

中近東に行った時の写真をなんとなく眺めていたらでてきた、人目を気にしてとった飛行機内の写真。それをみて思うこと。


人生とは、予期せぬことが起きるから人生であると。


サルサのママは、双子の娘たちと歳が同じである人と付き合っており、一緒に住んでいる。最近、ママの娘であり、私の先生が結婚した。サルサの生徒さんと。 娘と生徒を結婚させたのはママである。 娘と彼はいい夫婦になると思ったからくっつけたのよ・・と楽しそうにママは言う。ママに聞いた。「そんなに若くて素敵な人をどうやって引き寄せたの?」 ママらしい返答が返ってきた。「自分らしく生きていればいいのよ。」

あの時がいつの時かわからないけれど、あの時は想像できなかった今がここにある。つまりは、今は想像していないことが未来で起きるかもしれないし、起きないかもしれない?友人が今日シンガポールに旅立った。そう、友人たちを思っても想像できない今を深く実感する。

ある哲学者は言う。
「幸せだから笑うのではない。笑うから幸せなのだ。」
全ては、運命とかそんなだいそれたものではなく自分にかかっている・・・そう、自分の生き方に。

3/11/2009

境界線。

五稜郭を訪れた。土方さんを見ると思い出す人がいる。彼女は、土方さんの大ファンであり仕事の合間をぬっては、土方さんの追っかけをしていた。歴史上の人物を追っかける彼女に私にはとても興味深いものがあったので記憶に残っている。今も彼女は土方さんを追いかけているのだろう。

五稜郭を流れる水はそのほとんどが凍っていた。けれども、ここだけは凍っていなかったのである。この不明確な境界線をみて考える。

割れるかもしれないと怯えながらも氷の上を歩くことを選択するか。
とても疲れるけれど、割れる恐怖のない水の中でひたすら泳ぐか。
もしくは流れるままに浮かんでいるか。

一体どれを選択するべきか。
時には疲れるほど生きていくべきときもあるのだろう。

ごっこ。


市場が好きである。旅いでると必ず市場には足を運ぶことにしている。市場にはそこの生活が凝縮しているようでなんだか胸がおどる。   市場の水槽で何やらとても奇妙な魚が動いていた。よくみるとお腹に大きな吸盤がついており、その吸盤を水槽につけて休んでいる子もいる。その姿はみれば見るほど愛らしいくなってくるのである。  あまりにもそこから動かない私をみて市場のおばちゃんが「その魚かわいいでしょう。コラーゲンたっぷりでとっても美味しいのよ。食べてみる?」声をかけてきた。「ごっこ」というその魚はとても美味しかった。このビジュアルから到底想像できないほど。


オスとメスではどちらのほうが美味しいのか?と聞いてみた。
「両方一緒に調理しないと、おいしいごっこ汁はできないんだよ。」
なんとも素敵な魚である。この時期に函館の周辺でしかとれないというごっこが、大好きになった。来年もまた食べに行きたいな。

雪だるま。



函館の記憶といえば、学生時代に夜行電車で北海道を目指した時で止まっている。確か、YHの近くの小汚い丼屋で、宿で知り合った人たちと「うにいくら」丼を食べた事と、函館山の夜景が綺麗だったなぁという事は鮮明に覚えている。後は・・・?


でも意外と記憶とは残っているもので、函館を散策しているとあの時の記憶が蘇ってくるものである。2泊3日で函館を旅すると決めたけれど特に何か目的があったわけでもなかったので、函館山の頂上でのんびりとすることにした。北海道とは思えないほど暖かかったため、雪だるまを作ってみた。なかなか、可愛らしい雪だるまである。  観光できていた人のちょっとした人気を集めていた雪だるま君はさすがに一緒に下山できないので別れを告げ、次に目指すは市場。

親友。

親友が、沢山のスペイン料理を作って誕生日の前日に、お祝いをしてくれた。彼女の誕生日は2月。私は3月。 以前、一緒にEuropeを旅していたときに、お互いの誕生日をお祝いしたことがある。

その時から5年が経とうとしている。私も彼女も沢山のことが変化した。けれども、やっぱり根っこの所はあの時のまま。だから彼女と過ごす時間はいつだって心地よいのである。

素敵な時間と、美味しい料理と、スペインのお土産有難う。何よりも一緒に過ごせたことが一番の誕生日プレゼントである。時間をプレゼントするって、何とも粋である。

杉本博司

彼の作品は見たかった。作品の前で感じたかった。だから21世紀美術館で彼の作品が展示されていることが嬉しかった。彼は言う。作品を鑑賞することに正解も不正解もないと。彼の作品は感じることができる。



杉本博司は下記のように述べている。
アートとは技術のことである。眼には見ることのできない精神を物質化する為の。私のアートとは私の精神の一部が眼に見えるような形で表象化されたものである。いわば私の意識のサンプルと言っても良い。私はアーティストとして長年この技術を磨くことを心がけてきた。アートの起源は人類の起源と時を分ち合う、それは人間の意識の発生をもってその始源とするからだ。私は私の技術を磨く過程の中で、学ぶべき先人の技術を体得する為の手本が必要とされるようになっていった。手本は先人が到達すことができた地平のサンプルと呼び変えても良いだろう。一つのサンプルを入手してその技術を会得すると、会得されたその精神は又次のサンプルを欲するようになる。一つのことを理解することとは、その奥にさらに深い未知があるということを理解することだ。こうして私のサンプル収集は連鎖反応を起こして、どこへ行くとも知れず漂流するようになった。ここに集められたサンプルは、私がそこから何かを学び取り、その滋養を吸収し、私自身のアートへと再転化する為に、必要上やむを得ず集められた私の分身、いや私の前身、である。私はそれらのサンプルから、過去が私の作品にどのように繋がってきたのかを類推し、その現場を検証するという空想に遊ぶようになった。旧石器時代の石器を握ってみると私の手のひらにぴたりと収まる。私は旧石器時代人の革命的な技術を体感するのだ、蒙昧から意識への。そしてより鋭利になった新石器時代の石器を手に取ってみる。私は一瞬にして数十万年の人類の経緯を諒解する。私はエジプトの死者の書に描かれた象形文字と神々の像に見入る。死者を覆っていたであろうこの一枚の麻布が五千年という時間の物差しを私に突き つける。ゆっくりと流れていた古代の時間は急速に加速しながら現在の私に向かって流れて来るように思える。昔千年かかった変化が今は数十年で達せられてしまう。時間の矢は今も加速を続け、ある臨界点に向かいつつあるようだ。天地開闢以来、幾多の文明が栄え滅びてきた。その度に歴史は書かれ又書き換えられてきた。歴史とは生き残った者が語り継ぐ勝者の歴史に他ならない。語り継ぐ者のいなくなった敗者の歴史は遺物となって その内に閉じ込められ、私に何かを語りかけてくる。数十億年前に絶滅してしまった生命の種が化石となって私に語りかけてくるように。こうして私は歴史から一歩距離を置いて、私が収集してきた遺物を眺め暮らすようになった。私の集めた遺物達は、歴史が何を忘れ、何を書き止めたか、そんな歴史を教えてくれる。

更に再会。

ステーキ屋さんから宿に向かう途中にサルサに寄った。いつもと変わらないその空間に安堵する自分。合宿以来会っていない友人にも会うことができた。 丁度レッスンが始まる時間だったので、レッスンを受けることにした。

サルサが好きである。サルサの友人が好きである。金沢の友人が好きである。金沢が好きである。

偶然にも21世紀美術館に行くために金沢を旅しようと思ったら、金沢での仕事の話が舞い込んできた。旅に行くのも住むのも何ら変わりない・・・そんな気持ちで金沢に向かった。

あの時の自分の決断は、こんなにも素敵な出会いをもたらしたのである。

次の日。
私には母が3人いる。血の繋がった母。サルサの母。金沢の母。

サルサの母と、金沢の母に会った。母と会うと元気になる。東京に帰ったら血の繋がった母に会いに行こう。。。

3/10/2009

ステーキ屋。

あまりお肉は好きではない。普段、そんなにお肉を食べることはない。けれどもここのお肉だけは別である。決して安くないお店であり、気軽に来れるようなところではない。

誕生日であり、金沢にいるのだからと思い立ち寄った。

カウンターだけのお店であり、建物は歴史を感じさせるのにトイレだけはポップであるという何ともいえない味がある。10人も座れば満員になるそのお店には、上品な奥様と無口な息子さんがいる。目の前の鉄板でお肉と野菜を焼いてくれるのは息子さんである。  その日に採れた新鮮な野菜は何もつけなくても甘みがあって美味しい。そして能登牛の美味しさといったら・・・。 奥様の選んでくれたワインと一緒に・・・そして私以外人がいなかったため奥様との会話も楽しめ、気づくとひとりで2時間も食事をしていた。

食事は、食事の内容より誰と一緒に食べるかが食事を楽しめるかの最大の鍵であると思っている。けれども、たまにはこんな食事の仕方もいいなぁと思いながら大満足でお店を後にしたのである。

再会。

金沢で最初に仕事を教えてくれた彼女とは、仕事以外でそんなに多くの会話を交わしたことはなかった。けれども、お腹の大きな妊婦さんであった彼女が仕事で一緒であると、私は安心した。仕事をてきぱきとこなす彼女は私にとって素敵な姉のような存在であった。

久々に再会した彼女のお腹はぺったんこになっていたが、あの時と変わらぬ笑顔で駅の改札口にいた。2時間程度ではあったがお茶をした。他愛もない会話が心地良いときもある。

最後に彼女にこんなことを言われた。
「私のなかではね、長い旅からふっと子供を抱いて帰国しそうなそんな感じなのよ。そんな自由な空気を発している貴方がいいわ。いろんなことには捉われないで自分の道を行ってそうな感じがね。」

最上級の褒め言葉を有難う。誕生日に素敵なプレゼントをもらった幸せな私がそこにいた。

やっぱり金沢。

青春18切符を購入した。どこか行こうと思って。自分の誕生日というものが以前よりも愛おしくなったのはなぜだろうか。誕生日をどう過ごそうか、1ヶ月以上前から思い悩んでいた。一度は金沢に行こうと考えた。けれども、やっぱり行かないで母とどこか散策に出掛けようと思った。その考えもなんとなく止めて、家で一日中のんびりと過ごそうと考えた。

でも、やっぱり金沢に行こうと決めた。友人たちにも逢いたくなったし、21世紀美術館の杉本博司の歴史の歴史展にも行きたくなったし、サルサも踊りたくなったから。それに、駅前のステーキ屋さんで食事もしたくなったのである。・・・と理由を並べたててみたが単純に金沢が大好きで行きたかったのである。

・・・となると、青春18切符を使うことは困難である。鈍行だけで金沢を目指したら10時間はかかる。新潟で一泊することも考えたが、どうしても誕生日は金沢で迎えたいとなるとダメである。18切符は旅好きの母に譲ることにして、新たに北陸フリー切符を購入した。

朝、上野10:18発、金沢14:18着の電車(越後湯沢経由)で金沢を目指したのである。

メヒコの会。

メキシコシティで出逢った彼女と4回目の再会を果たした。今回は彼女が東京の学会後2泊3日で斜めの家に泊まりに来てくれたのである。

再会の日は、同居人と同居人の姉である私の友人と、シティの宿で出会った(私はすれ違った程度であるが・・・。)プロレスラーの男の子も参加・・・久々の再会は5人で楽しく食事をすることで始まったのである。旅人との会話は楽しい。いろんな旅でのことが思い出され私を更に刺激する。メヒコに行ったのはもう随分と前のことなのに、昨日のことのように様々な情景が私の頭を駆け抜ける。

ある人は言う。
「なぜ、自分を探すために旅にでなくてはいけないのか?自分を探したいのであれば自分のことをよく知っている家族や友人、仕事の人・・・身近な人に自分とはどのような人間であるか聞けばいいのである。それが一番の真実である。けれども、人は自分を探すために旅にでる。それはきっと、理想の自分を探すためであるのだ。」

旅はいつでも可能性に満ち溢れている気がするのだ。自分の背景など何も知らない人の中にいると、気負わない自分がそこに存在していることに気づく。普段接しない世界にいる人と会話をすることで自分の中で引き出されるものに気づくこともある。いつもいる世界では到底ありえないようなアクシデントに遭遇したときに自分の能力に気づいたりもする。

きっと、旅人は今までの自分がどのような人間であったかを探しにどこかに旅にでるわけではなく、自分の可能性や潜在的な能力を知るために旅にでるのだろう。それを、これからの人生のヒントにするためにも・・・・。

旅人に会うと、いつだって沢山のことを考えさせられる。彼女と過ごした3日間は予想以上に濃密であり自分という人間を整理する素敵な機会であった。誕生日を迎える前にこんな素敵な再会に恵まれるなんて・・・・シティのとある宿の台所でフランスパンとゆで卵を食べながら長々と話した最初の出会いからは想像すらできなかった。

彼女は、9月からスペインの大学に行く。次回会うのはスペインか?否、その前に彼女に逢いに京都に行こう・・・・。まだまだ、彼女から吸収することは沢山ある。

3/08/2009

幻想的。

金沢のお気に入りの喫茶店でハーブteaを飲んで以来、ハーブが大好きである。ブレンドして煮立てて飲むハーブteaは体を包んでくれる。

同居人が彼から譲りうけたというハーブteaのためのサイフォン?と、私の調合したハーブでハーブteaを楽しんだ。アルコールランプとハーブの匂いに癒され、そして飲むことで更に癒されて、時間までがゆっくりと流れていくようであった。 

なぜだか、この斜めの家には、お香やランプやロウソクや・・・・そういう類の火が似合うのである。



3/02/2009

漏電・・・。

どうやら昨日も今日も漏電する日であったらしい・・・生きるエネルギーを。

赤ちゃんは、基本的欲求を喜怒哀楽で表す。
それは、言語が未発達であり世界はまだ自分と両親以外の存在が不確かであるがゆえである。

けれども、それはある程度の年齢までの話であり、思春期を過ぎた辺りからいろいろなものが養われていくはずである。自立であり、自律であり・・・・。

なのに、なぜあの人達はいつだって空腹だったり寝起きであったりすると、自己抑制が故障するのであろうか。 確かに、看護師は医師のもとの仕事であると謳われている。けれども、チーム医療であり、医師は常にだれかの主治医であるのだ。その責任は仕事外の時間であっても時として負うべきものであると思う。

それなのに、患者の具合が思わしくないとの電話に逆切れするのは心の中だけにしてほしい。私たちだって、できれば電話などしたくない。けれども、どうにもいかないことで電話をしているのだ。せめて、電話の対応ぐらいしっかりとしてほしい。

勝手に怒って、どなって、電話を一方的に切るなんておかしいことである。こんなことが理不尽にもこの2日間で数回続くと、さすがに漏電してしまう。

あの人達は、何か気に入らないとすぐに怒るけど疲れないのだろうか。そんな疑問も過ぎるが、まぁそんなことを考えたって仕方ない。

一番の被害者は患者であるといつになったら気づくのだろうか。
きっと気づかないのだろう。それもひとつの生き方であると思うしかないのだろう。

さて、エネルギーの無駄遣いは止めて今日の「旅人会 IN斜めの家」の準備にとりかかろう。なんだか、楽しくなってきた。だから、漏電の事実はもうどこかに追いやってしまおう。 THE  END

3/01/2009

頑張ることは素敵なこと。

友人からシンガポールに行くとのメールが送られてきた。彼女は私が尊敬する友人の一人である。大学を卒業後、看護学校に入学、5年間勤務後に、昔からの夢である建築関係の仕事に就くために建築事務所でインターンとしてキャリアを積み上げてきた友人である。そんな彼女とはとある検診センターで知り合い、もうかれこれ4年近くの月日が経過している。最後に逢ったのは、友人の結婚式であったように思う。

そんな、生きることに常に貪欲な彼女がシンガポールで働くというメールを送ってきたのは当然のような気がして、あまり驚くことはなかった。彼女が頑張っている姿を想像するとただそれだけで胸が高まり、約束されていない・・・とても不安定である未来が突如光を放つのである。

「遊びに行くわ。」とのメールを返信した。特に、頑張ってねとかそんな言葉は不要な気がしたから。

彼女の返信は、
「きっと貴方ならそんな返事をくれると思ってたのよ。お互い東京にいるときよりも逢えるかもね。」
そんなメールであった。

もう気分はシンガポールである。まだ見ぬ国を地図上で想像して楽しむ。これが至福の時である。きっと彼女とはいつかシンガポールのセントラルでお茶をして、「人生って、想像以上に素敵で、想像以上に可能性に溢れていて、頑張れば、思っていれば、叶っていくものなのね・・。」と話しているに違いない。

いつだって、友人に刺激をもらい私は生きている。

JAN KAPLICKY PROFIL,




プロデューサーであるエリシュカ・フフォヴァーとヤクブ・ヴァーグネル監督がチェコテレビと共同で制作した、チェコ人建築家ヤン・カプリツキーのドキュメンタリー作品。監督とカプリツキーが様々なテーマについて語り合う。

カプリツキーはプラハの美術大学を卒業した後、1968年にイギリスへ移住する。イタリア人建築家レンゾ・ピアノなど、世界的に有名な建築家たちと共に多くの仕事をした後、1978年に Future System という自身の建築事務所を設立する。1980年代には多くの近代建築を手がけ、また、イギリスで唯一、NASAと仕事をした建築事務所にもなった。ロンドンにあるクリケット・スタジアムのLord's Media Centre の建築において彼はイギリスで最も権威のあるスターリング賞(王立英国建築家協会による賞)を受賞した。インディペンデント紙が選んだ「世界の最も重要な現代建築」の中にカプリツキーの2つの建築、Lord's Media Centre(ロンドン) と 百貨店 Selfridges (バーミンガム)が含まれている。
彼の建築事務所 Future System が手がけた建築は、ヨーロッパのみならず、アジアやアメリカにも見られる。建築家ヤン・カプリツキーは2009年1月14日に急逝した。


・・・という、今回のチェコ大使館の上映映画のお知らせをみて、これはいかなくてはと思い2度目の大使館訪問となったのである。  今回は、学生時代の友人であり、尊敬する兄のような素敵な方と待ち合わせをした。大使館で久々にお逢いした友人との会話は想像よるはるかに興味深く、楽しいものであり、映画の内容も思った以上のものであった。 彼の知性は私の想像できないようなレベルであり、吸収するものが沢山あり、とても実りのある素敵な時間を過ごすことができたのである。  彼に逢ったことで、そして映画を観たことで私の中で何かボタンがかちっと入ったように思った。さて、今日も明日も明後日も・・・ずっと頑張ろう。