1/30/2009

夢。

Paris  ルーブル美術館

小さい頃からよく夢をみる、というか覚えている。
最近、怖い夢をよくみる。なぜだか鮮明に残っているその夢には
何か意味があると思わずにはいられない。

今日は、優しい夢をみれるといいのだけど。

影。


                               マドリッドで散歩。
                                    
人が辛い思いをしているのをそばで見るのと、
自分がその辛さを背負うのと、いったいどちらがラクなんだろう?

そんな言葉をみつけた。

どうなんだろう。ニーチェは同情することは自分が自壊することを助けると説いている。人の辛い姿をありのままで受容することは不可能かもしれない。否、もしかしたら人の辛さをみた瞬間に涙が自然にこぼれてきたら、
その涙はありのままの受容になるのではないだろうか。

太陽の力をかりて、人の心も自分の心も影のように映し出せればいいのにと思うことがある。人の心など、全ては想像の世界である。

なぜなら、私は自分の顔でさえ鏡でしかみることができないのだから。
自分の眼で、鏡ではなく本物の自分の顔をみることは不可能である。

自分さえ確認できない私が、何を確認することができるのだろうか。



1/29/2009

KARAMAZOVI



久々に広尾で降りた。向かった先はチェコ大使館。チェコはプラハを旅したことがある。 近所に確か、ピノキオというゲイBarがあり、その何軒か先の安宿に泊まった。 その安宿で出逢ったロシア人4人組みと毎日飲み明かした記憶は鮮明である。後は、冬という季節もたすけてか、街全体に素敵なシュールさが漂っていた。 そして、チェコのBEERは本当に美味しかった。そんな具合の記憶である。

でも、私はポーランド、ハンガリー、ブルガリア、クロアチアと並ぶ位チェコが好きである。
なぜと問われると、答えに窮するがとにかくなにもかも魅力的であった。

たまたま、渋谷のチェコ料理のお店「ano」のHPを開いていたら大使館でチェコ映画の上映会があることを知った。よく読んでみると、チェコ語音声の英語字幕であるという。なんとかなるかなという気持ちで早速参加希望メールを送った。

当日。広尾駅で降りて大使館を目指した。外国を旅している錯覚に陥り街はどこか私の心を弾ませ、そして旅に行きたい衝動を彷彿させる。

チェコ大使館はとてもお洒落な建物であり、建築をみるという視点で訪れても楽しめるような気がした。流暢すぎるほど流暢な日本語を話す素敵な館長さんに迎えられ入った大使館で、沢山のチェコ人に逢った。なんだか、その事実が更に私をあの時の時間に戻し、楽しませてくれるのである。

「KARAMAZOVI」はドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」に絡んだ話である。2009年のアカデミー賞にノミネートされているとか・・・。

私がドストエフスキーの作品である「カラマーゾフの兄弟」を読んだのは随分と昔のことであるが、鮮明に記憶に残っている好きな言葉がある。

☆この地上では、こうして馬鹿げたことが必要すぎるくらい必要なんだよ。この世の中は馬鹿げたことの上に立っているので、それがなかったらもしかすると、この世には何事も起こらなかったかもしれないくらいなんだ。われわれは知っていることしか知りやしないんだ。☆

☆女の心は何ともあっさりと信じやすく、移り気で、しかも背徳的だ。☆

☆この地上にに生きとし生けるものはまずその生を愛さなければならない。☆

作家であり監督であるペトル・ゼレカンの訴えかけたものをゆっくりと考えていきたい。そして、また、ドストエフスキーの作品を紐といてみよう・・そう思った。

In its portrayal of searching for God and attempts to prove and reject its existence,a line of reason emerges:if there is no God.everything is permitted.

CINEMA,




気分がなんだか落ちているときは、映画や本の世界にビショビショになるまで浸る・・そう浸かるのである。


久々に感動の涙を流したいと思った。涙など、特に涙の理由など誘導するものではないかもしれないが、落ちている自分を上げるためには有効な手段であると思っている。

「The Music of My heart」

いつ観ても、この映画が大好きである。
本当にあった話であるということも驚きであり、人生がいかに濃密に構成されているかということを思わせるけれど、カーネギーホールに行く車の中で母の言葉が更に私の涙を呼ぶ。

「別れた旦那に感謝しなさい。あの人のおかげでここまでの過程があり、今日があるのよ。」 確かそんなセリフであったと思う。

どんな辛いことであっても、いつかは感謝できるのかもしれない・・・その方向はまちまちであったとしても。だからいつでも感謝して、生きていきたい。


1/23/2009

社交性。

立場は違っても、女同士は合わせ鏡だ。自分が彼女だったかもしれないし、彼女が自分だったかもしれない。そう思えば、優しくなれる。

その言葉に、なんとなく頷きもっと優しくならなくてはと思う。
20代の頃から考えて・・・といっても一年足らずではあるが。
失ったことと得たことを意味などなさないのに天秤にかけてみた。
きっと、失ったものを実感してくるのは今時期からなんだろうと思う。
得たものを実感してくるのはもっと後になってからなんだと思う。

結局は天秤にかからない。
そしてかける意味もなかった。

ひとつだけ、最近失ったものを感じた。
それは「社交性」である。

もっと、人間が好きだった。
もっと、人が好きだった。
新しい出逢いを純粋に喜んでいた。

新しい出逢いに臆病な自分がいる。
出逢いの会話に自分との共通点がでてこないと、
ただそれだけで不安になる。

あれだけ、人との出逢いを望んでいた私はもうここにはいない。

今まで生きてきた過程での経験が、私を助けてくれるのと同時に
私を臆病者にする。

もうすぐ誕生日。私はひとつ歳を重ね、そしてまたひとつ臆病になる?


ガール。

ガール


早朝より母から電話があった。
腰を痛めて動けないので来てほしいとのこと。
実家に帰ることにした・・といっても同じ都内であるが。

家事を終えて暇となったので、弟の本棚を物色すると奥田英朗の本が並んでいた。 本の帯の「さ、いっちょ真面目に働きますか。」が目にとまりこの本を手にとった。

このての本はあまり読むことはないのだけれど、最近なんだか自分がため息をつくことも、 周囲のため息を聞くことも多いように思う。 だから、読んでみようと思った。

気分を変えるために働いている違う畑の仕事も、
最近はなんだかしっくりこない。
そして思う。

働くってこういうことよね。

最近の唯一の避難場所は塾である。
勉強をしている時の自分が一番精神的に落ち着いている。



1/17/2009

コメント。

「貴方は強いね。」と言われることで私は強くなる。
「ひとり旅が好きなの?」って聞かれるたびにひとり旅が好きになる。

自分の中で確実なものって実は少なくて、人に言われることで
気づくことや確実になるものって多い気がする。

本当はそんなに強くないのに、強くなくてはと思う。
なんでだろう。自分に自分で嘘をつきたくなるってなんなんだろう。
何もいい事なんてないのに。でも、必要があるから強くなるのだろう。

今日は、頭が混乱している。
なんだか沢山書きたい気分である。
だから最近もらったコメントにお返事してみた。

なんだか、ふらふらする。心の中が。
なんでだろう。

あっ、久々に心の風邪をひいた人達に会ったからだ。


贈り物。

手紙を整理していた。その時に、手紙と供に贈られた物がでてきた。

手紙を書くときは、その人のことだけを考える。
贈り物を何にするかを考えるときもその人のことだけを考える。

贈り物の時は特にその人のことを考える。
その人のファッションや部屋、読んでいる本、聞いている音楽、旅した場所、
その人との会話・・・・全てが贈り物をする時のヒントになる。

贈り物は勿論嬉しい。
けれども、その過程を考えるともっともっと・・・飛び上がるほど嬉しい。



カメラ。

本物のカメラは体の中にあるから必要ないのかもしれない。
写真は好きだけれど、五感をフルに活用したほうが
体には染みこむ。そんな気がする。

素敵な写真が撮れたということは、
私は自分の一部分である目でその素敵な風景を見ず、
カメラ越しにその素敵な風景の一瞬を見たことになる。

そんな悲しいことはない。

写真は記録であり、記憶でも思い出でもないのかもしれない。

1/16/2009

。。。




旅をしてなかったら。
トルコからドイツを目指していなかったら。
きっと、あの国は通らなかっただろう。
きっと、私にとって見知らぬ国であり、
新聞で、TVで、そしてドキュメンタリーで、
あの国の名前がでたとしても。
きっと私は、目にも留めなかっただろう。

けれども、私は旅をしてその国を肌で感じた。
だから、きっとこのドキュメンタリーを借りようと思ったのだろう。

谷川俊太郎。

朝日新聞の今日の夕刊の3面。

谷川俊太郎 1月の詩

あなたの心は沸騰しない
あなたの心は凍らない
あなたの心は人里離れた静かな池
どんな風にも波立たないから
ときどき怖くなる

あなたの池に飛び込みたいけど
潜ってみたいと思うけど
透明なのか濁っているのか
深いのか浅いのか
分からないからためらってしまう

思い切って石を投げよう あなたの池に
波紋が足を濡らしたら
水しぶきが顔にかかったら
わたしはもっとあなたが好きになる



そう、あなたの池に飛び込んでみたいけれど、
そこが透明で深いのか分からないからためらうの。
石を投げて、水しぶきがかかればいいけれど、なにもかからなかったら?
と思うと、石は私には重すぎるの。
池の底から、噴水のようにとは言わないから、何かサインくれないかしら。。。

ボロ市。

母に誘われて、世田谷のボロ市に行った。想像以上の人ごみに早速人酔いする私。そんな私とは対照的に行動的な母は、颯爽とボロ市を歩き、楽しんでいる。 私のテンションが下がるのと反比例しているようだ。

テンションの下がった私の前にハーブの花束 500yenという文字が飛び込んできた。
勿論購入。その後は、ハーブの匂いに助けられなんとか人酔いを克服した。

バスで渋谷まででて、ランチ。
そして吉祥寺に向かい、「くぐつ草」で珈琲を飲み、通勤ラッシュを避けるため早めに母とは別れた。


今日は、どこに行っても人・人・人・・・・・。
金沢位の人口が、私には心地よいなぁとしみじみ思った一日。

さて、勉強しよっと。


1/14/2009

サラエボの花。



三鷹にある居酒屋。
赤提灯が目立つ居酒屋。
一度行きかったのである。

そのお店は、予想を素敵に裏切ってくれるお店であった。
居心地の良さに、赤提灯がしまわれてもなおも飲み、
気づいたら店長もカウンターに座り、飲んでいた。

ふと、ブエナビスタソシアルクラブの音楽が流れてきた。
なんだか、そんなシンクロにまた惚れる。
 

また、行こう。またひとつ、お気に入りの飲み屋ができた。

☆後日、お店のHPをみた。以前みた「サラエボの花」が取り上げられていた。この映画はとても考えさせられる映画だった。最後にこれを読んだ人は是非この映画を観てほしいと書かれていた。私もそう思う。是非観てほしい。☆


1/13/2009

いずこ?

浅草にある「天国」という名の喫茶店。想像とは違うモダンな喫茶店ではあったが、この名前と字体が、私のイメージする天国を表しているように思う。
ドーハから関西空港に向かう途中。飛行機に乗って嬉しいこと。それはこの空を眺められること。飛行機に乗り、沢山の国境を越え、何にも包まれていない自分に自由を感じることがある。 空って偉大だ。空はいつでも私の上にいる。どんな時も。そういえば、昨日も一昨日も月が綺麗だったなぁ

1/12/2009

なんだろう。

以前働いていた仕事場。私が新人の時からの先輩は、今でも私の先輩である。
先輩は現在、都内の高校の養護教諭をしている。
「死にたいとは思わない。消えたいの。」
そう生徒が口にするたびに考えさせられると言う。

看護学校時代の友人が重いうつ病に罹患していた。
最近調子が良いと聞き安心していたのだが、電話の声はひどかった。
「彼とは離婚したいけど、それが不可能だから仮面夫婦でいることにしたの。」
どこで、ボタンはかけちがえられたのだろうか。

友人が4年の付き合いに終止符をうった。
その結果に納得のいかない相手が包丁を持ち出して脅すと涙ながらに
電話がかかってきた。 愛情と憎しみは平行なのだろうか。

「君より両親が大事なんだ。」と言われ、自分の両親からは「彼と今後も
付き合うのあれば、親子の縁を切る。」と言われ目の前でどうしたらいいの?
と泣き出す友人に、何もしてあげられない。

人は皆、自分が想像もつかない人生を歩んでいるのかもしれない。
生きることは、一本のレールの上をひたすら辿っていけばいいような、
そんな簡単なものではない。時にはレールが見えないかもしれない。
時にはレールが複数になっているかもしれない。時には・・・・・。

複雑に絡み合った中を潜り抜けていくことは本当に大変で、
でもそれが生きていることなんだと言い聞かせていくしか
ないのだろう。

勿論、笑顔で。



中学生。

中学校のスキー合宿の引率の仕事の依頼がきた。拘束時間が長いため、あまり行くことはないのだが、今回はなんとなく「お願いします。」と返事をした。普段、中学生に逢う事など滅多にないので、いざ前日になると、不安が過ぎって引き受けたことに対しての後悔が頭をふっと過ぎった。 けれども、中学生との4日間はとても癒された。




子供の目線に自分の目線をおろすと見えてくるものもある。異なる職業の人と話すことも、新しい刺激をもらう絶好の機会である。 この4日間は、私にとって実のある仕事であった。

1/06/2009

大丈夫なんだ。

たまたまつけたTVに僧侶 西山良寛の古い映像が飛び込んできた。
彼の言葉が今の私に染み入る。

子供のように泣きつかれて、こたつで本を下敷きに眠ってしまった。
同居人が仕事を終えて帰宅した。

ちょっとだけ、今日の悲しかった出来事を話してみた。
彼女の優しさに甘えて、少しづつ元気になる。

こたつで石のように動かない私のために、夕ご飯を作ってくれた。
食後に珈琲も淹れてくれた。一緒にTVをみてひとしきり笑った。

あんなにも辛くて涙した時間は薄まった。
ご飯をおいしく食べれて、笑って楽しいと思えて、
同居人と一緒の時間に幸せを感じられる自分に安堵する。

思ったより私は元気なようだ。
さて、眠りについて新しい朝を迎えることにしよう。
明日からはスキー合宿の引率の仕事が始まる。

上手に切りかえて、頑張る。
それが、生きるエネルギーの正しい使い方。今、ようやく思い出した。

今日だけは無理。でも、明日はまた新しい日。


ギリシャのサントリーニ島。宿泊していた宿のプール。明るい時間は勿論海で泳ぐ。暗くなったら、このプールでわずかな明かりのもと泳いだ。否、浮かんでいたといったほうがいいかもしれない。生きていれば、風のない日だって、弱風の日だって、強風な日だって・・・ある。そんな当たり前すぎる事実をいつだって忘れがちな自分が時々嫌いになる。いつだって、予期しないことが起きるから人生とは楽しく、そして辛いものであると理解しているつもりが、ちっとも理解できていない自分がもっと嫌いになる。でも、私が私を嫌いになったら、私という存在はどうしたらいいのかわからなくなるだろう。益々、大きな穴に落ちるのが、おちである。だから、一生懸命自分を嫌いにならない努力をする。2009年は始まったばかりだというのに、返す言葉もない悲しい、辛い、私の力では何もしてあげられない・・・・ひとつだけできるとすれば、受信をして読んで心に留めておくくらい、・・・そんなメールが3通も送られて、なんだか切ない気分となっているところ。そんな、よくわからない負の連鎖は続き・・・我侭な患者さんに殴りかかられ辛らつな言葉の数々を投げつけられ、なんだかもうどうしようもないくらい悲しい気分だというのに、やっと終わった長い長い夜勤が終わる直前、心ない同職者の言葉に深く傷つき、なんだか思ったよりも元気はでず。自分で思うよりも、心は修復不可能で、発想転換をしてみたり、新しい下着を沢山買いこんで、今までの下着全てにさようならを告げてみたり、大好きなお酒を青空の元で多量に摂取してみたり、大好きな作家の本をお気に入りのソファで読んでみたり、いろんなことを試みたけれど全然ダメで、なんだかそんな自分がどうしてしまったのか、聞いてみたくなるけど、よくわからないって答えしか返ってこない。きっと、このいろんな事実から私は逃げ去りたいのだろう。だけど、私は逃げられない。わかっているのに逃げようとあらゆる手段を頭に浮かべてはため息。明日からは、3泊4日の仕事がまっている。負は連鎖する。糸も簡単に・・・。だから、今日でこの問題からは逃げ切らなくてはいけない。全力疾走は難しい。だから、久々に銭湯に行って、最近お気に入りの明治ラガービールを飲んで眠りにつく。結局私を助けてくれるのは、いつもの通り、睡眠と時間であるようだ。でも今ちょっとだけ心揺れていること。それは、また東京を離れて、遠い地で働くこと。けれども、時々しか行かない喫茶店のバイトが頭を過ぎり決心がつかない。珍しく後ろ髪ひかれるものがある・・・それに自分自身が一番驚いている。暗くなった中で、あの明かりだけで浮かびたい。そうしたら何か素敵な考えが浮かぶかもしれない。なんだかふと、そう思った。私、どうしたいのだろう。わかっているのは、わからないということだけである。そんな春樹さんの言葉が過ぎる。

1/05/2009

どれもこれも・・。 ヨーロッパ編

友人が自分にとってのBEST写真を今月中に選んでほしいと言ってきた。どれもこれも、好きな写真である。そこから選ぶのは難しい。まずはヨーロッパから・・・。

ブルガリア、ソフィア。皆、ここで思い思いに水をくむ。

一番好きな街、フランス、アンティーブ。 ここでのお昼寝は最高であった。

スペイン、バルセロナ。 ガウディの「カサ・ミラ」  夕方の散歩で偶然とれた一枚。




ドイツ、ミュンヘンのお祭り。 バーバファミリーに扮した、ファミリー。



トルコ、イスタンブールで焼きたてのパンを売る父と子。





言葉。

仕事の前にいつものおじちゃんからTHE BIG ISSUEを購入。
今回のインタビューは私の好きなゲバラの映画化を記念して主役のBenicio del Toroである。

その冒頭にあったのが「信頼カルテ」。
そこから好きな言葉を抜粋してみた。

☆石も緑になる、もし心をこめて近づくなら (アルメニアの諺)
☆なんでもいいんだよ。なんでもいいから、人は信じるものがほしいんだよ(浦沢直樹)
☆空気と光と、そして友達の愛、これがあれば気を落とすことはない(ゲーテ)
☆この世には人間の信頼に勝る化物はないのだ(三島由紀夫)
☆信頼は、年を重ねた胸の中でゆっくりと育つ植物である(イギリスの政治家)
☆全てを疑うか、全てを信じるかはふとつとも都合のよい解決策である。どちらでも我々は反省しないですむからである(ポアンカレ)
☆友情は成長の遅い植物である。それが友情という名に値する以前に、それは幾度か困難の打撃を受けて耐えられなければならぬ。
☆益者三友(正直な友人、信頼できる友人、学問知識のある友人)


1/03/2009

2009年という年。


2009年が始まった。この時期にひとつだけ好きなこと。それは「年賀状」である。年賀状は友人たちを同時に感じられる素敵なハガキである。この制度を考えた人に感謝。そして、私の周囲の人たちが年賀状派であることに感謝である。

同居人の姉、つまりは私の親友が遊びにきた。忘年会は同居人の料理を楽しんだので、新年会は私の料理でもてなすことにした。

豚と卵の角煮 ご飯 納豆・きのこ汁
オリーブとパプリカとほうれん草のサラダ
えびとしめじの茶碗蒸し
そして、同居人の彼からの差し入れの
鰹とかにとしゃぶしゃぶ用の牛を冷蔵庫で発見。
急遽、それらも追加。
随分と豪華な新年会となった。

久々に、一緒に行った旅の写真を見た。
時々、挟まっている動画は更に懐かしさを上昇させる。
「思い出は宝物」・・そんな言葉を聞いたことがあるが、本当である。
あの時の記憶で、今も幸せになれる私たち。
あの時に共有した時間は「モモ」にでてくる時間泥棒だって盗めないはず。

私たち、旅にでる。
わかっていることは、旅にでるということだけ。
その楽しみだけで、当分は生きていける。