12/09/2008

沢木耕太郎いう人が現在までに与えてくれる沢山のこと。

旅する力―深夜特急ノート



新聞の本の広告欄で見つけた、沢木耕太郎の本。
その本「旅する力」に飛びつかないわけがない。
勿論、その日仕事帰りに本屋に足を運び購入したのである。

沢木耕太郎の「深夜特急」が私を旅に結び付けてくれた。
「深夜特急」を大沢たかおが熱演したドキュメンタリー的なドラマが、
旅に行きたい私を更に押した。

更に、親友の「日本にいては見えないものを見に旅に行こう。」
の誘いが私が旅に踏み入れる最終的な契機になったのである。

この本の終章を深く深く、とても深く頷きながら読み進めた。

彼は最後にこう言う。
「私が旅という学校で学んだことがあるとすれば、それは自分の無力さを自覚するようになったということかもしれない。もし、旅にでてなかったら、私は自分の無力さについて随分鈍感になっていたような気がする。旅に出て手に入れたのは「無力さの感覚」だったと言ってもいいくらいかもしれない。

いま、私はいかに自分が無力かを知っている。できることはほんのわずかしかないことうを知っている。しかし、だからと言って、無力であることを嘆いてはいけない。あるいは、無力だからといって諦めてもいない。無力であると自覚しつつ、まだ何か得体の知れないものと格闘している。無力な自分が悪戦苦闘しているところを、他人のようにどこからか眺めると、すこしばかりいじらしくなってきたりもする。おいおい、そんなに頑張らなくてもいいものを、と。

しかし、そのように頑張ることができるのも、もしかしたら自分の無力さを深く自覚しているからかもしれないのだ。そこからエネルギーが湧いてくるのかもしれないのだ。

私が旅という学校で学んだのは、確かに無力だということだった。しかし、それは、新たな旅をしようという意欲を奪うものにはならなかった。」


彼が言うように、私も旅で自分の無力をひしひしと感じ、自分の位置、自分の背丈を知り落胆しながらも、今少しずつ前進している。日常にばら撒かれている沢山の小石を時に踏みつけ、時につまずき、時に突き刺さり、それでも私はその敷かれた小石の上を歩いていくしかないのである。  全てが必然であるという事実を知ってしまった今、私はどこからも逃げることができない。 その状況下において、自分がすべきことを考えていかなくてはいけない。 

この本は、深夜特急を徹夜で読んだあの時の自分を思い出させ、そして新たなテーマを投げかけてくれたのである。


「問題は予期しないことが起きるということを予期していないところにあるのではないか。」
そう、本当にそうである。

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