8/19/2008

シンプル。  素。

連日の暑さ。連日の仕事。
ちょっとばかり、否かなりの疲労感。

でもそんな時に私を癒してくれるのは、痴呆の患者と心の風邪をひいた人たち。

心の風邪をひいた人たちと手作り夏祭りを楽しんだ。私の係りは、ヨーヨー作り。皆での共同作業なんていつぶりだろう。単純に楽しめた。手作り夏祭りを皆楽しみ、私も楽しんだ。きっとこういうことが、心の休息であり、「楽しむ」ということは単純にこういうことなのだろう。今年始めての「夏」を楽しんだ。

「痴呆」のイメージは世の中では暗い。確かに、家で介護をしている人たちにとって「暴力」「徘徊」etcは深刻な問題であろう。私たち医療者でさえ、患者の痴呆には頭を抱える。でもその一方、癒されることもある。

今日もピンクのパーカーを着た80代のおじいちゃま、朝からトイレで全身びしょびしょ・・「どうした?」の問いに、「いろんなボタンでいたずらしちゃった。」と茶目っ気たっぷりに言う。その姿はまるで小さな子供のようである。ウオシュレットで遊んでしまう患者にやれやれであるが、朝の忙しさにつかの間の笑いをいれてくれる、癒しのおじいちゃまである。

元ペンキ屋の親分であるという80代のおじいちゃま。家に帰りたくて仕方ない彼は、看護師の目を盗んでは、脱走しようと試みる。  見つけては「どこ行くの?」と聞くと、「ちょっと息抜きだよ。」とか「外を見てただけ。」とにやにやしながら答える。「まさか、病院から抜け出そうとしていたの?」と言うと、「やぼなこと言うなよ、俺がそんな悪いことするわけないだろう。」と下町口調で、満面の笑みを向け答える。


まぁ、なんだかんだこの仕事に癒されている私である。

「痴呆」とは、死を受け入れるための準備なのだとよく言う。死の恐怖から逃れるためには「退行」。 そう、死の恐怖を知ってしまったら、その恐怖から逃れるための手段 として、「痴呆」が存在するのかもしれない・・・。

経験や知識は、時として生きる上で邪魔になる。無垢な子供時代・・・そのままで生きていくほうが上手くいくこともあるのだろう。

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