6/30/2008

そういう風潮?

最近、世界遺産の落書きが問題になっている。
確かに歴史的な建造物に落書きなんて問題である。

けれども、私から言わせれば「今更?」である。
旅をしていたら、沢山の落書きに遭遇する。

世界遺産だけではなく、安宿の2段ベッドの下で寝ていたって、
トイレに入ったって、電車にだって・・・それはそれは・・。

本当に沢山の落書きがあるのだ。

いけないことは報道するべきかもしれない。
報道によって、皆が落書きをすることがこれほどにも重罪
であるという認識を持ち始めるかもしれない。

この報道によって落書きを通報する人が増えた
ようである。

世界の遺産を傷つけたことを嘆いて報告しているのか?
それとも・・・・。

なんだか、私には嫌な空気が流れ始めているようにしか思えない。

意味があるんだなぁ。

最近思うこと。

なんでも、結論を急がないこと。
そう思っても、今自分がしていることに対する見返りを
すぐに求めがちな自分がいる。
すぐに結論をだしたい自分がいる。
何をやるときも意味を問いただしたくなる自分がいる。
なぜ故そんなに急いでいるのか自分でもわからなくなるくらい・・・。
私は何かに急いでいる。まるで、満員電車を降りるときに皆の
「急がなくては」という波動のようなものに乗ってしまい、
急いでないのに、急がなくてはと思ってしまうときのように。


心の風邪をひいている人たちの元に、行く機会が増えている。
確かに、人手不足である。でもそれよりも何よりもきっと・・・
私が求めているように思う。ここにくることを。

日常の生活の中で、そう簡単に言われることのない言葉。

「今度はいつ逢えるの。いつ来てくれるの。」
「もっと沢山逢いたいのに。」
「逢うとそれだけで元気になるから。」
「今日逢えて良かった。来て良かったよ。」
「話聞いてもらえて嬉しかった。」

ここにきて、私が風邪をなおしてもらう。
風邪をひきやすくなった私の、唯一のクリニック。
私の風邪は、ここでしか治らないのかもしれない。

私と同世代。大学時代に発症した心の重い風邪。
彼は最近元気がなかった。

そんな彼と話す機会に恵まれた。
彼と私には共通点があった。

同級生。そして浪人。そして同じ塾で学んでいた。
その事実に今まで暗かった彼の表情が一変した。
笑顔となり、嬉しそうに皆にその事実を告げた。そして私に、
「今度、その時代の話を沢山しましょうね。」と言って帰宅した。

浪人時代が決して楽しかったわけでない。
塾だって好きではなかった。

けれどもあんなに落ちていた彼が、この事実を聞いただけで
ここまで笑顔になるのを目の当たりにすると・・・・・。

私のあの時にも、大きな意味があったのだと思えるのである。

あれは、もう12年前の出来事。
確かに、あの時があって今の自分がいる。
あの時頑張ったから、今の資格があり、今の仕事がある。

けれどもそんな事実よりも、彼の笑顔のほうが私の人生の意味を
語ってくれているように思うのである。

人生に意味のないことなんてあるはずがない。

そう、今なら歯切れよく言える自分がいる。

6/25/2008

レッドゾーン。

言葉の贈りもの。

未来のために今を耐えるのではなく、未来のために今を楽しく生きたい。

久々に大好きな友人から連絡がきた。そして彼はこの言葉を私に投げかけた。きっと彼は今、自分に言い聞かしているのだろう。

私はそれに返信をすることはしなかった。 
今は返信する時期ではない気がしたから。それは、彼と私が友人としてのレールに乗ったときに決めたであろう「暗黙のルール」。

今は、1ヶ月の中で一番気をつけないといけないレッドゾーンの期間である。物事が総てマイナスに進んでいる錯覚に陥る時期。否、錯覚ではない気もする。それ自体も錯覚か?

とにもかくにも、このレッドゾーンの時期は物事の判断能力がとてつもなく鈍るのである。そして、思いやりが欠ける時期である。だから、言葉を発するときも行動するときも、最新の注意をはらっているつもりである・・・・それでも、やらかすのである。

自分をControlできないことが更に気分をマイナスにもっていく。



この時期に一番困ること。
普段、人は人で自分は自分と割りきって生きているのにそれができなくなることである。人の行動や言葉が気になる。些細なことにも反応してしまう。そして落ち込む。



こんな時、21世紀美術館のこの空間は最高の場所であった。
友人と訪れた時も、ひとりで立ち寄った時も、必ず寝っ転がってひたすら空をみた。雲を見た。

365日変化するARTは私に優しかった。あの場所に行きたい。そう、今行きたい。もうすぐ壊れそうである。今回のレッドゾーンは手強い。


未来のために、今を楽しく生きたい・・・・確かに、うん。


でも私は、今のために今を楽しく生きたい。
でも今の私にはそれができない。もがけばもがくほど溺れる。

だから、逆らわずいこう・・・・かな。

6/17/2008

中田英寿。

COURRiER Japon (クーリエ ジャポン) 2007年 12月号 [雑誌]


サッカーには興味はない。だからサッカーをしている彼に興味を持つことはなかった。けれども、彼が沢木の言葉を残し引退したときから、私の中で彼は好きな人となった。

「人生とは旅であり、旅とは人生である。」

この言葉は私が生きていくうえで、常につぶやく言葉である。

インタビューで彼が残した数々の言葉が今の私の心の奥をつく。

「ぼくにとって重要なのは、今で、明日で、昨日じゃない。過去から学ぶこともあるけれど、今起きていることを重要視したい。」

6/15/2008

報道。

イランで人質になっていた大学生が解放されたNEWSを耳にして 、
なんだかほっとした。彼とは面識はないが、旅人であったという
共通点から8ヶ月の間、時々ふっと思い出すことがあった。


心の風邪をひいている人たちの場所に行ってきた。
そこでやっぱりと思うことがひとつ。

「こないだの通り魔事件の犯人の気持ちが、自分と重なる気がする。
そして怖くなる。大丈夫だろうか?」

そんな訴えが沢山聞かれる。

近年、報道の加熱が謳われている。私もそう思う。
確かに事件の詳細を伝えるのが報道の義務かもしれない。

けれども、あんなにも加害者や被害者、そしてその周囲を詳細に皆に
伝えるべきなのだろうか?

その人たちの胸のうちや、加害者の心理状態などを憶測から報道する
場合もある。それはどうなのであろうか?

今回の加害者の心理状態。それを詳細に伝えることで第2の事件が
起きるかもしれない。

動揺してしまい心の風邪を悪化させてしまっている人も沢山いる。

真実を伝えることは大事である。けれども、人の心理状態など誰にもわからない。
なぜなら、他者の気持ちは他者=本人にしかわからないののである。
その本人でさえわからなくなっているのである。それを、わかろうとするのは無理
である。  推測的は報道は時として人を混乱させる。

6/11/2008

樽話2。

この樽がマンホールであったとして・・・・。

社会との断絶を図るためにこの樽の中に入ってしまいたいと思う。きっとことの樽の奥底はなにかと繋がっているに違いない。久々に春樹ワールドすなわち避難所に非難をしたい気分である。なんて素敵なタイミングで樽が送られてきたのであろうか。昨日の仕事で沢山の雑音が私の耳に入ってきた。人が人のことを非難する時。なぜあんなにも活き活きとしてしまうのであろうか?そろそろ気づけばいいのに・・・・非難からは自分にとって有益なものなど何も生み出さないということを。このての雑音がとても苦手である私はひたすら眠った。眠ってその雑音を消し去ろうとした。でもこのての雑音は高音域なのか、それとも低音域なのか、わからないが耳に残るのである。私の仕事は一人では困難でありチームで動く仕事である。だからある程度、様々なことを我慢する必要もある。諦める必要もある。    仕事にいろんなことを求めてはいけないのである。自分の価値観で生きていくことは否定しない。でも自分以外の価値観があるという事実を知った上での話しである。もっと思いやりを持って・・・彼女たちには無理な相談なのであろうか。私の周囲に泣いている人が沢山いることはお気づきかしら?

樽話1。

本屋を営む彼は、信頼している人にお店を任せ家業の樽屋さんを継いでいるのだという。私の家にも樽を送ってくれた。 同居人が凄いものが届いているよ!と朝から大はしゃぎで私を起こす。すると、確かに凄いものが置いてあるではないか。    さて、どこに置けばこの樽の魅力を最大限に引き出すことができるだろうか・・・悩むところである。
それにしても、この座ってもびくともしない頑丈な樽をみていると春樹さんのマンホールを思い出す(ねじまき鳥クロニクル)。

旅行者の朝食。

旅行者の朝食 (文春文庫)


夜勤明けで久々の友人に逢った。最近お気に入りの渋谷のanoでチェコビールを2杯も飲み干し、チェコ料理を堪能した。  外は28℃・・・・そして夜勤明けの体に心地よく入ってくるチェコ。  ここの店員さんがまた素敵である。  小さくて目がぱっちりで可愛らしい声であり「自然体」な彼女。もう、彼女そのものが「癒し」である。  到底彼女のようになることはできない私にとって、これがまさに「憧れる」ということなんだろうとしみじみ思うのである。

anoを後にして、渋谷を散策することにした。角にあるCOOKCOOPで米原万理の本に出逢った。勿論購入。そして、お店の片隅に並んだ珈琲豆から「珈琲のさえずり」というお豆を購入。  そしてそして・・・レジの前に並んでいたアロマの匂いのハンドクリームを購入。

更に歩き、パルコの前にある烏来で足裏マッサージをうけた。とても痛いのだが、それが気持ちいいのである。第2の心臓である足の裏・・・・目・肩・坐骨神経・胃が悪いらしい。なんだか老人のようである。


通勤ラッシュに重なる前に友人とは別れ家路につき、お風呂に入り布団で、米原万理の本を読んだ。やっぱり彼女の世界は私を裏切らない。

マンモス公園。






マンモス公園を友人と満喫した。友人は御神輿をかついだ後であり、お祭り仕様の格好で登場した。他の友人ともんじゃ焼きを食べに行くまで・・・まだ1時間以上の時間があったため、ブランコに乗り滑り台をすべり、近所で買った駄菓子を食べた。







夕方の公園は小学生に戻れる絶好の場所。はしゃぎたい時だって、あるのだ。そんな時は公園である。時には「公園で遊ぼう♪」・・・・そんな約束もいいものである。

6/09/2008

誕生日。

    
同居人の誕生日。
希望の東京タワーで待ち合わせをした。

私の友人が車をだしてくれたため、東京タワーを満喫した後はお台場で食事をした。
都会のネオンが心地よいときもあるのだと、こんな時思う。

わからない。

「何もかもが嫌になった。」

そんな思いに人は一度は陥るはずである。
否、一度ではない。何度も思うはずである。

その事実を彼は知っていたはずである。
人は皆、何もかも嫌になることがあるのだという事実を。

毎日が幸せすぎるほど幸せであればそんな素敵なことはない。
でも、そう上手くはいかないのが人生である。

だって人間だもの。
だってそれが生きているということだもの。

なにもかもが嫌になった自分から、いかにして抜け出す
かを模索しながら生きることが、生きることの意味に
繋がっていくのではないのだろうか。

そうやって模索をしながら生きることを頑張っている人の
命を奪うことは誰にも許されないはすである。

頑張れない自分を正当化する手段など存在しないのである。
頑張るしかないのである。生まれてきたのだから。

泣きながら生まれてくるのは、この世の悲しみや苦しみを
その時にすでに知っているからかもしれない。

頑張るしかないし、
頑張れる。そう、頑張るのだ。

残虐な事件を耳にするたびに、そう思う。

6/07/2008

邦楽で好きな歌。

歌は生活していく上で必要であると思っている。
私の場合は、楽しいときはそれほど必要ではない。
けれども、辛い時や悲しい時には必要不可欠である。

友人に悩みを打ち明けるといつも歌をプレゼントしてくれる。
辛い時や悲しい時は、友人の存在を感じることが一番の安定剤であり、
歌は友人の存在を感じられる大事なものである。

6/06/2008

心の風邪。

久々に心の風邪をひいている人たちのもとに行った。
仕事ではあるが、なぜか落ち着く空間である。

きっと、私も見えない境界線の真ん中あたりを行ったり来たりしているからだろう。
最近は、心の風邪をひく一歩手前あたりにいたから更にである。
久々に行ったその空間、皆が「また、来てくれたの、嬉しい。」と笑顔で迎えてくれた。
心の風邪をひいた人たちは、私の風邪を治してくれる。

人はひとりでは生きられない。
それは、ひとりでは自分の価値に気づくことができないからだろう。
他者がいて始めて気づく自分。 
他者がいなかったら自分が存在していることにでさえ気づかないかもしれない。

皆、思いおもいに自分の今の現状を訴えにやってくる。

「ひとりで家にいるのが寂しくて怖いから、家にいるときはずっと眠ってるの。」
「人になじめないの・・・○○さんが悪口言うの。」
「○○さんが俺のことみんなに悪くいってるんだよ。事実無根なんだよ。ひどいよ。」
・・・・とにかく悩みは滝のようにでてくるのである。

悩み自体はきっと、私たちにも日々起きていることなのであろう。
でも風邪をひいている人たちは、上手く対処ができないのである。
コントロールができないのである。

でも・・・・もしかしたら、皆はコントロールをしているわけではなく、
そういうことに蓋をしているだけなのかもしれない。

風邪を引いている人は蓋が重くて蓋さえできないのである。

ここにいると、沢山のことを考える。

正常とは?異常とは?
上手に生きるとは?生きることが下手ってどういうこと?

誰か私に教えてほしい。

「普通って何?普通って正しい?普通って必要?」

こんな言葉をもらった。

最初に会ったのは偶然。
次に会ったのは必然。
その次に会ったのは当然。
だから、また会えて嬉しい。

やっぱり言葉は「羽衣」である。
羽衣に包まれて優しい気持ちで帰宅した。

ありがとう。

人からもらう事実。

久々に逢った人。

「30代にようこそ。楽しいよ、30代。」
と言われた。そんな彼はもうすぐ40代になる。

これからの目標は?

青年海外協力隊でブータンに行くこと。

私にとってもブータンは未知の国であり、行ってみたい国のひとつである。
是非、彼がブータンに行くことを応援したい。

人生をのんびりと歩いている彼に逢って思った事。

電車に乗ってしまったら、どんなに急いでいるからといって車内を走ったところで、
到着時間が早まることはない。

そう、人生という名のレールに乗ってしまった今、駆け足で行こうが、のんびり行こうが
最終地点も時間も変わらない。

であるならば、私も彼のように自分の思う道をゆっくりと歩もうと思った。


初めて逢った人。


「サルサやっているの。えっ、貴方も?一緒に行こうよ。」
と言われた。そんな彼女は20歳の子供がいる素敵な感じのクラークさん。

サルサ友達は東京にいない。唯一の友人は今スペインである。
なんだか嬉しい。

新しい職場は疲れる。とっても疲れる。仕事を覚えるのも、人間関係も・・・。
その事実に気づいていても、やっぱり新しいことを求めるのはこういうことである。

新しいことに使うエネルギーを考えると、開拓をすることをためらうけれど・・・
それについてくる素敵な出逢いを考えると、これからも開拓していきたいと思うのである。

まずは、彼女とサルサを感じに行こうと思う。
新しいドアが開き、また何か楽しいことが待っているような気がして胸が高鳴るのである。 

だから、生きることは楽しいのだろう。
だから、鬱々とした自分に気づきながらも生きてることをのぞむのだろう。

6/03/2008

雨・雨・雨・・・。


雨は必要。でも、雨が降ると電車の中も髪の毛も洋服も・・・そして心までじめじめとしてくる。

昨日から新しい職場での仕事が始まった。仕事場には恵まれている。でも、朝の満員電車は無理である。

高校生の時は、中央線と京王線の満員電車、そして東横線の乗り換えのための渋谷の人ごみ。看護学校時代は、徒歩であったから問題なし。仕事が始まってからも徒歩。ちょっとだけ中央線の満員電車に揺られていたけど。

でも、あの時は若かったから耐えられていたのか?それとも、埼京線の満員度が酷すぎるのか。朝から、憂鬱な気分である。   電車を3本も見送ってしまった。  

あんな電車乗れないもの・・・・。埼京線で通勤している人を尊敬してしまう。

あと2日間、朝からの出勤。朝は好きだけれど、通勤は嫌だから夜勤でいいや、そう思ってしまう。あまりにも、雨が降り続き私の気分を鬱々とさせるから。

エナメルの可愛い靴と、水玉模様の傘を購入した。水玉模様の傘が、今の私に向けて発信されている沢山の雑音を撥ね返してくれないかなぁ。

喜ばれたお土産 第1位。

バーレーンのとあるスーパーの、エコバック。このエコバック、「エコバック」として有効かどうかは別として、皆が気に入ってくれたお土産である。やや大きめのため、私はランドリーバックに変身させた。

皆のお気に入り。

この家族たちとは・・・バーレーンのお土産屋さんで出逢った。  3家族と共に帰国した。
ひと家族は家で共同生活中。    もうひと家族は実家で父のお気に入りとなっている。
そして、最後の家族は友人の姪っ子・甥っ子のお気に入りのおもちゃとなっているようだ。

でもこの家族・・・・・夜中に逢うと結構怖いのである。

6/01/2008

過去。

久々に過去の日記(ブログ)を紐解いた。
なんだかあまり成長していないように思うし、成長しているようにも思う。

過去は振り返らない。でも躓いたときは過去のある時点まで戻って考える。
大抵同じところで躓く。

なんでだろう?
英語の辞書で毎回同じ単語を引いてしまうように。


美容院に行った。
スパイラルをストレートにして、髪を40センチも切ったのは去年の9月。
それ以来、髪の毛をほったらかしにしていた。
でも、この季節が到来・・・髪がまとまらない。だから美容院に行ったのである。

過去の髪型を振り返り思うこと。
やっぱり、ラテン女になりたい私はあの髪型が気に入っていた。

だから、髪を伸ばしてスパイラルをかけようと思う。
今日は髪の毛をすいてもらって終了した。

また頑張らなくてはなぁ・・・髪の毛を切らないように。




髪型くらいは過去にすがりついても許されるだろうか。

SALSA!






最近、サルサを感じてない。金沢にいれば、昨日・今日とサルサパーティだった。久々に踊りに行きたい。
東京にもサルサママみたいな素敵な場所があればいいのに。荻窪にあるサルサのレッスン場をのぞきに行こうか・・・とも考えているけれど。なかなか足が進まない。

何かを新しく始めるのにどうしてこんなにも腰が重くなってしまったのだろうか。自分を納得させられる答えが浮かばない。  だから、考えてないで行こうと思う。サルサの靴をとりにお家に帰ろうかなぁ。

プラハ。

You tubeを見ていたら、あまりに子供の映像が多いのでプラハで友人になった人の子供を思い出した。  彼女は本当に可愛い。  もう4年位経っているから・・・もう随分大きくなったかなぁ。



おませなBABY♪  ジュリアーノ




ブタペスト。

高いところも早さも苦手な私は、ハンガリーの地下鉄のエスカレーターが大嫌いである。とにかく、長い。東京駅のエスカレーターなんてもんではない。そしてものすごく早い。クシェットで一緒になったハンガリー人に聞いてみた。「あんなに早くて事故は起きないの?」すると、涼しい顔でこう言うのだ。


「しょっちゅう起きるから、非常ボタンが5つもついているのよ。」


まずやるべきことは、ゆっくりにすることではないかと思うのだが、違うのだろうか?



ソフィア。

琴欧州の父がインタビューを受けていた。懐かしいブルガリア語が聞こえてくる。久々にブルガリアを感じたくなった。慣れないカメラを一生懸命まわして撮った映像があった。 久々にマリンクに逢いにブルガリアに行きたい。

6月。


近くの清掃工場のプールで泳ぐ。
その帰りに、いつも団地の前で奥さんの帰りをまつおじちゃんと柴犬のナナちゃんに逢う。
図書館に行く。そこで、本に囲まれる。何も借りずに帰宅。


6月はなぜだかお休みが3日しかないようだ。
でも、ストイックに働く自分も嫌いではないし、なんにも考えたくないときはお休みなんていらない。だから3日もあることだって嬉しくない。


今日が3日のうちの1日。


朝から同居人とYou tubeを楽しみつつ、だらだらとした時間を過ごす。
そして、彼女が遊びに出掛けたのでこうやってパソコンに向かうことにした。本当は読みたい本が
山積みな上に、ここのところさぼり気味の試験勉強もしなくてはいけないけれど、気分が乗らない。


明日から新しい職場での仕事が待っている。


6月○日は同居人の誕生日。

東京タワーが大好きな同居人・・・久々に東京タワーを感じに行く予定。


6月○日と○日。

金沢の友人たちが研修で東京に来る。だから、久々に皆に逢える。
大好きな石川弁が聴けると思うとなんだか嬉しい。私もつられて石川弁になるはず。


6月○日。

チェコ料理とチェコの映画を観に同居人と渋谷に行く予定。

6月○日。

同居人と珈琲講座を受けに錦糸町に行く予定。


6月○日。


タイに旅にでていた同居人の友人と私の仏語友達とディナーを共にする予定。
勿論、家で。


6月はこんな感じで過ぎさる予定。
予定は未定。どんなオプションがつくのかは私にだってわからない。

友人。

「スペインに行く前に彼に逢えなかったことだけが心残りなのよ。」
そう彼女は言って、旅立った。

だから、私が代わりに彼に逢いに行った。

彼と逢ったのは、ポーランド、クラコフの安宿。
共有した時間はとても短かかった。でも・・・・
今も素敵な友人として繋がっており、時折彼の経営する古本屋
さんの前を通る。明かりがついてお客さんがいるとなぜだか
あたたかい気持ちになる。そしてほっとする。そして、あの時の
記憶が一瞬フラッシュバックする。

彼女の一言が、私にも素敵な時間を贈ってくれた。

彼女が戻ってきたら、彼の古本屋さんで待ち合わせをしなくては・・・ね。

大好きな友人。


大好きな友人が仕事で4ヶ月間、スペインに行くことになった。
心の支えであり、唯一の旅の友である。


彼女が日本にいないことがとても寂しい。
だから、彼女に逢いにスペインに行こうと思う。


逢いたかったら、逢いにいけばいいのである。
そんな簡単なことを、ちょっとばかし忘れていた。


旅立ちは5月29日。


前日に彼女の貴重な時間から2時間だけもらえることになった。
二人の思い出の場所のひとつである、チェコ。


チェコの料理が食べれるというcafeを見つけた。




久々に飲んだチェコビール。あの時のことが鮮明に思い出される。
旅の記憶は今もカラーであり、二人の記憶を繋げていくと素敵なドキュメンタリーが完成する。


時には過去の記憶を辿るのも楽しいものである。



5月29日、11:00


成田に向かった。
目的は・・・彼女のお見送り。


大きな目を更に大きくして驚く彼女。



時にはそんなサプライズがあったほうが楽しい。

神楽坂。




神楽坂は友人が住んでいる所であり、同居人の職場でもある。
最近、なぜだか神楽坂に行く機会が度々訪れる。

夜勤明けで天気も良く、友人と散歩をすることにした。


そこでみつけた「mugimaru2」というcafe。
路地裏にのんびりと建っている。
いつもの珈琲はやめ、久々にハーブティーを頼んだ。

ハーブティーを飲んだら、金沢に帰りたくなってしまった。
心地よい風は、何かを私の中に置いていった。
それには気づかないことにした。
寂しくなるから・・・・。

今私がすべきこと。
この時代錯誤したような素敵な空間で、
のんびりとした時間にのっかることである。