3/13/2008

空気がよめない。

流行っていた言葉・・・「K・Y」
空気がよめないの略であったと知ったのは最近のことである。
空気がよめないというのは、つまりは思いやりに欠けるということだろう。

よく思うのだが、流行りの言葉というのは言葉の意味を軽くさせる。
そんな気がしてならない。

「貴方K・Yよね。」とか「あの人K・Yよね。」と言われるのと、
「貴方って思いやりに欠けるわよね。」とか「あの人思いやりに欠ける人よね。」
と言われるのではどこか重みが違うように思う。


昔、叔母とさだまさしのコンサートに行ったことがある。
彼のコンサートはトークが長い。そして面白いのである。
彼の言葉でなぜだかとても記憶に残っていることがある。
それは、「最近ストーカーなんて言葉流行りだけど、それはよくない。
なんでも横文字にすることで言葉本来の意味が薄れると思う。
ストーカーなんてつまりは変態ってことでしょ。
ストーカーなんてよぶと犯罪が増えるよ。」
・・・たしかそんなことを言っていたような気がする。


K・Y人口が増えたわけではない。思いやりに欠ける人が増えたのである。
もう少し視野を広げて、思いやりをもって
そうしたらもう少しいろんなことを受容できて
人を許すことがもう少し簡単にできて
もっと楽に生きられるかもしれない。




ごみ箱。

お洒落なゴミ箱が多いためか、ついついゴミ箱の写真を撮ってしまう。ドイツのゴミ箱はいつでもごみが少ない。パリのゴミ箱はいつでもごみがあふれ出しそうである。



同じようにごみ箱が設置されていても、街の清潔度は全く違う。
必要なのはゴミ箱ではなく、個々の意識なのだろう。


やはり環境問題は奥が深い。地球が泣いている・・否もしかしたら呆れているかもしれない。けれども、地球の涙を汲み取れる人は世界にどれだけ存在するのであろうか。

未だ、エコバックと水筒で満足している私は地球を泣かしているのだろう。

Frankfurt Hotel



どこに行っても必ずするのが洗濯。もうこれは旅といえば・・・の恒例行事になりつつある。弟君の靴下もあり・・・更に下着もあり・・・洗濯に沢山の時間を要した。  でもこの暖房器具のおかげで冬でも乾く。

そういえば、YHではこの場所をめぐって見えない戦いがあった。暖房の上はいつだって洗濯物で一杯であったのだ。旅の思い出を語るのに洗濯エピソードは欠かせない。


今回の旅は珍しく詰め替えというものをしてみた。毎回、旅先で購入して使用していたのだか(国によっては言葉がわからずshampooだかconditionerだかbodysoapだか不明であり、今だあっていたかは?な時も少なくない)、今回は10日間と短い旅行であり、弟君と一緒であったので冒険はせず日本での愛用品を詰めてきたのである。
なんだか旅をしている気分となる。なんだかいつもとなにかが違うのだ。居心地がいいのか悪いのかもわからない。でも、この詰め替え・・・意外と気に入ったみたいだ。無印の詰め替え用シリーズを使用したのだが、無印を使うことで中身までがシンプルな気分となったからだろう。



このホテルは格安な割に素敵である。frankfurtの駅の目の前というlocationであり、冷蔵庫の中身(左)はフリーであり、lobbyでは無料でcoffeeやcakeが楽しめるのだ。  朝のbuffetも美味しいうえに種類に富んでいる。

もしユーロが下がり、またfrankfurtにくることがあったらこのHotelにしようと思う。






lobbyからcoffeeを持ってくるのに夜勤で愛用していた水筒が役に立った。



7階の部屋から見えた駅と夕焼け。


骨董市


frankfurtの骨董市に行った。春一番を思わせるような強風の中、皆たくましく物を売っている。
私にはガラクタにしか見えないもののほうが多かったが、きっと見る人がみたら違うのだろう。
ドアノブとか車輪とかチャンネルのリモコンとか・・・・。
スプーンやフォークなんて無造作に地面に置かれているが、真剣に吟味している人がいる。

物の価値は人の価値観に比例するのかもしれない。

TELBOX

最近日本ではほとんど見ないTELBOX。
いつから、TELBOXも公衆電話も使わなくなっただろうか。

昔は、アドレス帳を電話の上に置き、時間を気にしながら電話をしていた。

そんなに遠くない過去のように思えるその時の記憶。

頻繁に電話をする相手の番号は、記憶されていたあの時が懐かしい。

3/12/2008

なるほどね・・・。  続き



Germanの電車(DB)は比較的清潔である。乗り心地も良い。そこで面白いものを見つけた・・・といってもきっと以前旅をしたときも出会っているはずなのだが。



この赤い所をトンカチで叩き、手で割れたガラスを外に押し、逃げろということみたいである。ドイツ語はわからないのであくまでも絵と道具からの推測にすぎないが。 



この存在でゆうに15分は語れた。てっちゃんたちはこれをみてどんな会話を繰り広げるのか。そもそもGermanにもてっちゃんは存在するのであろうか 。 


*これがトンカチではないかと・・・。

最近私が興味にあること。それは大宮にできた鉄道博物館。テツコではないけど乗り物は大好きである。

なるほどね・・・。

以前は気付かなかったのだが。時計の上にも掲示板(?)の上にも何かが刺さっている。

「これは一体何?」と問うと、
「鳩よけだよ、東京にだってあるだろ。」との答え。

私、あんなに駅を利用しているのに全く気づいたことがない。この存在。




日常の風景も旅と同じように楽しめば、きっと毎日は楽しいものになるに違いない。時には3歳児の目線が必要な時だってあるはず。いつでも大人では楽しめないこともある。  



AUSTRIAのET。

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Austriaのザルツブルグのとあるホテル。ETはドイツ語を話すのである。友人宅で日本語を話すETに出会ったことはある。後は・・・英語を話すETには確かあったかなぁ・・・。ETってどれだけbilingualなんだろうか。とても気になる・・・。  次はFrance語を話すETに逢いたいなぁ。ETとピーター・バラカン、どちらが語学堪能?  私も頑張らなくては。

3/08/2008

働くということ。


「働くということはきっとこういうことなんだろう。」そう感じた作品。以前観たときは特に何も感じることはなかった。今この絵を前にしてこう思うということは何かの合図かもしれない。

オルセー美術館
ギュスターヴ・カイユボット  「床に鉋をかける人々」


                                

現代アートについて。 続き

19世紀前半に活動した画商、ポール・ギヨーム・・・彼の同時代人でありParisのオランジュリー美術館(Musee national de l'Orangerie) 、彼らの作品群はその時代の現代artと呼ばれていた。時代を象徴していたような作品の数々。  絵画はその時代を表わす鍵となっている。

現在私が好む現代artも、いつかは今を表す鍵となるのだろうか。

video

現代アートについて。


時計が逆様で、キャンバスが全て青くて、キャンバスが全て白くて、赤・青・白のドラム缶がおおきな部屋に無造作に置いてあって、その中にレシートが入っていて。


つまりは、全てが現代artに成り得るのである。それは・・・・、岡本太郎ではないが人生はartであるということの証拠ではないだろうか。


                               

自分がなぜ現代artを好むのか?そこに自由を感じるから?そこに生きることの意味がつまっているような気がするから?


現代artには自分の生きる上での喜怒哀楽が表現されているように思う。


そんなことをFrankfurtのモダンアート美術館(Museum für Moderne Kunst)で考えた。